#2 来訪者
白地に、黒い活字でこう書かれていた。
『パルス対策本部 / 人材管理課』
パルス。5年前。あの街が、空に飲み込まれた日。恐ろしいほどの快晴、空に浮かぶ巨大な黒い塊、そして、最後に見た頼りなげなあの子の背中――
その全てが胸をざわつかせる。
テーブルの隅では、夕飯の味噌汁の跡がまだ乾ききっていない。さっきまでここに座っていた男の姿だけが、ぽっかりと抜けている。
いまだに起きたことが飲み込めず、夜桜はもらった名刺を、指先で何度も撫でていた。
数時間前。
道には紫陽花が咲きはじめ、夜桜は友達のリンと、新作のスイーツについて語り合っていた。
夜桜は相づちを打ちながら、向こうの車道の方へ目をやる。
黒塗りの車。スーツ姿の男たち。視線がこちらに向けられているような気がして、急いで目をそらす。
「ここんとこ、毎日同じとこに立ってるんだって。ヤオあんた、なんかやらかしたんじゃない?」
「やめてよー」
他愛もない会話を交わしながら、いつもの交差点で足を止める。
「バイバイ、また明日」
「うん、またね」
そのすぐあと、夜桜の家に来客があった。
インターホン越しに名乗ったのは、さっきの黒服の男。
いち早く玄関に出た母は、何かを短く話し、私を呼ぶ。
「夜桜、ちょっと来なさい。政府の人らしいわ。」
テーブルの上には、食べ残しの味噌汁と、政府の名刺。
なんとも胃に悪そうだ。
「こんばんは。お時間を取らせて申し訳ありません。」
淡々と、けれど丁寧に男は話し出した。
「数日前、ショッピングモールで出会った少年を覚えていらっしゃいますか。」
屋上へ向かう白髪の少年――セイサ。
この世界の空気とはどこか違う、儚い気配。
彼はあの後どうなったんだろう?
男がタブレットを取り出し、映像を見せてくる。
夜桜とセイサが並んで立っている、それが「異常事態」だという。
そんなの、知らないよ。
それでも、自分が屋上に惹かれた理由だけは、なんとなくわかっていた。
「正式な申し出です。来週、我々の本部にお越しいただけませんか。詳しいことはそちらで話します。無理にとは言いません。ただ――」
一拍、間があく。
「……世界を、変えられるかもしれません」
***
そして今。夜桜は、名刺をもう一度裏返す。やっぱり裏には何も書かれていない。
それなのに、目を逸らすことはできなかった。
隣の部屋から母の笑い声がする。
まるで、何も変わっていないみたいに。
でももう、自分がただの傍観者ではいられないことだけは確かだった。