#1 ヤオとセイサ
もどかしく感じるところもあるかもしれませんが、気が向いた時にでものぞいてもらえたら嬉しいです。
モールは人でごった返していた。誰もが日常の喧騒に紛れる中、夜桜だけはどこか他人事のように歩いていた。ふと、階段の先に見慣れない扉が目に入る。
「関係者以外立入禁止」
ーーその先には、誰も入ってはいけない屋上がある。なぜか、今日はその扉が妙に気になって仕方なかった。
誰もくぐるはずのないその扉に、細身の少年がためらいもなく手をかける。堂々と歩いていく背中には、どこか現実味がなかった。
夜桜は、考えるよりも先に、自然と足が動いていた。
「ねえ。」
思わず、声が漏れる。
少年はピクリと反応したが、構わず進んでいく。
「ねえ、待って。行っちゃダメな気がする。」
夜桜は少し間を置いて、今度はやや強めの口調で声をかけた。
少年は何も言わず、階段を上がっていく。
「…死にに行くみたいな顔してるよ。」
閉まりかけた扉をこじ開けながら、夜桜はそう言った。
目が合った――そんな気がした。けれど、その瞳はどこか遠くを見つめている。
強い風が吹き、遠くでビルの金属がきしむ音とともに、低い声が落ちてくる。
「……何がしたい?」
夜桜は、少し考えて、それでも嘘はつかずに答える。
「わかんない。ただ……もし困ってるなら、話くらい聞くよ。」
その言葉に、少年の白い後ろ髪が、風に揺れながらわずかに震えた。彼は前を向いたまま、口元だけでつぶやく。
「……変なやつ。」
夜桜は笑った。
「よく言われる。」
「私はヤオ。あなたは?」
ほんのわずかな沈黙――
「……セイサ。」
それは、風の音に紛れてしまいそうなほど小さな声だった。
セイサは屋上の縁で立ち止まり、遠くに広がる曇り空を見つめたまま、小さく言った。
「……何も聞くな。」
夜桜は、そっと微笑んで隣に立つ。
「うん。聞かない。」
ふたりの間を風が吹き抜ける。
しばらくして、夜桜がぽつりと言った。
「黙ってそばにいるのは、得意なんだ。」
セイサはそれに返事をしなかったけれど、ほんの少しだけ、肩の力が抜けた気がした。
誰もいない屋上に、ただ静かに時間が流れていく。
やがて、慌ただしい足音が階下に響いた。振り返ると、さっきまで隣にいたはずの彼は、もうどこにもいなかった。