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空域ノ記憶  作者: 湯川 空
父の背を越えて
30/37

#30 見えない鎧

凊佐(せいさ)はすぐに大毅(だいき)の腕を支え、医務室の奥へと連れていった。

きちんと整列した青白い円形の照明が壁や床に反射し、影すら曖昧な空間。無機質な静けさの中、低く機械の駆動音だけが響いていた。


並んだ三つのベッドの一番端に、大毅を座らせる。壁際の清潔な扉を開くと、ひんやりとした冷気が頬を撫でた。中には滅菌パックや薬剤が整然と並ぶ。

慣れた手つきで、奥から冷却剤を一つ取り出すと、パック表面から水滴が指に伝わってきた。


それを持って再び大毅の前に立つと、スーツの上着に手をかける。


「……脱がすぞ」


焼けた布地はざらつき、ところどころ硬く変形している。

金属のファスナーをゆっくり引くと、軋んだ音と共に布の隙間が広がった。

中からのぞいた火傷は、赤く腫れているものの、思ったよりはひどくない。

触れれば鋭く痛みそうだが、ひとまず安心できる程度だった。


しかし、肩から肘へとスーツを脱がせるうちに、凊佐の顔は曇っていく。

火傷の下には――さらに古い、無数の傷跡が隠れていた。

刃物で裂かれたような細い線、鈍器で打たれたような丸い痕、擦過傷の残りが新旧入り混じり、全体に散っている。

皮膚は傷ごとに質感を変え、盛り上がった箇所もあれば、凹んでいる箇所もあった。

まるで何年も戦場で削られ続けたかのような傷の地図が、静かに彼の肌を覆っていた。


やがて、凊佐はそっと冷却剤を火傷に押し当てる。

大毅の肌に触れるその手は、震えることなく、しかし力を込めすぎることもない。

言葉を選ぶように、静かに問いかけた。


「……誰にやられた?」


大毅はその質問に、一瞬だけ困ったような表情を浮かべただけ。

答えを濁す様子に疑念を抱き、問い直した。


「……自分でやった、なんて言わないよな?」


大毅は、苦笑しながら首を振った。


「いや。ここに来る前に、親父が」


それを聞いてさらに凊佐の顔が曇る。


「……父親と、うまくいってなかった?」


すぐに大毅はハッとして言葉を訂正するように、声を少し荒げた。


「違うんだ。親父のことはすごく尊敬してる。俺を強くするために、ちょっと厳しかっただけだ。」


拳を固く握りしめ、強い意志を込めて言葉を続けた。


「自分で選んだ道で、後悔はない。おかげで今の俺があるし」


しかし、その言葉はどこかぎこちない。まるで呪文のように自分自身に言い聞かせる姿からは、違和感がほんのわずかに顔を覗かせていた。

凊佐は視線を外さず、じっと大毅の顔を見つめる。


「……そうか」


息を吐くように呟き、彼の言葉をただ静かに受け止めた。


ガタッ——


扉の前で誰かが躓き、勢いよく飛び出す。夜桜だった。

さらにバランスを崩し、手近にあった小さなトレイを倒してしまう。カタンと音を立てて床に落ちた。


その騒ぎに二人は思わず顔を上げ、夜桜(やお)は慌てて気まずそうに顔を逸らした。


「ごめん!盗み聞きするつもりじゃなかったんだ。でも、黙ってられないよ」


大毅の傷と、丸三日寝ていないような凊佐の目つきを見て、一瞬動揺する。

それでも無言で大毅の隣まで歩み寄り、目をしっかりと見据えて言った。


「痛みを忘れれば、辛さも感じなくなる。そうやって自分を守ってきたんだね……やっとわかったよ。足を怪我しても走り続けた時は、本気で心配したんだから。」


言葉の終わりをそっと緩める。


「ここには父親はいないんだから、大毅自身の感覚を大切にしてほしいな。」


凊佐も大毅を横目で見て、淡々とした口調で言った。


「……敏感さで守れるものもあるらしい。よくわからないけど。」


大毅は黙って、自分の傷を見つめた。やがて、かすかに微笑みながら、ゆっくりと口を開く。


「そうだな」



翌朝。

昨日の激戦の疲れを癒すため、訓練やミーティングは休止となり、ほとんどの隊員は久しぶりの遅起きを満喫していた。

しかし、橋本はどうしても早く目が覚めてしまい、コーヒーでも飲もうと食堂へ向かう。


さすがに誰もいないだろうと思っていたが、いつものように食堂には先客がいた。


「おはよう、二人とも。こんな時間にいるとは、今日もトレーニングするつもりじゃないだろうな?」


橋本は半ば呆れた声で問いかける。どうせ今日もやると言い張るだろう。


「いや、今日は休むって決めてますよ」


大毅はにやりと笑って答えた。

当然のように放たれたその言葉に、拍子が抜ける。


「…おお、そうか。珍しいな」


大毅は肩をすくめ、軽く言った。


「はい、今日はゆっくりします」


凊佐は静かにコップを口に運び、わずかに満足げな笑みを浮かべていた。

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