#33 待ってて、兄貴
夏の強い日差しが照りつける中、車の荷台のような場所で、凊佐と夜桜とともに適当な場所に体を預けていた。
向かうのは、荒れた街――兄が暴れている現場だ。最初は一人で向かうつもりだったが、仲間たちはそれを許さなかった。
特に普段拠点を滅多に離れない凊佐が、自らついて来ると言ったのは意外だった。
凊佐は無言で荷台に座り、こちらの様子をさりげなく確認している。
夜桜はタブレットを握り、ルートや危険ポイントを静かに頭の中で整理していた。
車の揺れに合わせて体を支える二人の落ち着いた動作に、自然とこちらも呼吸を整えられる気がした。
そんな二人を見ながら、忘れていた兄との記憶が次々と蘇る。
伝えたいのは、荒れた現場で見ているのとは違う、優しい兄の姿だった。
「俺がまだ小さかった頃の話なんだけど――」
そう切り出すと、凊佐は少し身を乗り出して静かに視線を向け、夜桜も膝を抱えながらじっとこちらを見つめる。
二人は何も言わないけれど、確かに「話していいよ」と言ってくれているようだった。
少し緊張しながらも、言葉を紡ぎ始める。
「その日は雪が結構積もってて、外に野良猫を見つけて、寒くないのか心配になったのか、外に飛び出して追いかけたんだ。上着は羽織ったけど、チャックは途中までしか閉められなくて、手袋もしていなかったと思う。
後ろから母ちゃんの『どこ行くの!』って声がしてたような気もするけど、追いかけてる間は本当に夢中で、誰の声も耳に入らなかった。
猫を追って足跡を辿っているうちに、気づいたら辺り一面が真っ白で、家の方向も分からなくなってた。
足を取られて転んだとき、体が埋もれちゃって、…声を出しても、雪に吸い込まれる感じで、とにかくすごく怖くて。
ほんの数分の出来事だったはずなのに、一生閉じ込められているように感じたんだ。
一番最初に見つけてくれたのが兄で、俺をみるとすぐに雪の中から掘り出してくれた。
すごく大きくて強いと思ったけど、今考えると兄もこの時まだ7歳くらいだったんだよな。
俺がやっと立ち上がると、チャックの上がりきっていない上着を直して、手袋やマフラーも自分のをつけてくれた。抱きかかえられた瞬間、全身の力が抜けるように安心して…それまで我慢してたけど、どっと涙が溢れてきた。
『寒かっただろ。一人で遠くにいっちゃダメだぞ』
って、叱ってるはずなのに、優しい声でじっと目を見ていうんだ。
目には小さな涙が光っていて、余計に申し訳なくなった。
家に帰ってからも、夜眠れずに震えている俺を気にしてくれて、兄は何も言わずに俺の布団の隣に来て、寝るまでそばにいてくれた。
――本当に優しくて、尊敬できる人なんだ。」
夜桜は小さく笑みを浮かべ、タブレットを置きながらつぶやいた。
「そっか。ヒーローみたいで素敵なお兄さんなんだね」
それを聞いて大きく頷く。
窓の外に目を向ける。揺れる荷台から見えるのは、夏の強い日差しに照らされつつも、ところどころ荒れた街並みだ。破れた看板、ひび割れたアスファルト、錆びた鉄柵――非日常の匂いが漂う。
「完璧な兄貴に甘えすぎてたんだ。本当は悩んでたかもしれないのに、何も気づけなかった。それどころか、あの家に置いてきた……」
車の揺れに合わせて窓の外を見ていると、視界の端に、人影がふと目に入った。
──兄貴だ。
でも、まるで別人だった。目は虚ろで、何かに取り憑かれたかのように手をばたつかせ、声にならない声を漏らしている。通りの人々は、驚いたように慌てて逃げていく。小さな子どもや老人まで、足早に身をかわしていた。
その後ろ姿が車窓の端に過ぎていく。窓に顔を押し付け、呆然とそれを追った。体が震え、息が詰まる。
凊佐が静かに隣に来て、肩に手を置き荷台の床に座らせる。無理に話させず、ただそばにいてくれるだけで少し安心した。
「ありがとう」
凊佐は微かに頷くだけ。震える手で差し出されたお菓子をつかみ、ゆっくり口に入れると、少しずつ体の力が抜けていくのを感じた。
夜桜も隣に詰めてきて声をかけてくれる。
「大毅、ひとりじゃないよ。私たちも一緒にいる。みんなでなんとかしてあげよう」
重たかった胸の内が、少しだけ軽くなる気がした。外の街を見ながら、心の奥で覚悟を固める。
「待ってて。兄貴」