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空域ノ記憶  作者: 湯川 空
父の背を越えて
34/37

#34 僕がいる

拠点となる施設は、街の外れにある元倉庫を改装した簡易指揮所だった。

重い鉄の扉をくぐると、モニターや指揮官用テーブルが並び、散乱する紙や端末が目に入る。

警察官や隊員たちは慌ただしく行き交い、無線からは各部隊の声が途切れなく響いていた。


奥へ進むと、背筋を伸ばした責任者らしき人物が近づいてくる。

一時的に現場に来た黒瀬と握手を交わしながら、男性は三人の姿を一瞥して、言葉を一瞬失ったようだった。


「山本だ。この街で警察署長をしている。――君たちが例の部隊か。よろしく頼む」


長身で白髪の凊佐(せいさ)は、じっと周囲を見据えている。誰よりも静かだったが、誰よりも目立っていた。

大毅(だいき)は持ち前の柔らかい笑顔で周囲に自然と明るさを添え、数人のスタッフに声をかけ打ち解けている様子だ。

夜桜(やお)は両手を軽く組み、少し緊張した面持ちで挨拶を返す。その目は鋭く、無力ではないことを感じさせる。


周りからの小声が聞こえる。


「特殊チームって聞いたけど、思ったより若くない?」

「ほんとにこの子たちで状況変えられるのか…」


しかし山本は振り返り、指示を飛ばした。


「余計な詮索はいい。持ち場に戻れ」


案内された簡易宿泊スペースは、避難所の一角のようだった。

折り畳みベッドや薄いマットが無造作に並び、簡単な布やベニヤ板でスペースが区切られている。

隊員たちは交代で横になり、数時間眠るとまた現場へ向かう。


そこに荷物を置くと、すぐに招集がかかり作戦会議が始まった。

倉庫奥の指揮卓を囲み、壁には市街地の大判地図が貼られ、PCやタブレットには現場映像が映し出されている。


医療班の精神科医・天野が、モニターを指しながら詳しく報告した。


「テンラ ユウキについて、時系列の混乱や大きな音や突然の光への過剰反応も確認されています。身体能力が非常に高く、無理な刺激が加わると暴走する危険があります。」


「現場では音や光の出るものには十分注意して、安全確認のため、隊員には常に距離と退避ルートを意識させてください」


地図上の赤い印は、すでに破壊された建物や被害が報告された地点を示していた。学校や病院も含まれ、一歩間違えば犠牲がでるかもしれない。


優しかった兄の名前が、冷たい現場用語として読み上げられ、駒のように地図上を動かされていく。

その事実に言い表しようの無い居心地の悪さと焦燥感を感じていた。


横で控えていた凊佐が、低い声でささやく。


「……大丈夫?」


大毅は小さく息を吐き、視線を落としたまま頷く。


議論がひと段落し、明日の動きに話題が移ると、やっと決心して立ち上がった。


「俺に、兄貴に直接会わせてください!」


警察官たちの視線が一斉に向かう。大毅は拳を握り、署長を真っ直ぐ見据える。


「危険なのは分かってます。それでも、兄貴と話がしたいんです」


山本署長は短く息を吐き、決断した。


「彼の弟なんだったな。……かけてみるか。やってみよう。ただしあくまで安全第一だ。いいな?」


その後、大毅の説得を作戦の中心に話が進んでいった。


夜まで続いた作戦会議の後、解散の号令がかかった。

薄明かりの下、大毅はマットに座り込み、膝に手を押しつける。

頭の中には、現場から送られた兄の暴れる映像が繰り返し再生されていた。破壊された建物、叫ぶ人々、そして兄――


「偉そうに説得する、なんて言ったけど、本当はそんな資格はない。ただ俺自身が罪滅ぼしがしたいだけなのかも」


ぽつりと漏れる。

隣で凊佐が向こうを向いたまま、一言返した。


「……お前は、ひとりじゃない」


それを聞いて深く息を吐くと、寝袋に潜り込む。目を閉じると、意識がすっと吸い込まれていく感覚があった――



全身が鉛のように重い。

寒気が背中や手足を走り、震えが止まらない。視界の端で揺れる裸電球、換気扇の低いうなり。

辺りを見回すと、見慣れたトレーニング設備の中だった。


脚は宙に浮いた台座に固定され、体全体がワイヤーで吊られている。

普段はなんともないはハーネスの締め付けが今日はやけに気になる。


台座の振動で体も激しく振られる中、バランスを保つためには体幹だけで耐える、というのが今の目標だった。


「甘えるな、大毅。今日は集中が足りん」


父の声が背後から響く。

手元には大毅のバイタルモニターと、マシンのリモコンが握られている。

金属が擦れる音や操作のクリック音が耳を刺す。


呼吸を整えようとしても、思うように息が吸えない。

やがて視界が赤味を帯び、鮮やかな光のノイズがちらつき始めた。


いつもなら、できるのに……。声にならない呟きが、耳の奥で反響する。


もう一度踏ん張ろうとすると、台座の揺れで体が強く傾き、足が攣る感覚が起こった。

同時に吐き気も喉の奥に迫る。


その瞬間、ふっと拘束の圧迫が消え、体が軽く浮き上がる感覚がした。

背中に伝わる温もりに、吊られていた体の重みと痛みがゆっくり溶けていく。

視線を上げると、兄の腕がそっと自分を抱きとめていた。


「熱があるね……なんでもっと早く気づいてあげられなかったんだろう」


兄は悔いるように呟き、ハーネスを外すと大毅をそっと床に降ろす。

言われて初めて、自分の体調のおかしさに気がつく。

兄に促されてその場に横になると、緊張が解け、熱を帯びた体が現実のものになった。


大毅にだけ聞こえるように、兄はそっと耳元で囁く。


「僕に任せて……大毅はもう、これ以上やらなくていい」


その視線はまっすぐ父へ向けられる。「大毅は体調を崩しています。これ以上続けるのは危険です」


父は眉をひそめ、冷ややかに言い放った。「緊急事態でも、待ってはくれん。苦しい時に耐え抜ける者だけが、生き残れる」


兄はわずかに口角を上げ、声を強めた。

「大毅をこれ以上追い込むことは許せません。これは僕のわがままです。大毅の分は、代わりに僕がやります」


「さっき自分の分は終えただろう」父が目を細める。


爽やかな笑顔を見せ、兄はためらいなくハーネスを自分に装着し、背筋を伸ばした。


「何倍でも受けます」


父の唇にわずかな笑みが浮かぶ。

奥の棚から取り出されたのは酸素制限用の黒いマスク。

本来は別のトレーニング用だが、父は迷いもなく兄に押し当て、ベルトを締めた。

くぐもった音が規則正しく部屋にこだまする。


それでも兄は弱音を吐くことなく――ただ、大毅にだけ一瞬目を向け、曇ったマスクの奥で笑った。

声を上げかけた大毅は、結局それを飲み込む。

助けたい、止めたいのに、何もできない。


目の前で、それは始まった。

台座はさっきよりも激しく前後左右に揺れ、角度も深い。

胸が荒く上下し、マスク越しに短く途切れた息が漏れる。

揺れる体、震える足、汗で滑る手。すでに疲れ切った兄の体からは、汗が滝のように流れ落ちていた。


大毅は永遠のように感じられる時間の中で、ただ兄の姿を食い入るように見つめていた。

胸の奥で痛むような気持ちと尊敬の念、そして申し訳なさに押し潰されそうだった。


トレーニングが終わり、兄はゆっくりと息を整えると、まるで何事もなかったように隣にしゃがみ込む。


「大毅、大丈夫か? 体はだるくないか」


そう言って手を伸ばし、額にそっと触れた。

冷たい指先が、熱を持った肌に心地よく沈む。


「やっぱり熱があるね。少しでも休まないと」


汗で濡れた髪を軽く払うと、大毅の肩を支え、水を飲ませる。

兄の涼しい声が、優しく頭を撫でてくれる感覚が残っていた。


「僕がついている」


その言葉が耳に響くと、胸の奥で熱いものがこみ上げ、涙が溢れそうになる。

大毅は思わず兄にぎゅっと抱きつき、かすれた声で呟いた。


「……ごめん」


兄は荒い息を漏らしながらも、優しく大毅を抱き返す。


「大丈夫。僕が勝手にやったことだから、気にしなくていい」


――ああ、懐かしい。その温もりが胸に迫って、どうしようもなく涙があふれた。


はっと目を覚ますと、頬は濡れていた。

息は荒く、心臓が痛いほどに鳴っている。


「……ユウ兄……」


声にならない声がこぼれる。


夢だった。

けれど、確かにそこに兄がいた。

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