1.召喚聖女の日常
残業で疲れたし、最近忙しくて肌荒れ気味だし、ちょっとお高いフェイスパックで自分を労わってあげよう。
――そんなささやかな自分へのご褒美が、まさかこんな悲劇を生むことになるだなんて、いったい誰が予想できるというのか。
ここ数日で見慣れてしまった高い天井に描かれた、全く知らない裸の男女(恐らくこの世界の神様)を眺めながら、やさぐれた気持ちで思う。
ここが王城内にある客室という事を踏まえれば、とても芸術的で価値ある素晴らしい作品なのだろうとは思うが、今は芸術鑑賞できる心のゆとりがないので「人の頭上ですっぱだかでいちゃつきやがって」程度の感想しか浮かんでこない。
彼氏いない歴=年齢のアラサーオタクの僻みではない。断じて。
見知らぬ男女(恐らく夫婦神)のいちゃつき(恐らく創世とかそんな題材)を眺めるのにも飽きて、ごろりと寝返りを打つ。
もう一度打つ。うつ伏せで吸い込んだシーツの香りが嫌で、さらに打つ。おまけにもひとつ打ってまた仰向けになった。
そうしてやっとたどり着いたベッドの縁からだらりと腕を垂らし、ワンルームを圧迫していたシングルベッドに想いを馳せた。
「……はぁ」
もう何度目かもわからないため息が自然と口から洩れる。
視界の端に映る今朝届けられたカートには、手つかずの冷めきったスープと乾いたパン。
広すぎるベッドはもはや何サイズと呼ぶのかすらわからない。
自分の部屋が余裕で三つほど入りそうな広い部屋に、たった一人でやる事もなく放置されて数日。家探しは三日で飽きた。むしろ三日間もよく頑張った方だと思う。
大きな窓からは中天を過ぎた太陽の明かりが燦々と降り注いで室内を明るく照らしている。
スマホはあるが当然圏外でアプリは使えず、写真を見返すくらいしか使い道がない。そして見返していると情緒がぐらんぐらんすると気付いてからは電源を落とした。
何もしていないからお腹も空かず、やる事がないから無駄に広いベッドを一日中転がるしかない。
寝転がるのにも疲れたら、外から鍵をかけられたドアに耳を当て、番をする兵士の雑談に耳を澄ませる。それに飽きたら窓の向こうに広がる裏庭と林を見下ろすが、人が通る気配もない。それにも飽きたらまたベッドに転がる。
それが異世界に聖女として召喚された彼女の、喚ばれてから約一週間の間でやったことだ。いや、ベッド以外で床にも転がってみた。
(暇すぎてキノコ生えそう)
ベッドの上で身体中から椎茸にしめじや舞茸、えのきにエリンギ、マッシュルームなどなど、思い付くキノコを生やした自分を想像した。松茸とは縁のない人生である。
実際にキノコが生えることはない……はず、だが、それでもここは異世界。地球の常識が通じるとは限らない、と緩慢に身を起こした。
今日も暇を潰すべく、ドアの向こうに耳を澄ませるために重たい体を引きずるように移動する。
今の自分の状況を端的に表現するなら、「異世界に聖女召喚されたと思ったら、化け物扱いされた件~現代のスキンケアは異世界人には不評なようです~」だろうか。
もしくは「異世界召喚されて監禁中の聖女だけど、何か質問ある?」も捨てがたい。いや、これはスレッドタイトルか。
――ただ自分へのご褒美でスキンケアしていただけなのに……どうしてこうなった。
冷たいドアに寄りかかるようにして耳と頬をくっつけながら、聖女として異世界に召喚された彼女――倉科 空澄は、その日を振り返った。
+++
次年度から新人教育を任されることになり、その準備に追われて残業をした空澄は、今年で二十六歳になる疲弊したアラサーOLである。
そこそこの大学を出て、就職難のご時世になんとかそこそこの会社に潜り込んで早四年。
友人に「遊ぶ金欲しさに仕事してる」と言って憚らない彼女だが、それでも会社ではそこそこの評価を得ていたらしい。
上司から新人の教育担当に指名された際には、顔を引きつらせないことに苦心した。
ほどほどに手を抜いて業務をこなしているのがバレていたのか、根の真面目さを見抜かれていたのかは定かではないが、任されてしまったからにはできる限りの努力をしている最中だ。
通常業務に加え、新入社員用のオリエンテーション資料を見直したり、入職して個人的に困ったこととその解決策を書面に起こしたりと、時に頭を掻きむしりたくなりながらも思いつく限りの準備を進めている。たぶんこういうところが要因な気がする。
なんだかんだと言いつつも、会社からの評価は嬉しい。
しかし嬉しかろうが、やりがいを感じようが、疲れるものは疲れる。
そんなときは自分を甘やかすに限る、というのが空澄の持論だ。
その手始めが風呂上りの高級パックによるスキンケアと、お気に入りのアロマオイルである。
敏感肌がきっかけで美容オタクとなった友人の影響で、自作化粧水などを一通り調べた結果、アロマオイルに一時期ハマっていた名残ともいう。
なお、化粧水の他、こんなものも自作できるのか、と思わずシャンプーやリンスなどの作り方も調べてメモはした。
自身はさほど肌が弱いという事もなく、市販の手軽さに軍配が上がったのもあり、実際に作ったことはないが。
疲れて荒れた肌と気持ちをケアして、冷やした缶ビールでつまみを流し込みながら、サブスクで今季アニメの最新話を見る。
そう心に決めた通り、風呂で汚れと疲れを落とした空澄は、保湿液と美容液がひたひたに染みたパックを顔面に張り付けた。
「あ゛~……染みるぅ……」
一人暮らしのワンルームに、思わず漏れたおっさんのような声を聞く者はいない。
目と口の部分に穴が空いたよくあるパックだが、目の部分は閉じた瞼にも被せられるようになっているのが空澄的に高評価だ。ちょっとお高いそれはシートも淡いベージュの色付きで、その見慣れなさがリッチな気分を味わわせてくれる。
顎の先から液が滴りそうな気がして上を向き、閉じた瞼にもパックを被せて両手で顔を覆った。
途端、くらりと眩暈を覚えて手を浮かせた。
それだけなら疲労のせいだろうと気にせずスキンケアを続行していたが、直後に聞こえた歓声に肩が跳ねた。
「やったぞ、成功だ!」
「おお、聖女様……!!」
歓声の合間に聞こえた聞き慣れない単語。
テレビの音かとも思ったが、帰宅してから今日はまだ電源を付けていない。都心のワンルームマンションの壁はそれなりに厚みがあるのか、隣室との騒音トラブルも未だかつて経験がない。
そんなことが瞬時に脳裏を駆け巡ったが、意識するより先に上向けた顔を戻して目を開いていた。
ぺろん、とパックの瞼部分が剥がれて垂れ下がる。
「ひぃっ!?」
「うわ……っ!」
それまでの歓声とは違う、悲鳴が響いた。
開いた視界には見慣れた狭い部屋――ではなく、旅行番組でしか見たこともない荘厳な装飾が施された教会や神殿のような空間と、こちらを取り囲んで戸惑いと怯え、そしておぞましいものを見るような顔をした見知らぬ人々が映った。
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