57.気付いた気持ち
フロスティとはそのまま食堂で別れ、シャナはヴィルと共に三階の自分の部屋へと戻ってきた。
特に誘ったわけでも、ヴィルから尋ねられたわけでもないが、<青葉>商会でのことや、フロスティの発言から自然と今後の方針について話し合う必要性を感じてのことだ。
すでに道中で感じた自身の意識の変化は落ち着いた――というより、それどころではなくなったのと、精神衛生上よろしくないので意識の外へ全力投球したシャナである。
「最初に言っとくが、ロスにもお前のことは話してねぇからな」
「それはわかってるけど、だからこそフロスティさん怖くね……?」
部屋に入って扉を閉めると同時、ヴィルが唸るように告げた。
シャナも最初から疑ってなどいないので頷くが、それはそれとしてフロスティの察しが良すぎる。
「まぁとにかく、明日からロスに魔法のこと教わってもう少し常識的な範囲で使えるようにしろ」
「常識的な範囲で使ってましたけど?」
「お前に常識はない」
「とても酷いけど否定できない」
聞きようによってはとんでもなく失礼なことを言われたが、この世界の常識が欠如していることはシャナも認めざるを得ない。
そしてどうやら昨日の風呂掃除で使用した魔法は非常識に分類されるものだったらしい。
風呂掃除で使用した水魔法と”浄化”に対し、ハンナは「すごいわね」やら「便利ね」としか言っていなかったので気に留めていなかったが、もしかしたら彼女も何か察した上でそのような反応に留めてくれていたのかもしれない。
フロスティとハンナの察しが良すぎるのか、シャナがわかりやすすぎるのか。こうなってくると後者の可能性が高い。
「ちなみに、辺境伯様に保護された場合、魔法の使用は……」
「今よりは気にせず使えるだろうな。なんせ聖女だ。非常識でもそんなもんだと思われる」
「フロスティさんの授業は……」
「免除にはならねぇけど、現状よりは緩くなるだろうな。……目先の面倒だけで判断すんなよ」
質問を重ねたら、きちんと釘を刺された。さすがである。
だがシャナの気持ちとしては<青葉>商会での商談時点で、すでに辺境伯からの保護を受ける方に気持ちが傾いている。目先の面倒回避ももちろんしたいが、味方となってくれる人を増やした方が良いだろうと感じている。
何せ現状でシャナの事情を全て知っていて、味方をしてくれているのはヴィルだけである。
S級冒険者という肩書は有事の際であれば貴族相手でもそれなりに有効らしいが、孤児や冒険者というだけで軽んじる貴族が大半であるともヴィルは言っていた。
ヴィル一人に負担を強いていることも心苦しい。
たまたま王都の裏路地で出会ったことがきっかけでここまで面倒を見てもらってしまったが、それはすべてヴィルの優しさや面倒見の良さによるものである。
面倒ごとを背負う義務など彼にはないのだ。
イェーレブルーに到着したその足で辺境伯家へシャナを送り届けることだってできただろう。それをせず、シャナに判断を任せてくれた。
いつまでも彼の優しさに甘えてはいられない。
「今後を考えたら、辺境伯の庇護下に入って関係者に事情を説明した上で、魔法契約でシャナに関する情報を漏らさないように縛っちまうのが良いんじゃねぇかとは思う」
「うん……」
ヴィルの言う通り、辺境伯の庇護下であれば平民はもちろん貴族でさえおいそれとシャナに手出しはできなくなるだろう。
辺境伯よりも強い権限を持つ王家や公爵家などが相手でも、何の後ろ盾もない現状よりはマシなはずだ。
「シャナ」
頭ではわかっているはずなのに踏み切れずに俯くシャナに、ヴィルは殊更に優しい声をかけた。
ぽん、と大きな手が頭に乗せられてそのままわしわしと撫でられる。本人が思っているよりも手加減が足りていないせいで、シャナの頭はぐらんぐらんと揺れる。
抵抗する気も起きず、そのままベッドに尻もちをつくように座り込んでしまった。
「なに――」
「何が引っかかってる?」
抗議の声に被せるように問われて、思わず口を噤んだ。
シャナが口を噤んだことを察してか、ヴィルがまたあの優しい声で続ける。
「お前は間が抜けてる上に非常識だし、すぐ気を抜いてやらかすそこそこの馬鹿だけど」
「言いたい放題言うじゃん」
「事実だろ」
ちょっとシリアスな雰囲気を感じていたというのにこれである。
やはりこの男、情緒が死んでいるとしか思えない。
「まぁそんなお前でも今、一番自分に必要なもんはわかってるはずだろ。それでも決断出来ねぇのはなんか気になってることがあんだろ?」
そう言われて、シャナは改めて自問してみる。
何が嫌で、どうしたいのか。
聖女として祭り上げられて、戦争に投入されるのが嫌だ。また監禁されるのも嫌だ。
元の世界に帰りたいが、帰れないのであればこの世界で仕事を見つけ、自分の力で生きていきたい。冒険者はちょっと難しい気がするが、ヴィルと一緒ならできるだろう。
「――あ」
「ん?」
当たり前のようにヴィルの隣で生きる自分を想像していたことに気が付いた。
冒険者として<北辰の牙>に入りたいわけではない。ついていくことすらできないし、そもそもシャナは冒険者稼業を続けるつもりもない。
だが、冒険者ですらないただのクラシャナでは、S級という最高位の冒険者であるヴィルとともにいることは難しい。いつまでも彼の優しさに甘えているわけにはいかないということも分かっている。
それでも、この世界で生きる自分を想像したとき、その隣にはヴィルがいた。
「私、自分で思ってた以上にヴィルのこと頼りにしてたみたい」
「うん?」
「刷り込みかもだけど、でも、私もうヴィルがいないと……」
「お、おう……? えっ、シャナ?」
「私、ヴィルのこと……」
気づいてしまえば簡単なことだった。
辺境伯の庇護下に入るのが嫌なのではない。
その結果、ヴィルと離れることになるかもしれないのが怖いのだ。
「この世界での父親みたいに思ってるから……!」
「――っは、ぁあ゛?!」
初めて聞く重低音だった。




