#16 発進
橋本たちと別れてから数日。
新たなパルスの兆候もなく、一同は平穏な日々を楽しんでいた。
日が落ちかけ、仮設の灯りがぽつりと点る。拠点の車両のそばには、簡易テーブルと折りたたみ椅子。缶詰、スナック、温められたインスタントスープ──
「ま、悪くないっしょ。星も出てきたし!」
満足げにスープをすすった大西が、空を指さして笑う。
「火、使っちゃダメかな?雰囲気だけでもさ」
「やめとけ、どうせ大西が何か燃やすから」
「え?ひどっ!?」
笑い声が柔らかく夜に溶けていく。焚き火こそないが、周囲は静かで、遠くに虫の音が響いている。
「こんな静けさ、久しぶりかも」
夜桜が空を見上げる。
頭上には、満天の星。都市だった頃には見えなかった光だなあとふと思う。
「たまにはこういうのもいいな」
夏井は地面に背をつけ、上着を枕にして星を見ていた。
凊佐はテーブルの端に座って、黙って食事をつまんでいる。夜桜が彼の隣でぼんやり虫の鳴き声を聞いていた。
「平和だなぁ〜」
夏井があくびをしながら言う。
なんでもない普通の夜。すっとこうならいいのにな。なんてありきたりなことを考えた、その時だった。
ドォン──ッ!
鈍い音が地面を震わせる。振り返ると巨大な物体が仮拠点の車両の奥に転がっていた。空を見上げる。無数の黒い塊が地上を目掛けて降ってくる。
ズドォオオン!
「やべえ!車に戻れっ!」
大西の叫びと同時に、4人は一斉へ車両へ駆け出した。
地面が揺れ、金属が軋む音が響く。
夜桜が戸を閉めたかどうかというところで、何かがキャンパー車両の屋根に直撃した。
天井が内側に大きく凹んでる。
「……天井、もたない……!」
「車動かして。早く!」
大西が慌てて地図とモニターを確認し、車両が急発進する。
振り返った夏井が窓の外を見て、絶句した。
「あれ、合体してないか……?」
車両の上に落ちた何かは、水のように流動しながら形を変え、別の塊と一体になる。
パルスが雨のように降り続き融合する姿だった。
ドン、ドン!と何かが叩きつける音が止まらない。
「クッソ、どこに逃げればいいっていうんだ。」
その時、夜桜はハッとし、横から操作パネルに手をかけた。
車両は田んぼだった場所を抜け、郊外の狭い路地を激しく揺れながら走る。
後方では、合体を続けるパルスの残骸が地を這うように追いすがってくる。
「どこに向かってるの!?」
夏井が叫ぶ。夜桜は、ハンドルを切りながら短く答えた。
「旧地下鉄。ここの下に通ってるの」
「つか、地下って大丈夫なのかよ!?閉じ込められるとか──」
大型モニターに映された地形図には、廃駅と思しき構造物が浮かんでいる。古いデータだが、他に逃げ道はなかった。
大西の叫びに夏井が低く返す。
「地上で潰されるよりマシだな」
車両が突き進んだ先に、崩れかけたコンクリのアーチが見えた。《旧2号線 南入口》──錆びた標識がかろうじて読める。
「入れるか!?」
「行く!」
ブレーキをかけずに、車両はそのまま傾斜のある入口に突っ込んだ。車体の底がコンクリの縁に、ガンッ!と跳ね、車内が揺れる。
背後でトンネルの入り口が崩れ落ちる音が続いた。何とか抜けきった。
「……止まった?」
「今のうちに、周囲を確認する」
夏井が素早く武器を手にして車両から降りる。
凊佐もドアを開け、警戒しながら降りた。
「地下構造は広い。しばらくここでやり過ごせるかもしれない」
「じゃあ、探索だな」
夜桜が深呼吸し、非常用のリュックを肩に担ぐ。
暗い構内に、4人の足音が吸い込まれていく。
「ここ……電波、ほぼ入らねえな」
大西が苦い顔をして通信機を確認する。
「でも、上から降ってくるパルスからは隠れられる。しばらくここでやり過ごせるかもしれない」
ホームの壁はひび割れ、天井からは水が滴っている。錆びついた看板には、かろうじて「下津潟中央駅」の文字が読めた。
***
数時間後。最低限の明かりと安全確保を終え、4人は構内の奥へと慎重に足を進めていた。古びた電光掲示板、崩れた天井、誰もいないプラットホーム。
「この奥に地下鉄の車両がある。何か残ってるかもな」
やがて、一両だけ異様にきれいな車両が目に留まった。
夏井が先行し、凊佐と大西、夜桜が後に続いて中に入る。
他が錆と汚れにまみれている中で、それはまるで昨日まで動いていたかのように整っていた。
「期待したけど、何もないなー」
少し見回り、みんながホームに戻り始める。最後に続いた夜桜は、最後尾の座席にふと目を留めた。
「ねえ、これ──」
その時。
「夜桜、出ろ!」
凊佐の叫びが聞こえた瞬間、「バシュン!」ドアがスライドした。夜桜が慌てて体を向けるが、すでに間に合わない。
──反射的に走り込んだ凊佐が、勢いそのままに左手をドアの隙間に突っ込んだ。
車両が、ゴウンッ──と低い音を立てて動き出す。
「っ……!」
無情にも彼の体が引きずられ、金属の縁が腕を締め付ける。
ギリ、ギリ……ギギギ……加速する車両。あと数秒で、ホームの端──コンクリートの壁が目前に迫る。
凊佐は顔を歪めながら、全身に力を込めた。
ガコンッ!!
金属のきしむ音とともに、凊佐の体が車内へと放り込まれた。
「凊佐ッ!」
夜桜が思わず駆け寄る。凊佐は肩で息をしながら、左手を押さえていた。が、顔には痛みよりも、安堵の表情が浮かんでいた。
車両はそのまま二人を乗せて、トンネルの奥へと滑り込んでいく。
窓の端から、構内の灯りが遠ざかっていった。
構内には、ただ呆然と立ち尽くす夏井と大西の姿。追いかける間もなく、目の前で起きた現実が、遅れて胸に落ちる。
「マジかよ……」
大西は思わず線路沿いを数歩駆け出すが、すぐに立ち止まった。
見送る背中すら、もう闇に消えたあとだった。
「無事でいてくれよ」
しばらくして、夏井がぽつりと呟く。
沈黙の中、二人は互いに目を合わせ、構内の奥を見つめた。やるべきことは明白だ。だが、その背中にはどこか、ぽっかりと穴が開いたようだった。
***
車両の中。夜桜は、凊佐をまっすぐ見つめて言う。
「……ありがとう。怪我はない?」
彼は小さく頷くような仕草を見せ、すぐに辺りを警戒し始めた。無言で、ただ彼がそこにいてくれることに、心から安堵していた。
一人じゃなくてよかった。それが、言葉になる前に胸に染み込んでいく。
二人の呼吸だけが、静かにトンネルの闇に響いていた。