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空域ノ記憶  作者: 湯川 空
父の背を越えて
33/37

#33 待ってて、兄貴

夏の強い日差しが照りつける中、車の荷台のような場所で、凊佐(せいさ)夜桜(やお)とともに適当な場所に体を預けていた。

向かうのは、荒れた街――兄が暴れている現場だ。最初は一人で向かうつもりだったが、仲間たちはそれを許さなかった。

特に普段拠点を滅多に離れない凊佐が、自らついて来ると言ったのは意外だった。


凊佐は無言で荷台に座り、こちらの様子をさりげなく確認している。

夜桜はタブレットを握り、ルートや危険ポイントを静かに頭の中で整理していた。

車の揺れに合わせて体を支える二人の落ち着いた動作に、自然とこちらも呼吸を整えられる気がした。


そんな二人を見ながら、忘れていた兄との記憶が次々と蘇る。

伝えたいのは、荒れた現場で見ているのとは違う、優しい兄の姿だった。


「俺がまだ小さかった頃の話なんだけど――」


そう切り出すと、凊佐は少し身を乗り出して静かに視線を向け、夜桜も膝を抱えながらじっとこちらを見つめる。

二人は何も言わないけれど、確かに「話していいよ」と言ってくれているようだった。


少し緊張しながらも、言葉を紡ぎ始める。


「その日は雪が結構積もってて、外に野良猫を見つけて、寒くないのか心配になったのか、外に飛び出して追いかけたんだ。上着は羽織ったけど、チャックは途中までしか閉められなくて、手袋もしていなかったと思う。


後ろから母ちゃんの『どこ行くの!』って声がしてたような気もするけど、追いかけてる間は本当に夢中で、誰の声も耳に入らなかった。


猫を追って足跡を辿っているうちに、気づいたら辺り一面が真っ白で、家の方向も分からなくなってた。

足を取られて転んだとき、体が埋もれちゃって、…声を出しても、雪に吸い込まれる感じで、とにかくすごく怖くて。

ほんの数分の出来事だったはずなのに、一生閉じ込められているように感じたんだ。


一番最初に見つけてくれたのが兄で、俺をみるとすぐに雪の中から掘り出してくれた。

すごく大きくて強いと思ったけど、今考えると兄もこの時まだ7歳くらいだったんだよな。


俺がやっと立ち上がると、チャックの上がりきっていない上着を直して、手袋やマフラーも自分のをつけてくれた。抱きかかえられた瞬間、全身の力が抜けるように安心して…それまで我慢してたけど、どっと涙が溢れてきた。


『寒かっただろ。一人で遠くにいっちゃダメだぞ』

って、叱ってるはずなのに、優しい声でじっと目を見ていうんだ。

目には小さな涙が光っていて、余計に申し訳なくなった。


家に帰ってからも、夜眠れずに震えている俺を気にしてくれて、兄は何も言わずに俺の布団の隣に来て、寝るまでそばにいてくれた。


――本当に優しくて、尊敬できる人なんだ。」


夜桜は小さく笑みを浮かべ、タブレットを置きながらつぶやいた。


「そっか。ヒーローみたいで素敵なお兄さんなんだね」


それを聞いて大きく頷く。


窓の外に目を向ける。揺れる荷台から見えるのは、夏の強い日差しに照らされつつも、ところどころ荒れた街並みだ。破れた看板、ひび割れたアスファルト、錆びた鉄柵――非日常の匂いが漂う。


「完璧な兄貴に甘えすぎてたんだ。本当は悩んでたかもしれないのに、何も気づけなかった。それどころか、あの家に置いてきた……」


車の揺れに合わせて窓の外を見ていると、視界の端に、人影がふと目に入った。

──兄貴だ。


でも、まるで別人だった。目は虚ろで、何かに取り憑かれたかのように手をばたつかせ、声にならない声を漏らしている。通りの人々は、驚いたように慌てて逃げていく。小さな子どもや老人まで、足早に身をかわしていた。


その後ろ姿が車窓の端に過ぎていく。窓に顔を押し付け、呆然とそれを追った。体が震え、息が詰まる。

凊佐が静かに隣に来て、肩に手を置き荷台の床に座らせる。無理に話させず、ただそばにいてくれるだけで少し安心した。


「ありがとう」


凊佐は微かに頷くだけ。震える手で差し出されたお菓子をつかみ、ゆっくり口に入れると、少しずつ体の力が抜けていくのを感じた。


夜桜も隣に詰めてきて声をかけてくれる。


大毅(だいき)、ひとりじゃないよ。私たちも一緒にいる。みんなでなんとかしてあげよう」


重たかった胸の内が、少しだけ軽くなる気がした。外の街を見ながら、心の奥で覚悟を固める。


「待ってて。兄貴」

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