#13 限界
ほの暗い空に、低く唸るような風が吹いている。その中で、出撃準備を終えた隊員たちが広間に集まりつつあった。
「よし、揃ったな」
橋本艦長が一歩前に出る。その隣には、ドローンの制御端末を抱えた風間と、軽装の夏井が並ぶ。
「今回はドローン二十機を同時に投入する大規模制圧作戦だ。現地の制圧班は、風間・夏井、それに各班の隊員たちが担当。本部での遠隔支援は凊佐、泉、夜桜、そしてわしが指揮を執る。準備はできているか?」
凊佐は橋本の視線を受け止め、黙って頷いた。
「ドローン二十機全てと同時に接続し、各地に散らばったパルス群のコアを遠隔で制圧する。異常があれば、即座に報告を。無理に押し通す必要はない」
橋本はそう言いつつ、一人一人と目を合わせる。彼の視線には、確かな重みが宿っていた。
「現地部隊、出発!」
橋本の号令とともに、風間と夏井が各ドローン班を率いて拠点を発った。制御室では、冷たい空気の中、静かに緊張が高まっていた。
やがて作戦開始の合図が下された。
ドローンが一斉に空へと舞い上がる。
鋭い羽音を響かせながらパルスの大群へと突入した。小さな黒い機体が群れをかき分けるように進み、確実に複数のコアを停止させていく。
「コア停止確認。順調です。」
泉の冷静な声が無線に響く。
風間は慎重にドローンを操作しながら、無線でパルスの動きを的確に伝える。
「パルスの反応が徐々に減ってきている。効いているぞ」
橋本艦長は冷静に指示を出し続ける。
「よし、このまま中枢を徹底的に狙え。確実に一つずつ潰すんだ」
初動はまさに作戦通りだった。隊員たちの動きも息が合い、緊張感の中に確かな手応えがあった。
だが、戦闘が進むにつれて、次第にパルスの数が増えていった。無数の小さな影が草むらから湧き出し、徐々に包囲網を狭めていく。
「パルスの密度が急激に上昇中。予想を大きく上回っています」
泉の声にわずかな焦りが混じった。
「風間、警戒を強めろ。ドローンの動きが制限され始めている」
橋本艦長が声を張り上げる。
夏井と風間が指揮する散開部隊は、数の多さに押され気味だった。
「こちら夏井、正面右翼が押されている!追加支援を頼む!」
夜桜は双眼鏡を握る手に力を込めながらも、焦る気持ちを抑えて状況を伝えた。凊佐は制御室で黙々と左手をターミナルに添え、信号をドローンへと送り続けていた。だがその表情には、疲労の色がにじみ始めていた。
「マズイな」風間がつぶやき、凊佐の状態を示す波形に目をやる。橋本艦長の顔にも、険しさが増していく。
数分とたたないうちに、凊佐の動作が、目に見えて鈍くなっていった。ターミナルに添えられた左手が震え、脳波同期を示すインジケーターが不安定に点滅する。彼の額には玉のような汗、唇は乾ききって白くなっている。
ぽたり。
赤い滴がキーボードに落ちた。
「……ッ!」
凊佐の鼻先から、じわりと血が流れていた。それでも彼は手を離さない。焦点の合わない目で前方を見つめ、リンクを維持し続けている。
ついに彼の身体がよろめき、左手がターミナルから離れかける。
「凊佐の負荷が限界です!」
泉が立ち上がり、駆け寄る。
「このまま続ければ意識を飛ばしかねません!一旦リンクを──」
「今止めたら意味がない」
橋本の声が、鋭く制御室に響いた。
「続けろ」
その声を聞いて、凊佐がふらつきながらも再び手を伸ばし、ターミナルをつかむ。
その身体は今にも崩れそうに揺れていた。それでも命令に従い続けている。
「やめて、もう、無理だよ」
声がかすれる。涙が込み上げるのを止められなかった。
だが、聞こえていないふりをするように、凊佐は首を振った。
何も映っていない宙を見つめ、意識を頭の中の世界に深く沈めていく。
その直後だった。
凊佐の背後で、モニターの表示が一気に切り替わる。中央にあったリンクラインが閃光のように輝き、その波形が爆発的に上昇する。
「……! 出力計が振り切れています!」
泉が思わず叫ぶ。
同時に、ドローンから放たれた高周波が広域に走り、辺り一帯に展開していたパルスが一斉に硬直した。群れの動きが、ぱたりと止まる。
「周囲、停止確認! 全域に反応なし!」
風間の興奮した声が、無線に響き渡る。
泉も即座にモニターを確認する。
「パルスからの応答、完全に途絶えました。──作戦、完了です!」
その瞬間だった。ターミナルに添えた凊佐の左手がすとんと滑り落ちた。支えを失った身体は、そのまま前のめりに崩れ落ちる。
「凊佐!!」夜桜が駆け寄る。凊佐は意識が朦朧とし、浅い呼吸のたびに肩が小刻みに揺れている。鼻からの出血は止まっておらず、顔色はひどく蒼白だった。
そして、操作を終えたドローンたちも、まるでその使命を終えたかのように、次々と地面に降下し、停止していく。静寂が制御室に広がる。戦場に残されたのは、制圧されたパルスと、動かなくなった黒い機体たち。
橋本艦長の声が低く響いた。
「回収を急げ。凊佐も運べ」
それは、感情を差し挟む隙のない、ただの命令だった。
夜桜はその言葉に、唇を噛み締めながら、凊佐の背に手を添えた。
***
凊佐がうっすら目を開けると、視界に天井がぼやけて映る。
薄明かりの医務室。
電子音が規則的に脈を刻んでいる。冷たい点滴の感触が、左腕からじわじわと染み込んでくる。
足音が止まり、誰かが傍らに立つ。目を向けなくても、わかる──橋本だ。
沈黙が、しばらく続いた。
「悪かった」
その一言は、誰に聞かせるでもない、小さな声だった。
「無理するなと言いながら、選ばせる場も設けなかった」
凊佐は返事をしなかった。というより、できなかった。
橋本は、少しの間そっと凊佐の手を両手で包むように握ると、そのまま何も言わずに立ち去った。
扉が閉まる。
「どうして、止めなかったんですか」
ちょっとお節介な彼女の真っ直ぐな声が扉の向こうから響いた。
その声を聞きながら、もう一度静かな暗闇に身を預ける。
その時彼が、ほんの少し穏やかな夢を見たことは、誰も知らなかった。