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空域ノ記憶  作者: 湯川 空
はじまり
5/29

#5 新天地

柔らかく振動する床。壁には収納された計器類と薄い照明。移動用ユニット車の個室で、夜桜(やお)は一人、窓の外を見つめていた。

……生活のすべてが、この空間で完結する。外界との境目が、どんどん薄れていくような感覚だった。

そしてこれから、自分はこの空間ごと、戦地へ赴くのだ。

夜桜は窓の外を眺めながら、黒瀬との会話を思い出していた。


***


『表向きは調査員の見習いとして現場に入ってもらう。だが、期待しているのは別のことだ。』

直前の穏やかさとはうってかわり、向かい合う黒瀬の表情は、どこか影を帯びている。

『パルスは、人に敵意を示す。生物でも兵器でもない、未分類の脅威だ。我々の技術では、あれは破壊も抑制もできない。』

『だが、ただ一人だけ、例外がいる。――それが凊佐(せいさ)だ。』

『もっとも、彼には別の問題があるが。』

夜桜は、静かに息を呑んだ。


『君が彼と話しているのを見た時は驚いたよ。言葉を交わしたどころか、表情が緩んだようにも見えた。それがどれだけ特別なことか。』

『君には、ただ彼の話し相手になってほしい。もしモールの一件がただの偶然だったとしても構わない。君という可能性に賭けてみたいんだ。』

少し嬉しそうにも思える黒瀬の言葉だが、どこか歪みがあった。

なぜ彼が特別なのか。なぜ「話し相手」が必要なのか。

明かされていない事情があるのは明白だった。

けれど、それ以上を問うことは許されない空気が漂っていた。

「自分の目で見て、感じて、判断しろ」という無言の圧が、会話の節々から伝わってくる。

それでも――あの時見た、彼の微かな笑顔が、自分を呼んでいるような気がして、夜桜は、引き返すことなんてできなかった。


***


「拠点本体との接続準備が完了しました。只今より接続を開始します。」

無機質な合成音声が、到着を知らせる。これは、ただの“任務”じゃない。これはきっと――自分の“覚悟”が試される場所なのだ。

だから負けるわけにはいかない。

この扉の向こうに、答えがある。

「行こう」小さくつぶやいた声が、自分自身への宣誓のように響いた。


ユニット車が拠点に接続される。重い機構音のあと、扉が横にスライドし、夜桜の足元にひやりとした空気が流れ込んできた。

中に足を踏み入れた瞬間、その空間の異質さに息を飲む。

空調の無機質な機械音。鉄と薬品の匂い。整然としすぎた室内。

しかしそこには確かに「誰か」がいた。

奥のほうで、白い髪がゆっくりと動く。

凊佐が、無言でこちらを見ていた。

――目が合う。

だが彼は何も言わない。微動だにせず、ただこちらを見つめている。

冷たい水底を見下ろすような、凍てついた眼差し。

その視線にはまるで感情がない。

夜桜の足が、すっと冷えていく。

だが、立ち止まってはいられなかった。


「久しぶり……?」

夜桜が恐る恐る声をかける。反応はない。

まるで何も起きていないかのように、凊佐はゆっくりと、背後の端末に向き直った。

数秒の沈黙。

「新しく調査員見習いとして――」

続けようとしたその瞬間、


「バツン」


びくりと肩が跳ねる。暗闇。

夜桜は咄嗟に口を閉じた。

照明を落とされたことの意味が、時間を置いて飲み込めてくる。

それは、まるで虫見るような、容赦のない拒絶だった。

音のない室内に、自分の呼吸だけが響く。目が暗闇に慣れてくると、凊佐の姿がぼんやりと浮かんだ。

凊佐の瞳に何かが覗くかもと期待したが、顔も、感情も、動かさない――そこにあるのはただ、明確な“排除”の意思だけ。

掌に汗がじっとりにじむ。

夜桜は、生きた心地がしなかった。

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