リリの現在と過去 2年前 シルビアーナの慈悲
ティアーレ殿下の殺意の対象はシルビアお姉様じゃない。ティアーレ殿下から国王陛下を奪った第一側妃エスタリリー殿下だ。
最も、その認識は勘違いでしかない。確かにエスタリリー殿下も王妃陛下も国王陛下が望まれた妃だし、お二方と仲睦まじい。
しかしこの縁組は恋情からではなく、国益を考えてお決めになられたのだ。
恋に狂い続け、何年も逆恨み続けているティアーレ殿下は、どうしてもその辺りがご理解できないらしい。
他人の話を理解しようともしない辺り、流石はあのクリスティアン殿下の母親ね。
「全く……目の色は違うけれど、髪色は本当にそっくりね。忌々しい」
とはいえ、第二側妃であるティアーレ殿下が第一側妃のエスタリリー殿下への恨みをぶつければ不敬となる。
それもあって、エスタリリー殿下と同じ髪色で遠縁にあたるシルビアお姉様への当たる。実に性格が悪い話だ。
周りの侍女たちも、シルビアお姉様をじろじろ見ては明らかに見下した笑みを浮かべている。
私が軽く敵意を込めて睨むと止めるけど。
そうそう。たかが侍女ごときは大人しくしてなさい。シルビアお姉様は公爵令嬢であり、宰相の娘であり、第二王子の婚約者なのですから。
しかしなんて、しょうもない人たちなのかしらね。
「なんとか言ったらどう?お前は自分の言動が王家に対し不敬だとは思わないの?たかが公爵令嬢が傲慢ではないかしら」
公爵令嬢はたかがじゃないでしょ。自分も元は公爵令嬢だった癖に。と、言うか傲慢なのはあんたでしょうが!
シルビアお姉様は、しょうもない言葉に眉一つ動かさない。
「はい。公務と勉学を促すことが不敬とは思いません。王領への視察などの公務に邁進されることも、教養を学ばれることも、王族の義務でございます。
第二側妃殿下におかれましては、私ごときが言うまでもなくご存知とは思いますが」
さらりと嫌味で返すシルビアお姉様。
第二側妃ティアーレ殿下が、側妃としての公務をほぼ放棄しているのは有名だ。
と言っても、昔はそれなりにはしていたそう。
国王陛下に疎まれ、相手にされない内に放棄するようになり、性格もさらに歪んでいったとか。
「ふん。生意気なこと。公務だなんて労働は、真に高貴な存在がすべきことではないの。お前やアレのような、チョロチョロと賤しく走り回る白鼠にはわからないでしょうがね」
奥歯を食い締めて耐える。私は必死に殺意をこらえていたけれど、シルビアお姉様は優美に目を細める。
「ええ。仰ることが理解できません。至尊の存在たる国王陛下が、国の為に公務に邁進していらっしゃるのです。臣下である私が、身を粉にして働くのは当たり前……」
バシャリ!
ティアーレ殿下が、ティーカップの中身をシルビアお姉様にぶちまけた。
私は動けなかった。シルビアお姉様から『ティアーレ殿下とのお茶会では手出し無用』と、言われているから。
「お前が!お前ごときが国王陛下を語るんじゃないわよ!もういい!消えなさい!」
「かしこまりました。御前を失礼致します」
シルビアお姉様は濡れた髪のまま、優雅にカーテシーをしてその場を去った。
親子そろって最低な奴らめ!
化粧室で手早く身だしなみを整え、離宮から出た。
◆◆◆◆◆
帰りの馬車の中では隣り合って座った。シルビアお姉様が盛大にため息をつく。
「リリ、そんなに殺気立たないで。お顔に出ていたわよ。侍女たちが青ざめてたじゃない」
「……あの場で始末してやりたかった」
優しい手が私の手を撫でる。
「ティアーレ殿下は嫋やかなお嬢様よ。あの程度の危害しか加えられない。私は火傷すらしてないわ。ドレスを汚したことは申し訳ないけど……」
「ドレスの汚れはどうでもいい!シルビアお姉様にあんなこと!許せない!それに今日は怪我をしなかったけど、これからもそうとは限らないじゃない!」
「リリ……」
「シルビアお姉様、あんな王子なんて見捨て……」
白く細い指が私の唇をふさぐ。
「駄目よ。私は国王陛下からのご褒美が欲しいの」
輝く黄金色の瞳に、私は何も言えなくなった。
◆◆◆◆◆
時が経つほどに、シルビアお姉様の功績や実績が増えていく。そして、それ以上に負担がのしかかっていく。
私は悔しくてたまらなかった。
侍女でしかない私は、執務のお手伝いすら出来ない。
クリスティアン殿下やティアーレ殿下の暴言を止めることもできない。
悔しくて何度も泣いた。本当に泣きたいのはシルビアお姉様なのに。
あんなに大好きだった東屋でぼんやりする時間も、私たちだけのお茶会をする時間も無くなったシルビアお姉様。
王城の執務室で山ほどの書類を捌いたり、遠い王領まで視察に行ったり、教師や官僚や文官と意見を戦わせるシルビアお姉様。
そして怠惰で傲慢なクリスティアン殿下の世話をするシルビアお姉様。
公爵家の自室で眠る時以外、安らげなくなってしまった。
ある日のおやすみの挨拶の後。
シルビアお姉様は、また私を共寝に誘った。
二人きりの寝台。シルビアお姉様を抱きしめながら、身体の華奢さに不安になる。
またお痩せになった気がする。顔色もよくない。
「リリ、リリ、そんなに心配そうな顔をしないで。私は大丈夫よ。公務はやりがいがあるし、国王陛下は過分なご褒美をお約束下さったのだから」
「うん……」
私は下手くそな笑顔を浮かべるしか出来ない。
気高く優しいシルビアお姉様。
馬鹿王子とその母親からどう扱われても、馬鹿王子の取り巻きたちから冷遇を嗤われても、シルビアお姉様は凛と立ち、馬鹿王子を教育しては尻拭いをする。
辛くない訳ないのに。
「私の願いのためですもの」
でもね。私、知っているのよ。それだけじゃないって。
国王陛下の御心とクリスティアン殿下の将来のためにも、頑張っているって。
だからこそとても辛抱強く教育をしてるって。私は知っている。
ドス黒い感情が胸いっぱいに広がる。これは嫉妬だ。
「あんな王子嫌い」
「リリ、流石に不敬よ」
固い声に体が揺れた。
「だって……な、なんでかばうの?」
まさか、あんな王子を好きになった?信じたくない予想が浮かび、身体が冷えていく。
でも予想は打ち砕かれる。シルビアお姉様の冷めた表情と憐憫のこもった声で。
「クリスティアン殿下はお気の毒な方よ。適切な教育を受けられず躾けられず、今もなお暗愚になるよう仕向けられている。恥も名誉も知ることができない小さなお子様……。お労しい」
確かに、クリスティアン殿下の勉強と公務を邪魔をする者たちは多い。
最たるは『王族は己の思うまま優雅に暮らすが仕事。公務だなんて労働は王族に相応しくないわ。勉強もしなくて結構』と言ってはばからない母后ティアーレ殿下だ。
母親からそのように育てられ、甘やかされ、躾を全くされていない。
今は王城と離宮で離れて暮らしているが、クリスティアン殿下はしょっちゅう離宮に帰る。さらに、祖父であるガーデニア公爵も怠けるよう唆すので意味がない。
私も可哀想だと思う。
でも、それはそうとして嫌いだし憎いし嫉妬する。
顔をしかめる私。シルビアお姉様は苦笑いだ。
「殿下にも良いところがあるわ」
「ええ?どこに?」
「そうねぇ……。すぐ怒鳴るけれど、女性に手を上げないところとか」
「人としての最低限じゃない」
「そうね。でも良いところよ。少しずつだけど学んでいらっしゃるし……だからもう少しだけ頑張るわ。これからも私を支えてね。リリ」
「……うん。でも、無理しないでね」
その後も同じように日々が過ぎ、シルビアお姉様が馬鹿王子と婚約して三年が経った。
そしてあの日、事件が起きた。
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