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爛れ顔の聖女は北を往く  作者:
1.聖女、召喚されたけど逃げる

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20/64

20.恐怖の夜

 なんとか無事に薬草採取の依頼を達成したあと、シャナは宿に戻ってきていた。

 思った以上に時間がかかっていたのと、何よりも初めての戦闘で身体はもちろん、精神的にも疲れ果ててしまってこれ以上別の依頼を受ける気力はなかった。資料室へ行っても、きっと座ったままぼんやりとしてしまうか、寝落ちてしまう気がした。


「はぁー……、きっつ……」


 虫も殺したことがないなんて聖人君子ではないが、それでも生き物の命を奪うという行為に精神がごりごりと削られている気がして、ベッドに寝転がりながらため息を吐く。

 この世界に来てから食欲がない日が多く、食事を抜くことが増えていたが、今日は特に食べられる気がしなかった。



 目を閉じると、瞼の裏に頭を撃ち抜かれた――いや、シャナが頭を撃ち抜いた大ネズミの姿が浮かんでくる。

 考えないようにしようとしてもだめで、眠れる気もしなかった。


 そうやってただベッドに転がってぼんやりしているうちに夜が来た。

 明日にはこの街を出て、さらに北へ向かう馬車に乗らねばならない。

 寝不足で馬車に乗ればきっとまた酔って同乗者に迷惑をかけてしまうだろう。想像したら脇腹がキリリと痛んだ。


「……寝なくちゃ」


 呟いてみても、疲れた身体は睡眠を欲しているというのにいつまでも眠れる気がしない。


 寝袋を敷布団にしたまま、しょぼつく目で真っ暗な天井を見つめていた。



 +++



「――……?」


 ふと、声が聞こえた気がした。


 どれほどぼんやりしていたのかわからないが、窓の外では月が高く昇っていてすでに深夜といって良い時間帯のようだった。

 そんな時間に宿の廊下で話している人物たちを不審に思うのは当然だろう。だからシャナも重い身体を起こして、音を立てないよう気を付けながらドアの向こうの声に耳を済ませ――ようとしてやめた。

 虫の知らせとでも言うべきか、全身の産毛が逆立つような、背筋を鋭く冷たいものが撫で上げるような、そんな嫌な気配。

 音を立てないよう慎重に、けれどできる限り急いで、床に放置したままの荷物とローブを身につけ、備え付けの小さな机の下に身体を押し込んだ。


「……だ、…………ろう……」

「う……せぇ、……いて…………」

「…………かね……」


 薄いドアを一枚隔てた向こう、部屋の前で声を潜めた数人の男が何やら話している。

 内容までは聞き取れないが、決してシャナにとって良い話ではないだろうことだけはわかった。


(何、なんで? 誰……なに、やだ……)


 心臓が痛いくらいに跳ねてうるさい。鼓動がドアの向こうにまで聞こえてしまうのではないかと思って、シャナはさらに膝をきつく抱えて小さくなった。


 ガチャ。


「っ!」


 ドアノブが音を立てて、思わず悲鳴を上げそうになるのを必死でこらえた。

 この部屋に、入ろうとしているのだろうか。

 部屋を間違えた宿泊客……と思いたかったが、カリカリと硬い物をひっかくような音のあと、無情にも鍵の開く音がして望みは絶たれた。


 キィ、と微かに軋んだ音を立ててドアが開く。

 廊下には明かりがない為、部屋に差し込む月明かりがぼんやりと三人の男の輪郭を照らし出した。

 男たちが部屋に入って来る。物音を立てないように気を使っているのか、慎重な足取りでベッドを取り囲むのを、その背後からシャナは見ていた。


 口の中がカラカラに乾いて、喉が痛い。

 肺が引き絞られたようにうまく息が吸えなくて、苦しくて、でも呼吸音すら今は恐ろしい。両手で口と鼻を力いっぱい覆った。


 男の一人がベッドの上、そのままになっていた寝袋に手をかけて勢いよく剥いだ。

 当然ながら、シャナはそこにはいない。

 それでも思わず肩が跳ねてしまった。

 

「なっ?!」

「! いねぇじゃねぇか!」

「おい、どうなってる?! 宿にいるはずじゃねぇのかよ!」


 声は一応潜められてはいるが、それでも誰が何を言ったのか、その声に込められた驚きや焦り、怒りなどの感情まで明瞭に聞き取れた。

 

「そんな……、確かにギルドから帰ってどこにも行ってねぇはずだ! 宿の親父にも確認した!」

 

 だからシャナはその声が誰のものかすぐにわかった。

 冒険者ギルドの受付員――長めの髪を流したヘアスタイルがどことなく軽薄な雰囲気で、大きめな口と少し厚ぼったい瞼が眠たげな蛙を思わせるあの男だ。


(ひっ……!)


 ギルドから宿までつけられていたことなど、全く気付かなかった。

 疲れていたとか、精神的に参っていたとかいろいろと言い訳は浮かんだけれど、そのどれもがこの現状を納得し受け入れる理由になるはずがない。

 ぞわりと全身の毛穴が開いたような怖気が走る。


「チッ、どこ行きやがった!」

「宿から出てねぇなら他の客室じゃねぇのか?」

「先越されたってか? テメェがちゃんと引っ張って来ねぇからだぞ!」


 男たちの会話の意味はわからない。

 なぜこんな時間に、シャナがいると思って部屋に忍び込んできたのかも――いや、ああ……あぁ、そういうことか。

 不意にストン、と理解して、シャナは込み上げる吐き気を必死にこらえた。


(気付くな、気付くな、気付くな……!)


 小刻みに震える身体を抱きしめながら、唇を噛んで嗚咽を堪えて祈る。

 どうすれば良いのかわからない。ただただ恐ろしかった。

 助けを求めたくても、頼る相手はこの世界のどこにもいない。


 狭い客室には出入口以外にドアもなく、続きの部屋もない。部屋にあるのは備え付けられた粗末な木箱のようなベッドと机だけ。

 男たちはベッドの下や()()()を覗き込んでしばしの間シャナを探したが、見つからない苛立ちを家具や壁にぶつけつつ部屋を出て行った。

 隠しもしない足音が遠ざかり、聞こえなくなってもシャナはその場に縮こまったままだった。

 

 月明かりに代わり、朝日が荒らされた部屋を照らし出す頃、ようやくちぢこめていた身体をどうにか動かし、机の下から這い出て――大急ぎで荷物をまとめて転げるように飛び出した。

1章完結となります、閲覧ありがとうございました。

幕間を挟んで2章も完結まで投稿予約済みですので、引き続きよろしくお願いします。


少しでも楽しんでいただけたなら、評価等いただけると励みになります。

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