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爛れ顔の聖女は北を往く  作者:
1.聖女、召喚されたけど逃げる
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6.いざ、脱出

 ゆっくりと時間をかけて最後の入浴を楽しんだ空澄は、用意していた服に着替えると、ドアの前に置かれたカートからスープだけを腹に納めた。パンは明日の朝食だ。


 窓の外はすっかり暗くなっている。

 明かりのない庭は真っ暗で、植えられた木々の頭だけが月明かりを受けてぼんやりと浮かんでいる。風に揺れるたび、黒い影が蠢いているように見えて不気味極まりない。

 昼間の内に念のため窓から庭を撮影しておいたが、あまり意味はなかったかもしれない。ポケットの上からスマホを撫で、確かにそこにある事を確認した。忘れ物はないはずだ。

 

 念のためにドアの向こうに聞き耳を立ててみたが、騎士たちは世間話に夢中なようだ。酒場のお気に入りの酌婦とのめくるめく一晩を人の部屋の前で話すのはやめていただきたい。こちとら仮にも聖女だぞ。そして君たちは勤務中だぞ。


 窓を開け、夜の空気を深く吸い込んだ。

 昼間は温かかったが、夜になると少し冷える。上に羽織った暗色のローブの襟をあわせ、フードをしっかりと被った。

 クローゼットの中身を全て出したおかげで、煌びやかなドレスに埋もれて隠れていたローブを見つけられて良かった。しかしクローゼットの中身を用意した人は、何を思ってこのラインナップにしたのか。謎のセンスである。振れ幅が大きすぎる。

 脇道へそれかけた思考を戻すため、改めて気合を入れるべく両手で頬をぺちりと叩いた。


「よし、行こ!」



 なるべく物音を立てないよう、まずはロープの先に括りつけた荷物をゆっくりと下ろしていく。

 最初は荷物を先に落とすつもりだったが、調度品もいくつか失敬したので落とすと音が立つ。そこで距離を測る他、重り代わりにすべくロープの先に括りつけたのだ。

 荷物が無事に地面についたのを手の感触だけで察知して、空澄はわずかに安堵する。ロープの長さは十分だったようだ。そして釣りの経験が生きている。

 ベッドの足に括りつけたロープを一度引っ張り、ほどけない事を確認してから、窓枠に足をかけた。

 身を乗り出せば春を告げる風が吹きつける。

 そして空澄は振り返ることなく――と言いたいところだが、ロープに掴まり壁を蹴って降りるため、どうしたって部屋をもう一度見る。

 とはいえ何の思い入れもない部屋では感慨も何もない。

 もう戻って来られないことを踏まえて、自分の内面を確認してみるも、これから降りていく暗闇への恐怖しか感じなかった。

 しかしここで怯むわけにはいかない。

 えいや、とばかりにつま先を外壁につけ、慎重に降り始めた。


「ぅひぇぇ……っ」


 空澄の全体重を受け止めるロープはぎちぎちと軋んだ音を立てて恐怖を煽る。

 吹き付ける風が思いのほか強くて、体が左右に揺れたときには思わず悲鳴を上げそうになった。むしろちょっと声が漏れた。

 歯を食いしばり、握力の限りロープに掴まって恐怖に耐え、次の一歩……と伸ばした足が地面を削った瞬間、力が抜けてべしゃりと尻から落ちた。無様である。

 尻もちをついたまま、力を籠めすぎて震える手で額の汗をぬぐう。見上げた先、思った以上に高い位置に空澄が数日間を過ごした部屋の明かりがあった。


(やった……、できた……!)


 まだ脱出は序盤だというのに早くも達成感を噛みしめつつ、乱れた息を整える。

 ロープから離した荷物を抱えて立ち上がり、今度こそ、空澄は振り返ることなく夜の闇に駆けだした。


 人生初、文字通りの夜逃げである。二度目はないことを願いたい。



 +++



 人の気配を避け、闇に紛れ、急き立てられるままに暗闇をひたすらに走った。

 巡回中の騎士と思しき武装した男たちがランタンを手にこちらへ向かってくるのに気付いては壁と壁の細い隙間に隠れ、植木をかき分けて進み、道端にしゃがみ込んで小さく丸まった。……なんでこれで気付かないんだ騎士。

 この国の警備というか武力というかが心配になったが、空澄には好都合なので何も言うまい。


 道などわからないので全て勘頼りではあったが、それでもなんとか城の敷地を出たと気付いたのは、周囲の建物がどことなく質素なものに変わったからだ。

 必死に逃げているうちに、どうやら夜が明け始めていたらしい。薄っすらと朝日に照らされた街並みはやはり見慣れない。それでも王城のあの部屋よりも好きになれる気がした。

 国外旅行経験のない空澄にはどことは言えないが、中世ヨーロッパの街並みと言われて思い浮かべるような、レンガ色の屋根を被った白や茶色の外壁には深い色合いの木の窓枠がはまっていた。

 現代日本のように背比べする高層の建物はなく、どの建物も似たような高さなので統一感がある。石造りの重厚感も好ましい。

 城から抜け出すときとはまた違う胸の高鳴りを抑えながら、空澄は日の出とともに起き出した街のざわめきから遠ざかった。

 

 大きな建物の裏手で、壁に背を預けてようやく息を吐く。あまり綺麗ではない裏道ではあるが、その分人の気配も遠くて安心できる。

 一晩中緊張していた気が緩むと、途端に疲労が身体を襲って、立っている事も出来ずに座り込んだ。乱れた息が整わない。

 一刻も早く離れるべきなのはわかっているが、疲れ切った身体はいうことをきいてくれない。

 仕方なく少し休憩することにして、空澄は壁に凭れた。

閲覧ありがとうございます。

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