3.そして聖女は決心する
召喚された翌日、空澄はソファで目覚めた。腰が痛い。
どうやらあのまま寝落ちてしまったらしい、と思いながら部屋を見渡す――ぺりぺりと乾ききったフェイスパックが剥がれて膝に落ちた。
――保湿のつもりが、逆に肌を乾燥させてしまった。
もしもこれが見慣れた自室で朝を迎えての出来事だったなら、やっちまった、と額を叩いて自責スタイルで朝のスキンケアを丁寧に行う算段を付けただろう。
見慣れない部屋。使い慣れたケア用品などあるはずもない。
痛む腰を捻って凝りを解しながら、違和感を覚える頬を両手で揉んだ。
異世界での初めての目覚めは、最悪だった。
+++
部屋で目覚めてから約一週間。
この国の名前はまだわからないが、地球上に存在していないだろうことは予想された。
なんたって六十代の両親と同年代か、さらに上と思われるおっさんたちが「聖女」だの「召喚」だのと恥ずかしげもなく口にし、空澄を見て本気で一喜一憂していた。
そしてドアにへばりついて聞き耳を立てた結果、どうやら自分が城内で「爛れ顔の化け物」と噂されていると知った。
正真正銘日本産の人間だし、フェイスパックが剥がれただけで顔も爛れていないと、声を大にして言いたい。
その噂を聞いたときは思わずドアの向こうに「あの!」と声を上げてしまった。
しかしドアの向こうの騎士たちは、空澄と口を利いてはいけないらしい。
いや、最初は戸惑いと怯え混じりに要領を得ない返答があった。しかし、自分たちは何も知らされておらず、答えられないと遠回しに会話を断られた。
翌日、交代した騎士に声をかけたら、何を聞いても「お答えしかねます」との返答しか返ってこなかった。
さらに次の日以降は一切の返事がなくなった。声をかけるたびに狼狽えたり、戸惑ったりという気配はするのに、返ってくるのは無言だけ。心が折れて話しかけるのをやめた。
それ以来、ドアに引っ付いてかすかに聞こえる騎士たちの世間話や噂話に耳を澄ませて情報収集に励む日々である。
そうしてわかったのは、
・南側の国境付近で砂漠を挟んだ隣国と戦争の予兆がある
・戦争推進派が聖女の力で戦争を優位にしようと考えた
・戦争回避派の筆頭である国王は現在同盟国にて外交中
・本来、聖女は増え過ぎた魔物への対処として定期的に召喚される
(いやいやいや……控えめに言って、クソ。)
率直すぎる感想しか出てこなかった。口が悪くなってしまうのは心が荒んでいるせいで、本来の空澄はお淑やかな大人の女性である。はずだ。
召喚については王子の主導で行われたらしいが、推進派の後押しもあったのだろう。回避派筆頭の国王の不在も大きそうだ。
恐らくあの広間で聞いた、変声期前の声が王子なのだろうと思われる。声からしてだいぶ若そうだった。それっぽい金髪少年の姿は見たような気もするが、うろ覚えだ。
なお、王子だからたぶん金髪碧眼、と空澄が勝手に思っているだけなので、実際に見ていたとしても本当に王子かどうかは不明である。偏見じみた何かの刷り込みなのは認める。
閑話休題。
ようするに、戦争に対する父と子の意見の対立に、さまざまな思惑から貴族が乗っかり、派閥化している状況だということ。
そしてそれに巻き込まれた一般人が空澄である。とても不合理。
しかしこの部屋に閉じ込められてからというもの、あちらからは何の接触もない。
朝晩二回、食事が差し入れられるだけである。
それも空澄が寝ている間や、部屋に備え付けの風呂に入っている間にカートが運び入れられているだけなので、誰が運んでいるのかすらわからない。
せめてもうちょっと事情説明や、意思確認などがあっても良いのではなかろうか。異世界ではこれが普通なのか。だとしたら空澄にはとても馴染めそうにない。
異世界へ聖女として召喚された、と言えば聞こえは良いが、実際の今の空澄の状況は拉致監禁被害者である。しかも戦争利用されそう。
――このままここにいたら、良いように利用されて、殺される。
ぞっとした。
それは被害妄想だったかもしれない。
けれど、確かに空澄は身の危険を感じた。生まれて初めてといって良い、生命の危機を感じたのだ。
ほんの数日前まで、そこそこの会社で、ほどほどに働いていたどこにでもいる普通のOLだった。
四月からは新人教育も任されるとあって、面倒だったがそれ以上に張り切ってもいた。
仕事を任せてくれた上司は、空澄が新人の頃の教育担当だった。厳しい人だったが、「倉科なら大丈夫」そう言って任せてくれた信頼が、嬉しかった。
両親も友人もいる。
今頃、行方不明になって音信不通の自分を心配しているだろう。もう警察に届け出ているかもしれない。
探しても見つからない自分を、両親はきっといつまでも探すだろう。それぐらい、愛されていることを知っている。
そんな大切な家族と、スマホの画像フォルダの中でしか、もう会えないかもしれない。
閉じ込められた見慣れない部屋。嗅ぎなれないシーツのにおい。届けられる冷めた粗末な食事。こちらの話も聞かず、繰り返されるドア一枚隔てた向こうでの中傷。
――この人たちのためになんて、死にたくない。……死んでたまるか。
奥歯をぎり、と噛み締めながら空澄はドアから離れて部屋を見渡した。
施錠され、騎士が番をしているドアからは出られない。
幸いなことに人通りのない庭に面した窓の鍵は開いていたが、ここは三階。
どうにかして、ここから脱出しなければならない。
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