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空域ノ記憶  作者: 湯川 空
はじまり
13/37

#13 限界

ほの暗い空に、低く唸るような風が吹いている。その中で、出撃準備を終えた隊員たちが広間に集まりつつあった。


「よし、揃ったな」


橋本艦長が一歩前に出る。その隣には、ドローンの制御端末を抱えた風間と、軽装の夏井が並ぶ。


「今回はドローン二十機を同時に投入する大規模制圧作戦だ。現地の制圧班は、風間・夏井、それに各班の隊員たちが担当。本部での遠隔支援は凊佐(せいさ)、泉、夜桜(やお)、そしてわしが指揮を執る。準備はできているか?」


凊佐は橋本の視線を受け止め、黙って頷いた。


「ドローン二十機全てと同時に接続し、各地に散らばったパルス群のコアを遠隔で制圧する。異常があれば、即座に報告を。無理に押し通す必要はない」


橋本はそう言いつつ、一人一人と目を合わせる。彼の視線には、確かな重みが宿っていた。


「現地部隊、出発!」


橋本の号令とともに、風間と夏井が各ドローン班を率いて拠点を発った。制御室では、冷たい空気の中、静かに緊張が高まっていた。


やがて作戦開始の合図が下された。

ドローンが一斉に空へと舞い上がる。

鋭い羽音を響かせながらパルスの大群へと突入した。小さな黒い機体が群れをかき分けるように進み、確実に複数のコアを停止させていく。


「コア停止確認。順調です。」


泉の冷静な声が無線に響く。

風間は慎重にドローンを操作しながら、無線でパルスの動きを的確に伝える。


「パルスの反応が徐々に減ってきている。効いているぞ」


橋本艦長は冷静に指示を出し続ける。


「よし、このまま中枢を徹底的に狙え。確実に一つずつ潰すんだ」


初動はまさに作戦通りだった。隊員たちの動きも息が合い、緊張感の中に確かな手応えがあった。


だが、戦闘が進むにつれて、次第にパルスの数が増えていった。無数の小さな影が草むらから湧き出し、徐々に包囲網を狭めていく。


「パルスの密度が急激に上昇中。予想を大きく上回っています」


泉の声にわずかな焦りが混じった。


「風間、警戒を強めろ。ドローンの動きが制限され始めている」


橋本艦長が声を張り上げる。

夏井と風間が指揮する散開部隊は、数の多さに押され気味だった。


「こちら夏井、正面右翼が押されている!追加支援を頼む!」


夜桜は双眼鏡を握る手に力を込めながらも、焦る気持ちを抑えて状況を伝えた。凊佐は制御室で黙々と左手をターミナルに添え、信号をドローンへと送り続けていた。だがその表情には、疲労の色がにじみ始めていた。


「マズイな」風間がつぶやき、凊佐の状態を示す波形に目をやる。橋本艦長の顔にも、険しさが増していく。

数分とたたないうちに、凊佐の動作が、目に見えて鈍くなっていった。ターミナルに添えられた左手が震え、脳波同期を示すインジケーターが不安定に点滅する。彼の額には玉のような汗、唇は乾ききって白くなっている。


ぽたり。


赤い滴がキーボードに落ちた。


「……ッ!」


凊佐の鼻先から、じわりと血が流れていた。それでも彼は手を離さない。焦点の合わない目で前方を見つめ、リンクを維持し続けている。

ついに彼の身体がよろめき、左手がターミナルから離れかける。


「凊佐の負荷が限界です!」


泉が立ち上がり、駆け寄る。


「このまま続ければ意識を飛ばしかねません!一旦リンクを──」


「今止めたら意味がない」


橋本の声が、鋭く制御室に響いた。


「続けろ」


その声を聞いて、凊佐がふらつきながらも再び手を伸ばし、ターミナルをつかむ。

その身体は今にも崩れそうに揺れていた。それでも命令に従い続けている。


「やめて、もう、無理だよ」


声がかすれる。涙が込み上げるのを止められなかった。

だが、聞こえていないふりをするように、凊佐は首を振った。

何も映っていない宙を見つめ、意識を頭の中の世界に深く沈めていく。


その直後だった。


凊佐の背後で、モニターの表示が一気に切り替わる。中央にあったリンクラインが閃光のように輝き、その波形が爆発的に上昇する。


「……! 出力計が振り切れています!」


泉が思わず叫ぶ。

同時に、ドローンから放たれた高周波が広域に走り、辺り一帯に展開していたパルスが一斉に硬直した。群れの動きが、ぱたりと止まる。


「周囲、停止確認! 全域に反応なし!」


風間の興奮した声が、無線に響き渡る。

泉も即座にモニターを確認する。


「パルスからの応答、完全に途絶えました。──作戦、完了です!」


その瞬間だった。ターミナルに添えた凊佐の左手がすとんと滑り落ちた。支えを失った身体は、そのまま前のめりに崩れ落ちる。

「凊佐!!」夜桜が駆け寄る。凊佐は意識が朦朧とし、浅い呼吸のたびに肩が小刻みに揺れている。鼻からの出血は止まっておらず、顔色はひどく蒼白だった。

そして、操作を終えたドローンたちも、まるでその使命を終えたかのように、次々と地面に降下し、停止していく。静寂が制御室に広がる。戦場に残されたのは、制圧されたパルスと、動かなくなった黒い機体たち。

橋本艦長の声が低く響いた。


「回収を急げ。凊佐も運べ」


それは、感情を差し挟む隙のない、ただの命令だった。

夜桜はその言葉に、唇を噛み締めながら、凊佐の背に手を添えた。


***


凊佐がうっすら目を開けると、視界に天井がぼやけて映る。

薄明かりの医務室。

電子音が規則的に脈を刻んでいる。冷たい点滴の感触が、左腕からじわじわと染み込んでくる。


足音が止まり、誰かが傍らに立つ。目を向けなくても、わかる──橋本だ。

沈黙が、しばらく続いた。


「悪かった」


その一言は、誰に聞かせるでもない、小さな声だった。


「無理するなと言いながら、選ばせる場も設けなかった」


凊佐は返事をしなかった。というより、できなかった。

橋本は、少しの間そっと凊佐の手を両手で包むように握ると、そのまま何も言わずに立ち去った。

扉が閉まる。


「どうして、止めなかったんですか」


ちょっとお節介な彼女の真っ直ぐな声が扉の向こうから響いた。


その声を聞きながら、もう一度静かな暗闇に身を預ける。

その時彼が、ほんの少し穏やかな夢を見たことは、誰も知らなかった。

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