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空域ノ記憶  作者: 湯川 空
はじまり
12/37

#12 出撃前夜

作戦が終了し、通常任務に戻ったチームを迎えたのは、ぴんと張り詰めた静けさだった。

制御室のモニターには、依然として移動を続けないパルスの大群が映し出されている。観測ドローンが上空を旋回しながら、コアの反応を慎重に記録していた。


「行動パターンに大きな変化はありません。ただ、密度が徐々に上がってきています」


泉が淡々と報告をあげる。


「あれだけの数が動き出したら、この拠点ごと飲まれるぞ」


風間が低く言い、制御卓の前で腕を組んだ。


「明日、日の出前に出る。総力戦だ」


橋本艦長が決断を告げると、空気が一気に張り詰める。

夜桜(やお)は、制御室のガラス越しに凊佐(せいさ)の後ろ姿を見つめていた。すでに、明日の出撃の準備を始めている。同時に、整備班はドローンの再調整に取りかかり、戦闘班は武器と装備の点検を始めていた。夏井は工具片手に笑いながらも、手元は真剣そのものだった。


「遠隔制圧はうまくいったが、今度は規模が違う。数で押し込まれる前に、コアを狙う」


橋本は淡々と説明を続けながらも、各員の顔を確認していた。


「わしは指揮を取る。凊佐とリンクしたドローンは風間が、補助は泉が行う。夜桜、お前も行くぞ。現地での連絡と索敵支援を任せる」


「はい!」


短く応じながら、夜桜の心は静かに燃えていた。自分がチームの一員として、戦いの渦中にいることを、はっきりと感じていた。

──パルス大群制圧の本番は、すぐそこまで迫っている。


***


作戦前夜、拠点MB-07の休憩室。誰もいない時間を見計らって、夜桜はふらりと中へ入った。湯沸かしポットの音だけが、静かな空間に響いている。少しでも落ち着こうと、お茶を入れる。


しばらくすると、もうひとつの足音が近づいた。振り返ると、凊佐がいた。淡い灯りの下、どこか疲れた目をした彼が、黙って夜桜の隣に立つ。


「明日、いよいよだね」


声をかけると、凊佐は小さく頷いた。夜桜は、湯気の立つカップを持ったまま、口を開いた。


「作戦のあと、汗かいてたでしょ」


凊佐は無言のまま、飲み物を注ぎながら、わずかに視線を向ける。


「左手……つらいんじゃない?」


その問いかけに、ほんの一瞬凊佐の目が揺れたように見えた。彼はすぐに目をそらし、手元に視線を落とす。指を取っ手に通し、包み込むようにマグカップ支え直す。その左手は、小さく震えていた。


沈黙が、じわじわと濃くなる。


「ごめん、別に責めてるわけじゃなくて、ただ、無理してるんじゃないかって、気になって」


凊佐はさらに顎を引き、何かを堪えている。言葉を飲み込むように唇がわずかに動く。

そして、彼の指に、ぐっと力がこもった。


――ベキッ


軋む音が静けさを破る。


ガシャアァァン!!


厚手のカップが砕ける、悲鳴のような音が部屋に響いた。濁った液体が机から床へ飛び散り、破片がジャラ、と転がる。


凊佐は、呆然としたまま、ゆっくりと左手を開いた。

指先から破片がこぼれ落ちる。濡れた布が重たく垂れ、そこに何が起きたかを雄弁に物語っていた。

彼は、まるで自分のものではないかのように手を見つめている。口をきゅっと結び、眉間にはかすかな皺。

そして、何も言わないまま、そっと手を引いた。拳を握った指先が震えている。呼吸は浅く、けれど、ひどく静かだった。


夜桜も、何か言おうとしたけれど、言葉が出てこなかった。


その沈黙を破るように、遠くから声が響いた。


「おい、コラー! 何やってる!」


遠くから、低くて太い、でもどこか愛嬌のある橋本艦長の声。

凊佐は顔を上げると、低く短く言った。


「……使える。明日も、問題ない」


それだけ言い残し、凊佐は足早にその場を離れた。


「あらま、割っちゃったか」


顔を上げると、入れ違いに夏井が入ってきた。見守っていたのか、眠たそうな目をこすりながら、モップを手にしている。


「ごめんなさい。私が、余計なこと言ったのかも」


夜桜はぼろぼろとつぶやいた。

夏井はしゃがみ込み、夜桜の手からそっと破片を受け取る。


「泣きそうな顔してたら、せっかくの可愛さがもったいないぜ?」


おどけて見せた声は、いつもより少し優しかった。


「心配しなくてもあいつは寝て起きたらいつも通りだろうさ。」


夏井は破片をまとめて小さな袋に入れ、「よっこらしょ」と立ち上がる。


「さ、あなたもそろそろ寝なさいな。明日は大事な日なんだから」


夜桜は黙って頷き、立ち上がった。けれど、さっきまでの重苦しさは少しだけ和らいでいた。夜桜はふと思い出す。

『問題ない』

それは、道具としての宣言だったのか。それとも、自分に言い聞かせる言葉だったのか。

知りたい。ただの「戦力」なんかじゃない、彼自身を。そんな思いを胸に、夜桜は休憩室を後にした。

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