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空域ノ記憶  作者: 湯川 空
はじまり
14/37

#14 夜明け前の選択

医務室の扉の前で、夜桜(やお)は立ち尽くしていた。

中から聞こえる足音や話し声に何度も耳を澄ますが、扉は頑なに閉ざされたまま。


だがやがて、カツ、カツ、と硬い足音が近づいてきた。

扉が開く。

橋本艦長だ。


目を合わせて、一歩前に出る。


「どうして、止めなかったんですか」


橋本は足を止め、静かに夜桜を見下ろす。その瞳には、怒りも後悔もなかった。ただ、冷静な問いかけのように返す。


「私情で判断を誤れば、民間に被害が出る。凊佐(せいさ)ひとりの()(きず)か、それとも、何も知らず暮らす人々の安全か。我々は、どちらを優先すべきだった?」


夜桜は言葉を詰まらせ、それでも目を逸らさずに口を開いた。


「……どっちも守る道はないんですか」


その一言に、橋本の表情がわずかに揺れた。けれど何も言わない。

沈黙のなか、ふたりの視線がぶつかる。夜桜の目には、怒りと悲しみが入り混じり、橋本の目には、それをまっすぐに受け止める覚悟が浮かんでいた。しばしの睨み合いの末、橋本は先に視線を外し、無言のまま歩き去っていく。夜桜はその背中を見送りながら、拳を握りしめた。


広間に戻ってみると、分かれて行動していたみんながゾロゾロと戻ってきていた。みんなの顔には、安堵の色が浮かぶ一方で、疲れ切った目が印象的だった。風間の腕には、動かなくなったドローンが何機も抱えられている。拠点の外側には、戦闘の傷跡が生々しく残っていた。ボロボロになった分隊のホバー車両が無数のパルスの残骸の中に静かに佇んでいる。


そんな中、重厚なエンジン音を響かせて一台の装甲車がゆっくりと進んできた。車体は埃にまみれているが、その姿は隊員たちに一筋の光をもたらすかのようだった。

外で車両のエンジンが低く唸りを止める。土煙の中、黒瀬と大西が姿を現した。黒瀬は疲れた隊員たちに向けて、力強く声をかける。


「よくやった!間に合わなくてすまんな。だが、今日はゆっくり休め。明日、今後の話をしよう。」


本部から届いた豪華な夕食を前に、皆疲れを忘れて、お祝いムードになっていた。

大西はテーブルに腰を下ろすやいなや、手当たり次第に食べ物をかき込む。

風間が苦笑いしながら、壊れたドローンをテーブルの端に並べていた。


「おいおい、お前何もしてないのに、一番食いやがって!」


誰かが笑いながら突っ込むと、大西はにっこり笑って片手をあげる。


「うむあむ、ん、なに?もちろんうまいぞ。みんな食べなくていいのか?」


周囲からは笑い声が上がり、みんなの疲れも少し和らいだ。


そんな賑わいの中、黒瀬はご馳走の一部を手に、その場を離れた。


医務室の扉を叩く。返事はなかったが、中からゴソゴソと動く音が聞こえたのを確認し、そのままドアを開ける。


「二人で楽しく晩餐といこうじゃないか」


凊佐は目を丸くして、戸惑いながらもそっと手を伸ばした。


「黒瀬…?」


「ああ、会わないうちに顔も忘れたか?なんてな。」


黒瀬は笑いながら床にどかっとあぐらをかき、明るい調子で続けた。


「夜桜っていう、あの子はどうだ?」


凊佐は表情を少しだけ変え、わずかに肩をすくめた。


「変なやつ」


声の端に混じる柔らかさに、黒瀬は目を細めた。

凊佐が彼女を悪く思っていないことなど、最初から分かっていた。


「はっはっは。真っ直ぐで面白い子だよな。うまくやっているようでよかった。」


黒瀬は一口つまみながら、ふと真顔になって言った。


「で、お前の方は、どうなんだ?」


凊佐は一瞬、目を伏せる。


「いつも通り。今日はちょっと疲れただけ。」


「無理はするなって、皆言うが……お前は、本当に無理しかしない」


黒瀬の声は穏やかだったが、芯にあるものは鋭かった。

凊佐は返答に詰まり、口を閉ざす。少しの沈黙ののち、黒瀬が笑う。


「いいか、ここには替えはいない。特にお前はな」


凊佐の手が、食べ物を持ったまま少しだけ震える。黒瀬はそれを見逃さなかったが、何も言わず、手近にあった瓶の水を差し出した。

ぽんと凊佐の背中を軽く叩いて、


「それにしても、よくやったよ。ほんとに」


そう呟く黒瀬の声は、心からの労いに満ちていた。


***


翌朝、拠点の広間に集められた面々の前で、黒瀬が現状と今後について説明を始めた。


「提案なんだが、この車両型拠点も一度、本部で整備し直さないか。動力、通信、装甲、まとめて修理・アップグレードしたいと思ってる」


「賛成です。あれにもう一度襲われたら、今のままじゃもたない」

「機材も壊滅的だ。直すなら今だろう」風間がすぐに同意する。


黒瀬は頷き、話を続けた。


「だが、ここを完全に空にするわけにはいかない。最低限、現地には人を残しておきたい」


短い沈黙のあと、凊佐がぼそりという。


「……残る」


「体はどうだ?」


「休めば問題ない」


それに続くように、夜桜も小さく手を上げる。


「私も」


だが黒瀬は腕を組み、少し考えるように眉を寄せた。


「二人だけってわけにもいかないな。もう少し人を──」


「橋本さんが残ってくれたら、安心でしょう」


風間が当然のように言うと、橋本はわずかに眉を上げた。


「いや、わしは今回は現場を離れる。本部で直接報告しなければならんし、装備の再編成も見届けねば」


「え?橋本さん残らないんですか?」


風間が驚いた声を上げる。橋本は無表情のまま肩をすくめた。

黒瀬がふっと笑って声を張った。


「──じゃあ、大西。お前、残れ」


「え!?俺!?」


大西は豪快に叫んだ。


「戦いに参加してもないのに、ご馳走を半分も食ったやつは誰だ?」


黒瀬がからかうように言うと、大西は「むぐぅ」と唸って肩を落とす。


「夏井も頼む。こいつらだけじゃ、何かあったときに対応できない」


少し間を置いて、夏井は静かに頷いた。


「……了解。まあ、嫌な顔ぶれじゃないし」


こうして、誰もが予想していなかった組み合わせで、拠点に残るメンバーが決まった。

凊佐、夜桜、大西、夏井──騒がしく、しかし頼れる少数の分隊が、改めてこの地に残ることになったのだった。


黒瀬がみんなに指示を出しつつ出発の手筈を整える。その横で、大西がふんふんと鼻歌を歌いながら大きな機材ケースや資材をいくつも運び出していた。


「この拠点は一時閉鎖、主施設は本部へ回送。修復と再構築に最低でも二週間はかかる見込みだ」


橋本艦長の声が響く。


「ドローン班と後方部隊は、本日付で全員撤収。残るのはこのキャンパー車両一台、監視設備、そして──」


「俺と、凊佐と、夜桜、夏井も、だろ?」軽く手を上げた大西が言った。


「そうだ」橋本が頷く。


夜桜は小さく息を呑み、だが即座に表情を引き締めて頷いた。自分で申し出たことだ。今さら怯む理由はない。


「以上だ。荷物をまとめろ。30分後に本部送還車両が出る」


橋本が告げて会議を切った瞬間、皆が立ち上がり、忙しなく動き出す。だがその中で、夜桜はひとり、その場でそれを眺めていた。


凊佐が隣に来る。

何かを言うわけではなかったが、挨拶のつもりなのかもしれない。

夜桜はその背を見送り、ひとつ深呼吸をした。


今度は、自分の意志でここに残る。──彼女の中で、確かな何かが始まろうとしていた。

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