48.<獅子の尾>
当初の予定より遅れて到着した宿屋<獅子の尾>は一番関所にほど近い場所にあった。
街全体を囲う城壁の出入り口として関所があり、<獅子の尾>はその関所まで徒歩三分といった具合に目と鼻の先にある。
辺境伯邸と関所は一見するとそれぞれ別の建物だが、内部で繋がっているらしいので、関所までが領主邸の敷地と考えればお隣さんと言ってもいいくらいだ。
領主邸とその敷地内にある様々な施設を除けば、関所の駐在所と<獅子の尾>の他には倉庫が建ち並んでいるだけで人通りは少ない。
倉庫も敷地外ではあるが辺境伯の持ち物らしいので、当然そこに出入りするのも辺境伯に仕える使用人や兵士が主になる。キビキビと働く歩廊上の兵士を思い浮かべれば、倉庫に出入りする人間の質も察せられる。
「そりゃあ静かなはずですわ」
「いつ魔物が入り込むかわからねぇからな。この辺は倉庫と辺境伯に仕える騎士なんかの持ち家ばっかだ。市民の住居は三、四番に集中してる」
「この宿、防犯性は高いけど安全ではないな???」
「国一の騎士団擁する辺境伯とS級冒険者が常駐してる区画だぞ、安全だろ」
「それだけの戦力が必要な危険地帯ってことでは」
「そうとも言う」
「そうとしか言わんのよ」
つまり、関所や城壁を超えて街へ侵入した魔物を迎撃するための最終防衛ラインともいうべき区画である。
到着早々、これからの生活が不安に彩られた。
ぜひともUターンして別の宿を探したい。そもそもなぜそんな危険地帯に宿を建てたのか。
その疑問は抵抗むなしく宿に連れ込まれ(語弊)てすぐにわかった。
宿泊施設であるためか四階建てで横に長いことを除けば、他の古い建物と同様に外階段から繋がる二階の端に玄関があった。一階にも扉があるのは宿という性質上、倉庫への搬入が多いからだろうか。
入ってすぐの右手側には受付のカウンターがあり、左手側は食堂になっているようでテーブルとイスのセットがいくつか並んでいた。奥には調理スペースも見える。
その調理スペースからのっそり、という擬音が適切に思える巨体がゆっくりと出てきた。
「おう、戻ったかヴィル」
「親父、悪いがこいつの部屋用意してやってくれ」
「あン? 冒険者……を装った護衛対象か?」
白の多い明るい金髪を短く刈り込み、大小様々な傷跡の残る筋骨隆々とした強面の老人がどうやらこの宿の主であるらしい。が、どう見ても見た目が鬼軍曹である。
着ているのは――盛り上がった筋肉でぴちぴちになってしまっているが――この世界では一般的なシャツとズボンで、軍服ではないがとても鬼軍曹。
シャナは明確な鬼軍曹と呼べるキャラクターを知っているわけではないが、ただ語感からイメージした鬼軍曹っぽい見た目と目の前の御仁があまりにもぴったりと重なった。
「まぁ、そんなとこだな。俺の隣が空いてたろ」
「ハンナは買い物に出ちまってる。掃除はてめぇらでやんな」
「はいよ。うちの奴らは?」
「荷物持ちに連れてかれた。ありゃあしばらくは帰ってこねぇな」
入り口の正面に上階への階段があり、その下が掃除道具入れになっているらしい。片足を引きずるように歩く鬼軍曹がそこから掃除道具を取り出してヴィルへ渡した。
よく見れば左の裾から覗くのは筋肉の張りつめた足ではなく、彼の体格からすれば心許ないほど細い棒だった。
「そうか。シャナ、このおっさんはフィリップ。柄も愛想も人相も悪いが見た目ほど悪い人じゃねぇから」
「おう嬢ちゃん、このクソ生意気なクソガキにいじめられたら俺に言いな」
「いってぇな、クソジジイ!」
鬼軍曹……もとい、フィリップは古傷だらけの顔にくしゃりと深い皺を刻みながら笑ってヴィルの頭を――非常にいい音を立てて――ひっぱたいた。
スパァンッという音の通り、相当に痛かったらしい。ヴィルが叩かれた個所を摩りつつ吠えた。
「誰がクソジジイだクソガキ!」
「あんた以外に居ねぇだろうが!」
「図体だきゃでかくなったが生意気なとこはちっとも直らねぇ! 表出ろ、今日こそその口、矯正してやらァ!」
「アァン?! やれるもんならやってみろ!」
ヴィルが声を荒げるところを、シャナは初めて見た。
口は悪いし扱いは雑で粗野な雰囲気を隠さないヴィルだが、彼は本来とても理性的な人物だとシャナは思っている。
周囲から自分がどう見られているか、どんな人物像を求められているのか、そういったことを理解して器用に演じ分けているのだ。冒険者ギルドでのS級冒険者としての顔と、エドガーに見せる先輩冒険者の顔をそれぞれ使い分けているのをここまでの旅で見てきた。
だが、今のフィリップ相手の少年のような顔は初めて見た。
それだけでなんとなく二人の関係性を理解して、シャナはひっそりと笑うだけに留めた。思ったことを口にしたら、二人共から怒られることは目に見えている。
結局、そのまま外に出ていきそうな二人に、「先に部屋の場所だけ教えてください」と声をかけたところで老人と青年のじゃれ合いはお開きとなった。
後から聞いたところによると、フィリップとその妻ハンナは共に元A級冒険者だという。どちらも実力はS級として申し分なかったのだが、S級となると個人に仕えることができなくなるためA級のまま辺境伯に仕えてきたらしい。
冒険者を引退した後も辺境伯への忠誠は変わらず、城の近くで後輩育成を兼ねて宿屋を開業した経緯であるそうだ。ちなみに老夫婦は宿屋の近所に自宅を持っていて、そちらから通いである。
鬼軍曹の妻が果たしてどんな女傑であるのか、想像してシャナは身震いした。




