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爛れ顔の聖女は北を往く  作者:
3.聖女、ダンジョンに入る

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44.ダンジョン主

 ()()はいつの間にか存在していた。


 自分が何者なのかは知らぬ。

 いつ、どのように生まれたのか、なぜここにいるのか、何もわからない。

 ただ、腹が減って仕方がない。

 食って、食って、食って食って食っても腹が減る。

 いつまでも飢え続けている。

 途方もない飢餓に気が狂いそうだった。

 否、すでに狂っているのかもしれない。

 手あたり次第に食って食って食って。

 食った分だけ飢えて飢えて飢えて。

 いっそ、飢えで死ねたならば。

 この飢えから逃れられるのならば、死はむしろ救いだ。


 自分が何者で、いつ、どのように生まれたのか、なぜここにいるのか、どうして飢えるのか、どうしたら死ねるのか。

 ()()は何もわからない。

 ただ、飢えのままに食うだけの()()は、自らの死を夢想しながら今日も獲物を食らっている。

 

 いつ来るかもわからない、本当に訪れるかもわからない死だけを、ただひたすらに、待ち望んでいる。



 +++



 土を掘っただけの洞窟だと思っていたが、ヴィル曰くの最下層に足を踏み入れてからはその様子が少し変わってきていた。

 具体的に言うと、なんかぬちゃぬちゃしている。

 最初は地面がぬかるんでいるのかと思ったが、どうやら土の上に何やら粘液がこびりついているらしかった。

 歩き疲れてきていたシャナにはこれが意外なほど辛く、何度も足を取られて転びそうになってはヴィルやエドガーに助けられていた。

 結果的にヴィルの隣で彼の服を握って歩くことで落ち着いている。

 縄で繋がれた状態とどちらがマシであるのか。シャナはもう何も考えないことにした。


「うぅ、生臭いし歩きにくいし気持ち悪い……」

「ダンジョン主が生まれてるせいだろうな」

「主……! どんな魔物なんでしょう?」

「さぁ、とりあえず環境に適した姿はしてるだろう」


 ダンジョンは時を経るごとに成長し深く、広くなっていく。そしてその過程でコアを守護するように魔物が生まれ、食物連鎖がおこり、弱肉強食の世界が形成されていく。

 コアに近づくほど魔物が強くなるのは、コアから溢れるエネルギーを摂取しているからだそうだ。そういったコアの恩恵を一身に受け、強化された魔物をダンジョン主と呼ぶ。

 

 アスローの冒険者ギルド資料室でダンジョンについて学んだ際、シャナはまるで蟲毒のようだと思った。そして今、それを思い出してしまった。

 思わず背筋が震えて、それに気づいたヴィルが視線を寄越した。


「戦闘になったらエドガーと下がってろよ」

「言われずとも」


 ただまっすぐ歩くことすら一人でできない現状である。ボス戦なんて役に立てる気がしない。

 シャナは力強く頷いた。途端、びしりとヴィルに額を弾かれる。


「ふぎゃ!」

 

 謂れのない暴力に額をおさえたシャナの呻きが洞窟内に不気味に反響した。


 その声に反応したのか、洞窟の奥、暗がりで何か大きなものが蠢く。

 低い地響きと揺れにヴィルが腰の剣を抜き身構えた。シャナは邪魔にならぬよう手を放し後ろに下がろうとしたが、地面はまだ揺れていて身動きが取れそうになかった。

 

 ずるり、ぬちゃ。

 粘液の上を何か大きなものが身を引きずるように移動しているような音がした。生理的な嫌悪感を煽る音だ。ぞわりと腕に鳥肌が立つのを感じた。

 

 その何かは、さほど時間をかけずにやってきた。

 暗がりの奥からぬぅ、と巨大な三角形の頭が姿を現す。

 黒と茶、そして赤の入り混じった柄――否、乾いた泥と血、そして鮮血に塗れた巨体がヒカリゴケにぼんやりと照らされぬらりと光った。

 濁ったどぶ川のような目は無機質で、本能的な恐怖を煽る。

 シャナの腕ほども太さのある舌がちょろちょろと大きな口の先から出入りして周囲を警戒している。

 それはとても巨大な蛇だった。

 きっと開けばシャナなど丸呑みにしてしまうだろう口の端、小枝のようなものが突き出していた。

 ぞわり。

 言葉にならない嫌悪感が背筋を嘗め、鳥肌が立つ。


 小枝、に見えたそれが巨大な虫の脚だと気づいた瞬間、シャナは無意識に悲鳴と共に”浄化”魔法を力の限り放っていた。


「――ひっ、いぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁあ!?」


 カッ! と威力も光も一切の配慮をなくしたでたらめな”浄化”にシャナを中心として洞窟内が明るく照らされる。


「なっ――?!」

「うわっ?!」


 まず驚いたのはヴィルだった。

 ダンジョン主であろう巨大な蛇に斬りかかる寸前、傍らのシャナが大きく肩を揺らしたかと思えば叫び、盛大に魔法を放ったのだから堪ったものではない。

 背後でエドガーも驚いたように声を上げ、それに被せるようにダンジョン主も苦し気な悲鳴をあげる。

 

 視界を白く塗りつぶすほどの”浄化”は長くは続かず、数秒もすれば光は収まり、後には洞窟に群生するヒカリゴケの薄明りが灯るのみとなった。

 

 唐突な明かりに眩んだ目が戻る頃、その場には三者三様の冒険者たちがいた。


「……」

「むりむりむり! なにあれ?! あれなに!? あんなでっかいむしいるとか聞いてないむり、むりむりむり……!」

「えっ、何?! 何があったの?! ヴィルさん!? シャナ!?」

 

 呆然とするヴィル。その背にへばり付いて顔を伏せたまま何やら早口に捲し立てるシャナ。まだ視界が戻らず慌てふためくエドガー。


 そしてそんな彼らの向かい、先ほどまでやってきた獲物を食おうとしていた巨大な蛇の姿のダンジョン主は――、指で摘まんで持ち上げられるほどに縮んで気を失っていた。

 

 白く脱色され随分と可愛らしいサイズになってしまったダンジョン主と、己の腰にしがみ付くシャナの黒い頭を交互に見て、ヴィルはそっと目を閉じ思った。


 ――とりあえず、シャナには年相応の慎みを身に着けてもらわねばなるまい。


 現実逃避である。

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