#28 闇に潜む黒殻
ガンッ!
壁を這うような衝撃が拠点を駆け巡った。
隊員たちは次々と飛び起き、数秒遅れてサイレンが鳴り響く。
大毅も、ただごとではないと察して布団を放り投げる。
その辺にあった服を引っ掛け、広間へと駆け出した。
中に入るとすでに人が集まり始めており、動揺した囁き声があちこちから聞こえてくる。
「みんないるか?」
風間の声で、ざわめきが一気に収まった。
「拠点が自動航行中に、パルスの群れに突っ込んだ。熱反応を遮断するタイプで、センサーにかからなかったようだ。」
そこまで聞いて、ふと気づく。
「凊佐がいない! 俺、起こしてきます!」
そう言い残し、廊下を駆け出す。
彼の部屋は奥の突き当たり。幸い、ロックはかかっていなかった。
勢いよくドアをスライドさせる。
「凊佐! 緊急事態だ! 起きて!」
凊佐はまったく乱れのない姿勢で、静かに眠っている。
呼吸すら感じられないほど静かで、まるで精巧な人形のようだ。
「おい!起きろって!」
そう呼びかけながら、肩に手を伸ばす。
――掴まれた。
そう思った時には、彼の拳が頬を掠めていた。次の瞬間、ぱちりと目が開き、見つめ合う。
思わず息を呑んだ。
「……もう遅かったか」
背後から声がして、はっと振り返る。橋本が、苦笑いを浮かべながら入ってくるところだった。
「っ、ご、ごめん。 驚かせたよな。」
慌てて顔を背け、掴まれた腕をそっと引き戻す。
凊佐はゆっくりと身を起こし、無表情のまま静かに呟いた。
「……クマが来た」
その声には感情が乗っていないが、妙に重みがあって、冗談か本気か判別がつかない。
どう返したらいいか迷っていると、
「ここはわしに任せて、お前は広間に戻れ」
橋本の静かな声が助け舟を出してくれた。
救われたような気持ちで、素直に頷いて部屋を後にする。
装備室。大毅が隊員たちと装備を整えていると、凊佐がそろりと入ってきた。その顔には、いつもの無表情と冷静さが戻っており、ほんの少し肩の力が抜ける。
「大丈夫か? 緊急事態とはいえ、さっきは…」どう切り出せばいいかわからず、言葉が途切れる。
「……怒ってはいない」短く返された声には、どこか含みがあるように感じた。けれど、そのまま受け流すことにした。
沈黙ののち、今度は凊佐の方がぽつりと尋ねてくる。「……行くのか。怪我は?」
「おかげでだいぶ良くなった。ほら」なるべく明るく振る舞おうと、笑いながら足の指を動かして見せる。腫れた痕はまだ生々しいが、少なくとも傷口は塞がっていた。
納得したように頷くと凊佐は背を向け、広間へと向かう。
遅れまいと、急いでその後ろを追った。
広間に戻ると、隊員たちは装備を整え、壁際のモニターをじっと見つめていた。冷たい蛍光灯の下、空気は未だ重い。
こちらを見て振り返った一人が、合図を送る。それを確認して、橋本が口を開いた。
「見ての通り、相手は闇に紛れるのが得意だ。夜間の追撃は無謀と判断した。日が昇ってから動く」
モニターには時折、黒光りする球体のような影が一瞬だけ横切る。その速度と不規則な動きに、誰もが息を呑んだ。
「解析、完了しました!」
部屋の隅から泉の声が上がる。緊張で乾いていても、しっかり通る声。彼はモニターに図を映しながら説明を続けた。
「敵は約30体。全身が亀のような硬質の殻で覆われていて、この殻が一部センサーを無効化しています。コアはおそらく腹部……ただし姿勢が低いため狙いづらいかと」
「さらに機動性も高い。基本的には高速の突進を繰り返してくるタイプです。防御より回避を優先してください」
ガコンッ!
再び拠点の外壁に何かがぶつかる重低音が響いた。空気が凍る。隊員たちが身じろぎし、武器を握り直す音だけが静かに鳴る。
緊張の中、中央に皆が自然と集まり、低い声で作戦を交わし始めた。
「素早い敵だ。ドローン操縦にはいつも以上の精密さが求められるな」
風間が顎に手を当てて言うのが聞こえた。
「ですね。まともに体当たりを受けたら機体が持ちません」
泉が手元のデバイスを睨み、うなずくのが視界の端に映る。指先が少しこわばっている。
「……私には、何ができますか?」
夜桜が小さな声で尋ねた。
一瞬、時が止まる。風間と泉が視線を交わし、やがて風間がゆっくり口を開いた。
「正直に言えば、今回の相手に位置の報告はあまり意味がない。視認した瞬間には動きが終わっているだろうし、銃弾も殻に弾かれる。簡単には通らない」
泉も肩をすくめて続けた。
「やるとすれば、動きを先読みして進路を塞ぐか、こちらから横合いにぶつかってひっくり返すくらいですね」
夜桜は静かにうなずいたが、眉はわずかに曇っていた。
橋本がこちらに手招きする。同様に凊佐も呼び寄せると、落ち着かない様子で話し始めた。
「とにかく狙うのは腹のコアだ。小さいが……持ち上げて裏返すか、やり方は任せる」
泉が示したパルスの図で、橋本は腹面を指でゆっくりなぞった。
「時間はたっぷりある。急ぐな、焦るな……着実に、安全に行け」間を置いてさらに続ける。
「何かあれば一旦戻れ……いいな?無茶は、するなよ」
その言葉が誰に向けられているのかはわからなかったが、何も言わずにうなずいた。
やがて広間の窓から見える空が、明るみ始める。まだ深い藍色が残る中、東の地平線には朱色の筋が差していた。
戦いを静かに告げる狼煙のように、 夜が少しずつ溶けていく。
広間の空気が張り詰める中、突然、泉の低い声が静寂を破った。
「燃料庫が攻撃され始めました」
彼の報告に、全員の顔が一瞬強張る。
「交換前提の車両ですが、炎上すると厄介ですね」
風間も眉をひそめた。「ああ。被害は最小限に抑えたい」
「うむ。みんな、準備はいいか? 出撃開始だ」橋本の号令が響いた。
その瞬間、ドアが開く。
凊佐が飛び出していくのが見え、 大毅も、ドローンと共にその後を追いかける。
足元で、黒光りするパルスが乾いた土を擦りながら疾走していた。
胸のざわめきを振り払うように、視線を前へ定める。
「行くぞ」
踏み出す足音が、まだ静かな空に吸い込まれていった。