#26 逆流
観測地点の機器が破壊された、という報告が上がってきたのは、ちょうど朝食を終えた頃だった。
「またか……」
橋本の小さな呟きに、食堂にいたメンバーたちの表情が引き締まる。これまでにも同様の破壊行為が繰り返されていた。放っておけば、各エリアのパルス状況が確認できなくなってしまう。
風間が即座にドローン映像を確認し、巨大な個体が現地周辺を徘徊していることを突き止めた。
「今ならいけるんじゃないか」
誰かがそう言い出した。その言葉に引き寄せられるように、凊佐、大毅、夜桜が顔を見合わせる。
作戦が、決まった。
***
巨大な個体は、森の外れの岩場にじっと佇んでいた。凊佐と大毅が先行して、開けた地形の中心に立つ。
「思ってたより、でかいな」
大毅が息を呑んだ瞬間、それはゆっくりと動いた。
まるで泡が弾けるように、その巨体の表面から影のようなものが剥がれ落ち、地面に着地する。
分裂。
一体が二体に。二体が四体に。四体が八体に。どんどん数が増えていく。
「うわ、こいつ……!」
凊佐と大毅はすぐに背中合わせになった。取り囲まれた。体勢は悪くない。だが、敵の数が異常だ。
大毅が一体を叩き潰す。だが、
「ない。コアが、ない!」
崩れた肉塊に、いつもあるはずの光核が見当たらない。肉塊は蠢き、数秒で元の姿に戻ろうとしていた。
「もしかして」
大毅が片っ端から叩くが、その中にはやはりコアは見当たらない。
「……本体を探さないといけない」
凊佐が絞り出すように言う。通信越しに風間の声が届いた。
「おいおい、戦いながら神経衰弱しろっていうのかよ。」
一同が苦笑する中、大毅だけが叫んだ。
「虱潰し! 上等だ!」
そう言ってパルスの山に飛び込む。凊佐も次々と目の前の個体を破壊していく。
どれを確認したかも曖昧になり始めた頃——
「見えた!」
夜桜がモニターに身を乗り出し、叫んだ。
「白いトラック運転席からの西北西、約20メートル! コア持ちの個体がいる!」
「でかした!」
風間の声が通信機の中で弾ける。
凊佐は大毅と目を合わせ、お互い大きく頷いた。
大毅が先行し、全身で敵を弾き飛ばす。開けた進路を凊佐が駆け抜け、コアが露出している個体に、迷いなく飛び込んだ。
——書き換え、開始。
一瞬、敵の動きが止まる。
だがすぐに、分体たちが異変を察知し、一斉に凊佐へと襲いかかった。
「させるかよッ!」
大毅がその前に立ち、次々と敵を薙ぎ払う。波のように押し寄せる敵に、踏ん張りながら耐える。
40秒。50秒。1分。
……長い。終わらない。
「凊佐……?」
夜桜の声が、通信越しに揺れる。
振り返った大毅が見たのは、歪んだ凊佐の表情だった。
意識に、逆流してくる。
記憶の断片。暗い部屋。金属音。誰かの叫び。
「離れろッ!」
大毅が叫び、凊佐の体を抱きかかえるようにして引き離す。コアから手が離れた瞬間、凊佐の体がガクッと力が抜けた。
直後、敵の本体が音もなく崩れ落ちる。周囲の分体も蒸発するように消えていった。
「ったく、無茶すんなって……」
ジーという蝉の声が響く。
戦いは、終わった。
息を整えながら、大毅は凊佐の肩を支える。上空では夜桜のドローンが、夏の太陽を遮るように、静かに二人を見下ろしていた。
***
——ぬかるんだ床。冷たい空気。
どこか遠くで金属音が響いている。誰かが何かを引きずっているような音。
「お前のせいだ!お前のせいでここがバレたんだッ!」
怒鳴り声が、耳を打った。 凊佐の肩が揺さぶられる。頭が取れそうになるほど強く、乱暴に。
「言ったよな?泣くなって!何度教えたと思ってんだ!」
耳元で怒鳴り声が爆発した。
目の前の大人が、口元を泡立たせる。 背後にサイレンが迫る。
「ごめんなさい!許してください!ごめんなさい!」
目が飛び出るほど見開いて、泣くまいと顔をこわばらせる。
「いい加減にしろやァァァッ!!」
乾いた呼吸。暴れるように腕が振り上がる。 手には何か、金属の鈍く光るもの。
——本能的に、左手を突き出して目をぎゅっと閉じる。
「やめて——!」
その声と同時に、世界が真っ白に弾けた。
びくりと体が跳ねる。
視界がぐらつく。喉の奥が焼けるように熱い。 汗で張りついたシャツの背中に、寝具の冷たさが妙にリアルに感じられた。
左手が頭に押し付けられていることに気づく——夢の中と同じだ。
指先は動かない。凊佐はその手をしばらく見つめたまま、息を殺していた。
「凊佐……?」
声がして、ようやく顔を上げる。 ベッドの脇には、大毅と夜桜、そして風間が立っていた。
「……ハァ、ハァ……」
凊佐がやっと息を吐くと、夜桜が無言のままペットボトルの水を差し出してきた。 黙ってそれを受け取り、少し口に含む。
「ひでえ顔してんな」
大毅が眉を寄せて言う。決して笑ってはいなかった。
「すぐに意識が戻ったけど、急に暴れて…汗びっしょり。悪夢を見たんだろ」
風間が落ち着いた声で説明する。
凊佐は何も言わず、首だけをかすかに振った。
「……夢じゃない」
ぽつりと呟いた声に、部屋が静かになる。
「泣いたら怒られるんだ……耳元で、叫ばれて……」
声が震えそうになるのを押しとどめながら、凊佐は金属でできた指先を見下ろしている。
「今はもう誰も怒鳴らない。俺たちは味方だ」
大毅のその一言が、やわらかく、部屋の空気を変える。 凊佐は目を閉じて、長く、静かに息を吐いた。
「……ああ、わかってる。」
***
朝の食堂。橋本はコーヒーを片手に、今日本部から届いたばかりの新聞をじっくりと読み込んでいた。情報端末のほうが早いのは分かっていても、紙でないと読みにくい、と言い張っている。
大勢が休養日にのんびり過ごす中、早起きの習慣は変えられない。
そこへ、大毅が軽やかな足取りで「おはよーざーまーす」と声をかけながら入ってくる。
彼もまた、昨日の疲れは感じさせない。
大毅は橋本の隣に立つと、ふと視線を落とし——次の瞬間、吸い寄せられるように新聞を手から引き抜いた。
「まさか」
そのまま新聞の端を握りしめ、一面の写真を食い入るように見つめる。
表情がスッと固まり、困惑の色が浮かぶ。
「兄貴?」