#22 訓練場の出会い
夕食を五人前近く平らげた大毅は、擦り傷の手当てを受けて仮眠しただけで、朝にはすっかり元気を取り戻していた。
「体動かさねえと、やってらんねぇ!」
廊下を歩いていたそのとき、トレーニング場の奥にひとりの影が映る。凊佐が黙々と、無駄のない動きで訓練を続けていた。
「……すげえ」
思わず足を止め、目を丸くして見とれる。だが次の瞬間には、バン! と扉を開けて飛び込んでいた。
「なあなあ、俺も混ざっていいか!?」
凊佐は一瞬だけ大毅を見て、隣のマットを指差した。勝手にやれと言っているようだった。
「よっしゃああ!」
嬉しそうに叫ぶ大毅。その声に、他の隊員たちも訓練場の様子をのぞき始める。
「大丈夫なんですか、あれ」
「さあな」
橋本は特に止めることもせず、面白そうに眺めていた。
大毅は凊佐の動きを真似しながら、勢いよく飛び蹴りを放つ――が、すぐによろけて転ぶ。
「な、なんだこの動き!? 人間の関節ってこうなるのかよ」
隣で跳ねる音がうるさいのか、凊佐は少しだけ眉をひそめながらも、黙って訓練を続けた。
トレーニング場の片隅に行き、凊佐は静かに片手で倒立を始める。体幹とバランス感覚を極限まで研ぎ澄ませないと成り立たない高度な静止技。
誰もが思わず息を呑む中――彼はぴたりと静止したまま数秒。力みは一切なく、まるで重力の存在を忘れたかのようだった。
そのとき、背後から「おおーー! すげーなそれ!!」と声が飛んでくる。振り返るまでもなく、大毅だ。
凊佐が体勢を解いて戻ると、大毅が嬉しそうに跳ねながら近づいてきた。
「今の何!? 片手で止まってたよな!? 俺もやってみていい?」
凊佐は無言で肩をすくめる。
大毅は何も考えずマットに手をついて逆立ちを始める。最初は両手、バランスをとりながらふらつくが――次第に体勢が安定し、なぜか両手を片方ずつ浮かせはじめる。
「あれ、片手でもいけんじゃね?」
気づいたときには、彼は数秒、無意識に片手倒立をキープしていた。
「うぉっしゃー! 見た!? 俺もできたじゃん!」
キラキラとした顔で凊佐の方を振り返る。
「てか、あれってそんなに難しいやつだったの?」
凊佐は表情を変えないまま、タオルで汗を拭く。だが、その手元にわずかな力みが走った。
次の瞬間、大毅が指をさす。
「お、次はランニングか! 俺、持久走得意なんだよなー。」
凊佐は黙ってトレーニングルームの奥に歩いていき、ランニングマシンの前に立つ。すると、当然のように――いや、待ってましたとばかりに、大毅が隣に飛び込んできた。
ピッと操作して軽やかに走り出す。フォームも悪くない。スタートは完全に大毅の方が早く、しかもペースも落ちない。
凊佐は無言でちらりと見るが、すぐに前を向き直る。特に反応はない。大毅は気を良くして笑いかけた。
「へへっ、どうした? もしかして、走りは苦手だったりして?」
ピピピピピ――。
凊佐の指が、静かに速度設定のボタンを連打し始めた。
一気に数字が跳ね上がる。異常とも言えるハイペース。だが、凊佐は何事もなかったかのように軽やかに足を運んだ。目線はまっすぐ、ブレもない。
「おっ、勝負か!?上等だぁ!!」
慌てて大毅も速度を上げるが、数十秒後にはもう表情が歪む。
「ハッ……ハッ……ちょ、ちょっと速くね!?」
隣で凊佐は相変わらず表情ひとつ変えず、精密なリズムで淡々と走り続けていた。
「おーい、昼だぞー」
遮音ガラスの向こうから風間の声が聞こえた頃には、大毅は完全に息が上がっていた。
凊佐は静かにマシンを止め、無言でタオルを取り、背中を向けて去っていく。
大毅はゼェゼェと息を吐きながらも、悔しそうに笑った。
「お前、すげぇな!」
遮音ガラス越しでも響くその声に、橋本が苦笑しながらコーヒーをすする。
「まったく……あの騒がしい奴のせいで、静かな時間が台無しだ」
***
午後、夜桜は日課のドローンの操作訓練を行っていた。ホログラムの標的が次々と出現しては消え、空中でドローンが鋭く旋回する。その集中ぶりは、まるで実戦そのものだ。
少し離れたベンチでは、凊佐が汗を拭きながらそれをぼんやり見ている。
そこへ、大毅が駆け寄ってきた。
「なあなあ、あの子、すげー集中してない? あれ撃ったら爆発とかするの?」
凊佐はちらっと見るが、何も言わずに目を逸らす。
「おーい、聞こえてる〜?」
ぴょんぴょん跳ねながら話しかける大毅に対し、凊佐は無言のまま、少しだけ距離を取った。
それを遠くから見ていた夜桜が、ぼそりと漏らす。
「あの凊佐に、あそこまで絡めるって……才能ですね」
「だな」
隊員のひとりが苦笑した。
ドローン訓練を終え、夜桜が水を飲んでいると、大毅がまた現れた。
「なあ、さっきの空飛ぶドローン、あれお前が飛ばしてたの?マジですげー!」
突然の勢いに、一瞬だけ警戒心が走る。
だが、大毅の顔に悪意はなかった。ただ、まっすぐな好奇心が目の奥で光っている。
「ありがとう」
「俺、大毅! よろしくな!」
「夜桜。夜の桜って書いて、ヤオ」
「うわ、かっけー! 強そうな名前! ヤオって呼んでいい?」
夜桜は息を吐いて言った。
「お好きにどうぞ」
「よっしゃ、ヤオ、よろしくな!」
夜桜は軽く肩をすくめて、水を飲み干し、そのまま部屋に戻っていった。
それからというもの、訓練エリアに大毅の声が響かない日はなくなった。
最初はうるさがっていた隊員たちも、いつの間にかその明るさに助けられている自分を認め始めていた。
だが夜桜は、彼の異常な明るさに、底が見えない不思議な感覚も覚えていた。