30.S級冒険者の邂逅1
パチパチと音を立てて燃える焚火を眺めながら、ヴィルは腕の中で静かに寝息を立てる女について考えていた。
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同じ孤児院で兄弟のように育った仲間たちと結成した冒険者チーム<北辰の牙>は、現在リーダー・アロルドの妻の妊娠を機にチームとしての活動を休止している。
そんな折、活動拠点としている北都イェーレブルーを含む北部一帯を隣接する魔の森から守るヴェイツ辺境伯より、国南部の国境付近で頻発している南の帝国との小競り合いに関する情報収集依頼があった。
戦争となれば真反対に位置する北部といえど無関係ではいられない。
特にS級冒険者チームである<北辰の牙>は、王家より戦争への加勢を求められれば断るのは難しい。断る理由はなかった。
情報収集とはいえ、国の北から南までを縦断するとなればどれだけ急いだとしても最低で一、二ヶ月はかかる。
身重の妻を一人残すのはよろしくないとアロルド、そして治癒魔法を使えるフロスティが拠点に残ることになり、チーム内で斥候や遊撃を担うラウリッツと共にヴィルはイェーレブルーを発った。
夏前にはイェーレブルーに戻るつもりで馬を走らせ、途中で二手に分かれつつ、ひと月ほどで南部に到着した。途中の街で何度か乗り換えたが、馬たちには大変悪いことをした。
ヴェイツ辺境伯が危惧していた通り、南部の国境は頻発する小競り合いのせいでピリピリとした緊張感が漂っていた。敏い商人や冒険者は移動を始めており、物価の高騰が余計に戦争への緊迫感を高めているようだった。
戦争回避を訴える国王と第一王子を筆頭とする穏健派と、第二王子とその後ろ盾である南部に領地を持つ公爵家を筆頭とする戦争推進の過激派で国の上層部は二分している状態だという。
自領の防衛くらい自分でやれと言いたいところではあるが、南の帝国が総力を挙げて嗾けてきているのであれば一貴族では難しいのもうなずける。
南部での調査を終え、報告書を伝書用の鷹に託したヴィルは、そのまま王都へ急ぎ戻った。
緊張感高まる南部に比べ、直接的な被害のない王都の住民は平常通りといってよかったが、S級冒険者の肩書を存分に活用して貴族街に出入りしてみれば、どうにも不穏であった。
穏健派筆頭の国王が戦争を回避するため、外交で国を離れている現在、第一王子は国に残っているとはいえ、まだ十代の第一王子に、海千山千の老獪な公爵とそれに続く過激派貴族たちを抑え込むのは困難だろう。
貴族街では公爵の傀儡状態の第二王子が音頭を取って、戦争の旗頭とするために聖女召喚を行うのでは、と実しやかにささやかれていた。
本来、北部の魔の森からあふれる魔物被害の対抗策として召喚される聖女を、戦争利用のために召喚するなど、神をも恐れぬ所業だと北部出身のヴィルは顔をしかめた。
辺境伯への報告も、つい筆圧が強くなってしまうというものだ。
この国で召喚される聖女(または聖人)は、「ニホン」という国からくる。彼らは黒髪黒目で、たまに金や赤や青などこの世界に近しい髪色の者もいるが、それでも月日とともに黒髪へと変貌する。
救国の英雄。神の遣わす生ける奇跡。尊き黒。
そう呼ばれて敬われる彼ら――ニホンからの異世界人は、王城で手厚くもてなされ、その力を存分に振るうための準備をする。
魔の森からあふれる魔物の討伐が終わると、本人の希望で北部に残るか、王都に戻り王族やそれに連なる高位貴族家へと入るのだ。
教会での禊や祈り、国や魔法、魔物に関する講義に加え、貴族マナーまで学ばされるのはそういった理由からだろう。
時には馬車に乗って王都を回るパレードまで行うというのだから、北部と王都での魔物への認識の差がうかがえる。
ヴィルが生まれたころにはすでに鬼籍に入っていた先代の聖女は、本人が強く希望しヴェイツ辺境伯家へ嫁入りしたらしいが、聖女の持つ肩書きや威光を取り込もうと躍起になっていた王都の貴族たちからの妨害や口出しは相当なものだったという。
そうやってスタンピードの周期が近づけば聖女の奇跡に縋るだけのくせ、実際に日々魔物と戦う冒険者のことは野蛮だ粗野だと罵る。
かと思えば有事の時には手のひらを返したように金銭をちらつかせて擦り寄り、いいように利用しようとするのだから貴族という人種には辟易してしまう。
S級冒険者の肩書を得て数年が経つ現在、表立っては減ったものの、孤児の集まりである<北辰の牙>を軽視し、時に理不尽を強いて侮辱する貴族は多い。
どこの馬の骨とも知らぬ薄汚い孤児も、魔物相手に血や泥に濡れて戦う野蛮な冒険者も、どちらも尊き血を継ぐ貴族からすれば侮蔑の対象でしかないのだろう。
魔の森を抱える北部の筆頭領主であるヴェイツ辺境伯をはじめ、その傘下にある貴族家では冒険者は共に街を、民を守る戦友として扱ってくれるが、それも王都に近付くにつれて都合よく擦り寄ってくる輩が増える。王都で貴族相手に情報収集をするより、どこか未開の地で魔物を相手にしている方がよほど楽だ。
(チッ、これだから貴族ってのは嫌なんだ)
過激派の派閥貴族主催のパーティーでの情報収集をあらかた終えて、夜更けに高級宿屋の一室に戻ったヴィルは、張り付けた笑顔の下に隠していた苛立ちをようやく解放した。
やけにつるりと滑る肌触りの服を脱ぎ捨て、履き慣れない革靴を放り投げて風呂で頭から水を浴び、煙草や香水の移り香を洗い流す。
S級冒険者の肩書きにつられるもの、利用しようと群がるもの、纏わりつく好奇の目。
冒険譚をせがまれ貴族向けに脚色したほどほどに血なまぐさくて耳触りの良い話を聞かせれば、さすがだなんだと褒める口とは裏腹に、目の奥には嫌悪感がちらついていた。
どんなに立派な肩書きを得て身形を取り繕おうと、所詮は卑しい孤児で、汚らわしい荒くれ者の冒険者だと見下され、それでも利用価値があるからと笑顔で付け入る隙を探られる。
――うんざりだ。
貴族や大商人などから情報を得るため、王国屈指の高級宿に泊まっているが、イェーレブルーで拠点としている老夫婦の経営する素朴な宿に早く帰りたかった。
やけに身体が沈むベッドは寝心地が悪く、シーツからは慣れない花のような香りがして眉間にしわが寄る。それでも疲弊した精神のせいか、眠りはすぐに訪れた。
――翌朝。
いくらか冷えたとはいえ、まだ苛立ちは腹の底で燻っていた。あまり寝た気もしない。体調は悪くないが、精神のコンディションは低迷したままだ。
今夜もまた、別の貴族家が開催するパーティーへ招待されている。
発散するためにも身体を動かそうと、簡素な服といつものブーツを身に着け、剣を手に部屋を出た。
そして、宿屋の裏でその女と出会った。