#20 新しい役割
朝の澄んだ空気が拠点の周囲を包み込み、隊員たちは指定された8時にトレーニングルームの前に集まった。窓越しに見えるのは、すでに動きを始めている橋本と凊佐。ふたりは朝6時からの厳しい日課をこなしているのだ。
ガラスの向こう、凊佐はベルトコンベアのように動く床の上で軽やかに足を動かし、連続した打撃の動きを繰り返している。橋本は時折、調整用の端末に手を伸ばし、床の振動や負荷を変化させていた。
風間が腕を組んだまま、ぽつりと呟く。
「動き、よく見とけよ。お前が使うドローンは、あれと連動して動くことになるからな。」
夜桜が一瞬、姿勢を正す。
その時だった。
凊佐が鋭く動いたと思うと、弾いた鈍器のようなものがこちらに向かって飛んでくる。
ダァン!
一同が息を呑む間もなく、それは目の前のガラスに鈍い音を立ててぶつかり、ずるりと床に落ちた。
風間が小さく息をためて吐き出す。
「……って言ってるそばからこれだよ。まともに当たったら大怪我だぞ。」
橋本がトレーニング装置の操作を止め、凊佐と何か真剣に話し込んでいる。凊佐は息を整えつつ、汗を拭って頷いていた。緊張感の中、隊員たちは思わず息を詰めてふたりの姿を見つめる。それを破るように、風間が小さく手を叩いた。
「さ、見学はここまで。次は自分たちの番だ。隣の操作ルームに移動するぞ。」
夜桜たちは気を引き締めながら隣の部屋へと向かった。そこには模擬操作用のシミュレーションドローンといくつかの小型モニターが並んでいる。
泉が端末を起動しながら、落ち着いた声で説明した。
「前回のドローンは、凊佐さんが遠隔で20機以上を一斉制御し、敵を撃退する役割でした。ただ、負荷が大きく、実際に戦ってもらう以上に彼の体力を消耗していました。」
夜桜が真剣に聞き入る。
「新型のドローンは、数を絞り、凊佐さんの周囲でのみ連携する形で、戦闘支援に特化しています。攻撃支援、防御支援、情報収集が主な機能です。」
泉はモニターに映るドローンの動きを示しながら言った。
「夜桜さんはこのドローンを操作してもらいます。偵察と防御が得意な機体で、オールマイティといったところでしょうか。」
「さっき見た凊佐さんの動きを意識して、連携を前提にした挙動を練習していきましょう。」
夜桜は緊張しながらもスティックを握り直す。映し出される仮想フィールドの中で、青いシルエットで表されたターゲットが走り出す。彼に遅れず、無駄なくドローンを動かす――それが目標だった。
風間が背後で腕を組みながら声をかける。
「ドローンはお前の手足でもあり、あいつの目にもなり得る。そういう気持ちで飛ばせ。」
夜桜は「はい!」と返事し、息を吸い込んで集中を深めていった――。
***
昼時。
食堂に向かう途中、ふとトレーニングルームを見ると、ちょうど橋本がタイマーを止めたところだった。
短い指示に、凊佐は無言で頷き、マットの端へと歩いていく。
汗で濡れた上着をずらすと、左肩にぐるぐると巻かれた白い包帯が露わになる。見慣れているはずの橋本でさえ、少し眉をひそめた。
橋本が包帯の上から慎重に手を当て、何かを聞いていた。凊佐は「平気だ」とでも言うように頷いている。
ガラスの前で、夜桜は思わず拳を握りしめていた。
拠点の食堂に人が戻り始めると、凊佐と橋本もトレーニングルームから出てきた。橋本はどこか満足そうな顔で凊佐の背中を軽く叩いた。
「今日はだいぶ感覚が戻ったな。無理は禁物だ、今日の体力トレーニングはこれで終わりにしよう。」
凊佐は無言で小さく頷くだけだった。額には汗がにじみ、タオルを首にかけたまま歩いている。
食堂に入ると、風間が笑って声をかけた。
「お、いいタイミング。準備ができたぞ。」
泉が静かに笑いながら席を確保し、昨日大西が焼きすぎたパンや湯気の立つスープが運ばれてくる。
凊佐は、いつも通り夜桜の隣の椅子に座る。一瞬だけ、二人の目が合う。
夜桜は咄嗟に小さな声で「お疲れさま」と呟いた。
凊佐は一拍置いて、再び静かに頷いた。
皆が和やかにパンをちぎり、スープをすくっている中、橋本がふいに凊佐の隣へ身を寄せて囁く。
その瞬間、凊佐の視線が一瞬宙をさまよう。
そして彼は、それまでいつも膝の上に置いたままだった左手を、そっと机の上に持ち上げる。誰もそのことには触れず、ただ視線だけをそっと送った。
風間があえて何気ない口調で話題を振る。
「そういや、泉。今日の午後の予定ってドローンの実地訓練までいけるんだっけ?」
泉がスープを啜ってから、いつもの落ち着いた口調で答える。
「はい、調整があると思って準備しておきました。天候も午後は安定するようですし。」
会話が途切れると、皆が静かに食事を終えはじめる。凊佐もゆっくりとした動作のままスプーンを置き、左手を机の上でそっと引いた。
橋本が彼の横を通り過ぎる際、さりげなく肩に手を置いて称えたのがわかった。
やがて風間が立ち上がる。
「じゃ、動くか。準備できてるんだろ?」
泉が端末を閉じ、立ち上がりながら言った。
「はい、モジュールはすでに拠点の南側に展開済みです。データリンクも問題ありません。」
夜桜も立ち上がり、深呼吸をひとつ。
「頑張ります!」
外の陽射しはすでに柔らかく、午後のトレーニングにはちょうどいい気温だった。
一行は食堂を出て、南側の実地訓練フィールドへと向かう。そこにはすでにドローンポッドと仮設タワーが並び、戦術演習用の構造物が配置されていた。
遠くで準備を整える技術班の姿が見え、フィールドの中心には青いマーカーで囲われたリングが輝いている。
風間が振り返り、夜桜に声をかける。
「ここからは実戦モードだ。午前中にやった連携を忘れるな。」
夜桜は真剣な表情で頷く。「はい!」
訓練用ドローンが一機、低くうなるような音を立てながらホバリングを始める。凊佐も、その動きを静かに見つめていた。
風間が笑みを浮かべて言う。
「さて、どっちが主役か、試してみようか。」
――午後の訓練が、静かに幕を開けた。
訓練に集中している一行。夜桜のドローン操作も少しずつスムーズになってきて、風間や泉からも的確なアドバイスが飛ぶ。凊佐もドローンの横で行動するのに慣れてきたようだった。
風間がふと空を見上げ、「よし、これで一通りの動きは確認できたな」と声をかけた。
その時、不意に施設のサイレンが鳴り響き、緊迫した空気が走る。
「敵襲だ!全員、戦闘態勢に移れ!」
橋本が冷静に指示を出し、隊員たちは一斉に装備を整え始めた。
夜桜もすぐにドローンを起動し、臨戦態勢に入る。
サイレンの余韻が消えぬまま、風間の声がインカムを通して響いた。
「夜桜、今回は少し凊佐から離れて敵の偵察と妨害をしてくれ。俺と泉は攻撃支援にまわる。」
「了解!」
夜桜は息を整え、コントローラーを握る手に力を込める。
ドローンが静かに宙に浮かび、青白い輪郭をきらめかせながら加速した。
風間の大型ドローンと泉の支援機が交互に前線を制圧する中、夜桜の機体は上空から全体を俯瞰し、複数の接近反応を捉えていた。
その時、障害物の影からパルスが飛びかかってきた。
「来るっ!」
夜桜はスティックを一気に切り、ドローンを横滑りさせてパルスの攻撃をかすめるようにかわす。パルスは不意を突かれ、距離を取るように退いた。
「お前、センスあるな!」風間の驚きが感嘆に変わる。
だが、夜桜自身はまだ手応えを探っていた。「もっと、いい動きがあるはず……」
夜桜の目が、戦場を走る凊佐の背後に不穏な影を捉えた。その瞬間、彼女は一瞬のためらいもなく叫ぶ。
「凊佐、後ろっ!」
凊佐は反射的に振り返り、左腕を持ち上げようとする。
だが、夜桜はその動きにわずかな「引っかかり」を見た。
(肩が、上がってない)
即座に操作スティックを切る。
ドローンが青白い光を放ちながら急降下し、鋭い翼を広げて凊佐の頭上に割り込む。
金属がぶつかる甲高い音が響き、パルスは弾き飛ばされた。
「間に合った……!」
夜桜の息が、緊張と安堵に震えて漏れる。誰も気づいていない。でも、自分だけは見逃さなかった。そう確かに思えた瞬間だった。
凊佐は小さく振り返り、ドローンを見つめた。その目が、一瞬だけ感謝を宿す。
隊員たちも状況を把握し、ほっと息を漏らす。
そのまま順調に作戦が進み、敵がほぼ制圧されたのを確認すると、風間が息をつく。
「予想より少なかったな。」
泉もドローンを収めながら答えた。
「ですね。直前の報告ではもう少し数がいたようですが。」
「……助かった」
拠点の中に帰ってきた凊佐がすれ違いざまに呟く。
これからは自分も誰かを守れる、それだけで、夜桜は嬉しくて仕方がなかった。