#30 見えない鎧
凊佐はすぐに大毅の腕を支え、医務室の奥へと連れていった。
きちんと整列した青白い円形の照明が壁や床に反射し、影すら曖昧な空間。無機質な静けさの中、低く機械の駆動音だけが響いていた。
並んだ三つのベッドの一番端に、大毅を座らせる。壁際の清潔な扉を開くと、ひんやりとした冷気が頬を撫でた。中には滅菌パックや薬剤が整然と並ぶ。
慣れた手つきで、奥から冷却剤を一つ取り出すと、パック表面から水滴が指に伝わってきた。
それを持って再び大毅の前に立つと、スーツの上着に手をかける。
「……脱がすぞ」
焼けた布地はざらつき、ところどころ硬く変形している。
金属のファスナーをゆっくり引くと、軋んだ音と共に布の隙間が広がった。
中からのぞいた火傷は、赤く腫れているものの、思ったよりはひどくない。
触れれば鋭く痛みそうだが、ひとまず安心できる程度だった。
しかし、肩から肘へとスーツを脱がせるうちに、凊佐の顔は曇っていく。
火傷の下には――さらに古い、無数の傷跡が隠れていた。
刃物で裂かれたような細い線、鈍器で打たれたような丸い痕、擦過傷の残りが新旧入り混じり、全体に散っている。
皮膚は傷ごとに質感を変え、盛り上がった箇所もあれば、凹んでいる箇所もあった。
まるで何年も戦場で削られ続けたかのような傷の地図が、静かに彼の肌を覆っていた。
やがて、凊佐はそっと冷却剤を火傷に押し当てる。
大毅の肌に触れるその手は、震えることなく、しかし力を込めすぎることもない。
言葉を選ぶように、静かに問いかけた。
「……誰にやられた?」
大毅はその質問に、一瞬だけ困ったような表情を浮かべただけ。
答えを濁す様子に疑念を抱き、問い直した。
「……自分でやった、なんて言わないよな?」
大毅は、苦笑しながら首を振った。
「いや。ここに来る前に、親父が」
それを聞いてさらに凊佐の顔が曇る。
「……父親と、うまくいってなかった?」
すぐに大毅はハッとして言葉を訂正するように、声を少し荒げた。
「違うんだ。親父のことはすごく尊敬してる。俺を強くするために、ちょっと厳しかっただけだ。」
拳を固く握りしめ、強い意志を込めて言葉を続けた。
「自分で選んだ道で、後悔はない。おかげで今の俺があるし」
しかし、その言葉はどこかぎこちない。まるで呪文のように自分自身に言い聞かせる姿からは、違和感がほんのわずかに顔を覗かせていた。
凊佐は視線を外さず、じっと大毅の顔を見つめる。
「……そうか」
息を吐くように呟き、彼の言葉をただ静かに受け止めた。
ガタッ——
扉の前で誰かが躓き、勢いよく飛び出す。夜桜だった。
さらにバランスを崩し、手近にあった小さなトレイを倒してしまう。カタンと音を立てて床に落ちた。
その騒ぎに二人は思わず顔を上げ、夜桜は慌てて気まずそうに顔を逸らした。
「ごめん!盗み聞きするつもりじゃなかったんだ。でも、黙ってられないよ」
大毅の傷と、丸三日寝ていないような凊佐の目つきを見て、一瞬動揺する。
それでも無言で大毅の隣まで歩み寄り、目をしっかりと見据えて言った。
「痛みを忘れれば、辛さも感じなくなる。そうやって自分を守ってきたんだね……やっとわかったよ。足を怪我しても走り続けた時は、本気で心配したんだから。」
言葉の終わりをそっと緩める。
「ここには父親はいないんだから、大毅自身の感覚を大切にしてほしいな。」
凊佐も大毅を横目で見て、淡々とした口調で言った。
「……敏感さで守れるものもあるらしい。よくわからないけど。」
大毅は黙って、自分の傷を見つめた。やがて、かすかに微笑みながら、ゆっくりと口を開く。
「そうだな」
翌朝。
昨日の激戦の疲れを癒すため、訓練やミーティングは休止となり、ほとんどの隊員は久しぶりの遅起きを満喫していた。
しかし、橋本はどうしても早く目が覚めてしまい、コーヒーでも飲もうと食堂へ向かう。
さすがに誰もいないだろうと思っていたが、いつものように食堂には先客がいた。
「おはよう、二人とも。こんな時間にいるとは、今日もトレーニングするつもりじゃないだろうな?」
橋本は半ば呆れた声で問いかける。どうせ今日もやると言い張るだろう。
「いや、今日は休むって決めてますよ」
大毅はにやりと笑って答えた。
当然のように放たれたその言葉に、拍子が抜ける。
「…おお、そうか。珍しいな」
大毅は肩をすくめ、軽く言った。
「はい、今日はゆっくりします」
凊佐は静かにコップを口に運び、わずかに満足げな笑みを浮かべていた。