シルビアーナと茶番の王子様
(悪役令嬢ですって?クリスティアン殿下は現実と物語の区別もついていないの?)
シルビアーナは気が遠くなった。
悪役令嬢とは、近年の少女小説で流行っている用語だ。主人公の邪魔をする意地悪な令嬢を指しており、社交の一環でシルビアーナも把握している。
が、まさかこのような公的な場で叫ぶ者がいるとは。
(曲がりなりにも王族が!ああ!まさかここまで教育が無駄になっていたなんて!)
シルビアーナが絶望していると、この場に相応しくない甘ったれた声がした。
「ねぇ、クリスぅ。そんなに怒鳴っちゃ怖いよぉ。シルビアーナ様もお可哀想だしぃ、早く終わらせようよぉ」
クリスティアンに寄り添う少女、ローズメロウ・コットン男爵令嬢だ。サクランボのような唇を笑みの形にしてクリスティアンに擦り寄る。
チラリとシルビアーナを……流し目で挑発しながら。
カッ!と、シルビアーナの頭に血が昇る。
(私がどう思うかわかっていて貴女は!)
シルビアーナは表情を崩さぬよう気をつけつつ、扇の下で唇を噛む。
ローズメロウは嬉しそうに目を細めた。
クリスティアンはローズメロウを更に抱き寄せ、蕩けそうな甘い声で囁く。
「ああ、私のかわいいロージー。ロージーは素晴らしいな。優しいし、口うるさくないし、賢しらなことも言わないし、醜い嫉妬もしない。
おまけに、自分を虐げた【悪役令嬢】にも優しい。流石は私の最愛だ」
愛称呼び。しかも片手はローズメロウの片手と絡め合い、もう片手はローズメロウの腰を撫でるクリスティアン。目線は豊かな胸に釘付けだ。
(穢らわしい!触らないで!)
ギチリと扇にヒビが入る。怒り、失望、嫌悪よりも激しいこの感情は……嫉妬だ。
(先ほどから人前でなんと見苦しい!ここまで堕落された、いえ、成長できなかったのだわ!婚約から四年も学ぶ時間があったというのに!)
シルビアーナは激情に気が遠くなりつつ、努めて平静に聞こえるよう言葉を紡いだ。
「クリスティアン殿下、恐れながら申し上げます。私がコットン男爵令嬢を虐げた事実はございません」
「とぼけるな。私とロージーにしつこく『婚約者でもない異性に気安く触れたり、愛称で呼んではなりません』などと暴言を吐いていたではないか」
「人としての常識であって暴言では……」
「ええい!鬱陶しい!ともかく【悪役令嬢】の貴様とは婚約破棄だ!とっとと最果ての修道院にでも行くがいい!」
(そこまで仰りますか)
さらに騒然となる周囲とは逆に、シルビアーナは冷静さを取り戻す。
わずかに残っていた、クリスティアンに対する情が完全に消えたのだ。
(仕方ありません。私も最後のお役目を果たしましょう)
「クリスティアン殿下のお気持ちはわかりました。では、最後に確認させていただきたいことがございます」
「ふん!言い訳でもするつもりか?とっとと失せろ!衛兵!この悪役令嬢を……!」
「クリスぅ。最後なんだから聞いてあげなよぉ」
「ぐ……そ、そうだな。聞いてやろう。シルビアーナ!さっさと話せ!」
「かしこまりました」
(これが最後のチャンスですよ。殿下)
シルビアーナの黄金の瞳が強く輝き、美しい声が広間に響く。
「私どもの婚約は王命で結ばれたものです。また、私の進退についても殿下に決定権はございません。
先ほどからのご発言は、国王陛下の御了承と御裁可を受けてのものでしょうか?」
「父上の了承?裁可?はっ!本当に愚かだなシルビアーナは!」
クリスティアンは狂ったように高笑いし、シルビアーナを見下した。
「そんなものは不要だ!私の婚約者は私が決める!貴様とは婚約破棄だ!」
「キャハハ!そうよクリス!よく言ったわ!」
クリスティアンは堂々と宣言し、ローズメロウは勝ち誇ったように笑った。
(ああ、やはりこうなってしまいましたか。残念ですよ。殿下)
シルビアーナは沈黙し、冷めた眼差しを壇上に向ける。周囲のどよめきは大きくなっていく。
「殿下!発言をお許しください!」
ある老人が決意した。前マルロ侯爵。クリスティアンの教育係の一人だ。
クリスティアンはニヤリと嗤う。
「おお、お前は……誰だったか?まあいい。この悪役令嬢を罵りたいのだろう?発言を許す。皆の者も忌憚なく発言せよ!」
前マルロ侯爵は、失望の眼差しをクリスティアンに向けながら声を発した。
「臣下ではなく殿下の教師として発言します!殿下に尽くしたゴールドバンデッド公爵令嬢に対してなんたる暴言!今すぐ発言の撤回と謝罪をしなさい!」
「なっ!?」
(ああ、私の苦労を労って頂きありがとうございます)
シルビアーナの心が少し救われ、クリスティアンはまなじりを釣り上げた。
「な、なんだと貴様……!」
「おっしゃる通りです!殿下!お戯れが過ぎますぞ!」
クリスティアンが罵る前に、彼を諭そうとする者や罵倒する者が次々と現れていった。
(当然ですね)
シルビアーナは最早諦めの境地。他人事のように耳を傾ける。
「王命に反するとは何事ですか!いくら第二王子とて見過ごせませぬ!」
(ええ、ごもっともでございますわ)
「そもそも殿下は騙されています!コットン男爵家など存在しません!貴族名鑑のどこにも無い名前です!」
(あら?鋭い方もいらっしゃるわね)
「ええい!やかましい!ロージーは我が最愛!侮辱は許さん!王命がなんだ!父上は下民への機嫌取りしかできない暗愚ではないか!
王が下民を使い潰さずしてなんとする!父上の御代は終わりだ!私こそが王に相応しい!下らん医療政策だの下民支援だの減税だのは全て廃止する!」
あまりの傲慢に大半が絶句し、残りが悲鳴じみた怒声をあげ、シルビアーナは目を伏せた。
「さあ時は満ちた!我が真の忠臣どもよ!出でよ!こやつらを拘束するのだ!
我が国は生まれ変わる!暗愚の父も!あの賤しい第一王子も!その穢らわしい母親も!共に引きずりおろしてやる!」
己の願望を垂れ流すクリスティアン。止める者は誰もいない。
はずだったが。
「左様か。では、やってみるがいい」
「なっ……?ぐえっ!」
冷淡な声が響いたと同時。クリスティアンは背後から床に押さえつけられた。
「離せ無礼者!私を誰だと……ぐあああ!痛い!やめろ!離せえ!おい!不敬だぞ!命じたのは誰だ!」
クリスティアンを抑え跪かせているのは近衛騎士たち。
それを彼らに命じたのは。
「やかましいぞクリスティアン。余は発言を許しておらぬ。口を閉じろ」
「き、きさ……ひっ!ち、父上!」
クリスティアンを見下しながら前に出たのは、暗愚と罵られた国王その人。クリスティアンと同じ金髪碧眼。普段は柔和で優しげな顔と穏やかな声をしているが、今は様変わりしていた。
その顔は氷がごとく冷ややかで、声は重く厳しい。誰もが圧倒され口を閉じた。
ただ一人、情け無い声を出すクリスティアンを除いて。
「な、なぜ?外遊されて、るのでは……」
「貴様は口を閉じることすら出来んのか。……もういい。黙らせろ」
前半はクリスティアンに、後半は近衛騎士たちに向けて言った。クリスティアンは速やかに猿轡を噛まされる。
国王はクリスティアンから目を逸らし、広間中を睥睨したのち口を開いた。
「エデンローズ王国国王ライゼリアン・ライディーン・コーヴェルディルの名において宣言する!
第二王子クリスティアン・カルヴィーン・コーヴェルディルは王位継承権を剥奪し廃嫡とする!」
「はっ!」
シルビアーナ含む皆が跪いて恭順を示す。クリスティアンの目がこぼれ落ちそうなほど見開かれる。
国王は続けた。
「廃王子クリスティアンには、全ての罪を明らかにした上で沙汰を下す。連れて行け!」
「~~!~~!」
クリスティアンはもがくが、やはり近衛騎士の力には敵わない。あっさりと何処かへと連れて行かれてしまった。
国王は冷たく見送った後、壇上の脇へと声をかける。
「第一王子レオナリアン、ドラゴニア辺境伯令嬢ナターシャ、我が前に出よ」
「は!」
現れたのは、辺境にいるはずの第一王子とその婚約者である。
第一王子レオナリアンは、第一側妃ゆずりの銀髪と国王譲りの青い目を持つ美青年である。クリスティアンと違い、文武両道かつ功績豊かだ。婚約者とも仲睦まじいことで有名である。
「王太子は第一王子レオナリアン・バスティ・コーヴェルディルとする!異のある者は申し出よ!」
否やは一つもない。そう、一つもだ。
実に不自然なことに、最初から最後までクリスティアンの味方は一人も現れなかった。
この場にいる多くが不自然さに気づいている。しかし彼らは口を噤んだ。
王家の悩みの種であったクリスティアンを排除し、優秀なレオナリアンが王太子に指名された。
それはこの場にいる誰にとっても都合の良い結果なのだから。
国王は皆の反応に満足気に頷く。
「後はレオナリアンに任せる故、宴を楽しんでいってくれ」
柔らかく微笑む国王は壇上から下がる。
ほぼ同時に、シルビアーナは国王の侍従に話しかけられた。
「国王陛下がお呼びです。ご案内いたします」
「かしこまりました」
シルビアーナは侍従と共に広間を後にした。
最後に振り返ると、心配そうにこちらを見る友人知人と目が合う。先程の前マルロ侯爵もだ。
彼ら彼女らを安心させるため、シルビアーナは柔らかく微笑み会釈した。
(私は大丈夫です。ご心配なく)
彼ら彼女らの表情が和らいだのを見つつ、シルビアーナは広間を後にした。
その後、広間では王太子レオナリアンとその婚約者が改めて開会の挨拶を述べ、最初のダンスを踊った。
銀髪に青い目のレオナリアン、黒髪に赤い目のドラゴニア辺境伯令嬢ナターシャ。
似合いの二人の優雅なダンスに歓声が上がり、華やかな宴がはじまった。
貴族たちは先ほどの出来事で頭がいっぱいだったが、口と態度には出さない。
クリスティアンの味方、つまり後ろ盾にあたる者たちが一人もいなかった事と、「誰も知らない男爵家の令嬢」がいつの間にか消えていた事も全て……紳士淑女の笑みと扇の下に隠して踊るのだった。
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