第74話 フェニックスの巫女
「あああっ! こんな魔法! アンチマジック!」
魔法封じのアンチマジック、ヤルダバオトの魔法は掻き消えると、オーグは祭壇に着地。
オーグの吸い込まれそうな大きな瞳の奥には赤黒い炎が燃えていた。
「馬鹿な! 貴様如きがワシの魔法を!」
「もう許さねぇ! お前だけは絶対に!」
オーグはヤルダバオトを憎悪する瞳で睨みつけると、次々と魔法を構築、ヤルダバオトに放った。
炎、吹雪、電撃、突風、石礫。
オーグのあらゆる知識を総動員して魔力を練り上げる。
ヤルダバオトは魔法を的確に相殺していくが、押し勝てない。
オーグの魔力が上がった? ありえない、こんな短期間で。
魔力を貯蔵する肉体は最大容量がある。少しづつ鍛えることで最大容量は上がるが、それは一朝一夕では上がらないのだ。
だからこそヤルダバオトは魔法使いの頂点に立つことが出来た、魔力の貯蔵できる量が桁違いのヤルダバオトは、当然使える魔法の威力も桁が違う。
それこそオーグでは数発打つのが限界の威力でも、ヤルダバオトなら湯水の如く使える。
しかしその前提が覆った。
ヤルダバオトは防戦一方だ、オーグの魔力はどこから来ている?
数分? それとも数十秒? かつてない窮地に立たされたヤルダバオトは今己が必死に死に抗っていることに気づかなかった。
かつて読んだ本のように、全てを達観していた男が、今は必死に生き抗っていた。
「うおおお! ありえない! 君のデータは完璧に把握している! こんな魔力はありえない!」
「現実見ろやクソ野郎ーッ!」
ヤルダバオトは魔法を相殺し続けるのは不味いと判断すると、戦法を切り替えた。
「シャドーイリュージョン!」
ヤルダバオトは影の分身を伴い、分裂する。
幻惑魔法シャドーイリュージョン、オーグは必死にヤルダバオトの気配を探った。
しかしヤルダバオトの方が素早い! オーグの横からヤルダバオトは戦鎚を振るった!
「砕け散れい!」
「あぐっ!」
渾身の一撃、もはやフェニックスの巫女相手に加減する余裕はなく、その一撃はオーグを弾き飛ばした。
ヤルダバオトは勝利を確信する、あの柔肌では耐えられまい。
死ぬ前に蘇生し、五感を切り離してからゆっくり調べればいいか、等と考えていると。
「はぁ、はぁ……ペッ!」
「ば、馬鹿な……?」
オーグが立ち上がった、口を切ったのか、血を吐くも彼女はヤルダバオトを片時も視線から外さなかった。
その瞬間、まさかとヤルダバオトは気がついた。
「貴様? オーグか? それともフェニックス様?」
「どっちだっていいだろう? アイツは俺様で、俺様がアイツなんだ」
不自然なオーグの強さの正体、それはフェニックスの神力の存在だった。
馬鹿げているがオーグの不自然な魔力の正体はフェニックスの膨大な魔力を外付けタンクにしていたからだ。
だがそれだけならヤルダバオトの戦鎚を耐えた理由にはならない、オーグは回復魔法を覚えていないのだから。
ならば彼女に立ち込める赤黒い炎のオーラ、その正体こそが神力だ。
「ありえない……エルフの、矮小なエルフ族の器が神力を持つなど不可能だ!」
「訳わかんねぇこと言いやがって、アタシは馬鹿なのよ……分かるように……いやもういいや、さっさとこの下らない戦いを終わらせてやる!」
オーグは本能的に理解していた。
既に自分が化け物なんだと――いや、本当は最初からだ。
フェニックスがオーグを選んだ時点で、もう化け物だった。
ずっと人間の振りを、情けないメスガキエルフの振りをしているのは楽しかった。
でも本当はオーグもアリスも存在しなかった。
彼女はフェニックスに捧げられた生贄の巫女、それ以上でもそれ以下でもなかったのだ。
ゆくゆくはフェニックスは彼女を触媒に現世へ降臨するだろう。
その時彼女は初めて消滅する、この下らない二週目の人生に。
もうそれでもいいや――彼女がそう思った時、現世に未練がなくなったから、オーグの自我がぼんやりと掠れていった。
ヤルダバオトを殺す、その役目さえ熟せるならもう自分がどうなってもいい。
巫女としての役割を自覚した時、感情のタガが最後の封を切った感じだ。
今の彼女はフェニックスの巫女、神力を纏った怪物だ。
「おのれ! 巫女如きが歯向かうなど! あってはならんのだ! 潰れろ! 潰れろぉ!」
ヤルダバオトは戦鎚を何度も彼女に振り下ろした。
何度も、何度も――しかしダメージを受けるたびに、彼女の体は転生の炎が再生していった。
「はぁ、はぁ! 仮初めとはいえ最高の頭脳、魔力、そして膂力を兼ね備えたワシが、こんなメスガキに……!」
「そうやって……何人見下してきたの?」
「なに?」
「何人も、世界中の人々を見下したんでしょう? だからこれは因果応報よ、あなたはやり過ぎた。何千年にも及ぶ魂の怨念が聞こえて?」
ヤルダバオトは顔を青くするとガタガタ震えた。
怨念? そんなもの見えもしなければ聞こえもしない!
だが、本当に全てを知ったかのような彼女の澄ました顔は、真実を語っているかのように錯覚する。
「もうおしまいよ、お互いね」
「な、なにがおしまいか! ワシがどれだけ時間を重ねていったと思うか! ワシは死を超越する!」
ヤルダバオトは必死だった。きっと誰よりも生に執着する性だったのだろう。
ヤルダバオトは勝つための方策を必死に考えた。魔法戦は駄目だ、打撃戦では埒が明かない。
キョロキョロとみっともなく周囲を見渡すが、味方も勿論いない。
自分一人いれば全て済むと思っていたからだ。
これが因果応報? 全ては自分が招いたのか?
そんな筈はない、最後の笑うのはワシだと、ヤルダバオトは超重力で潰されたベーオウルフクランを見て、嫌らしく笑った。
「まだだ! 貴様の弱点を教えてやる! それは……これだぁ!」
ヤルダバオトはリンの頭を片手で持ち上げると、盾にするように構えた。
人質だ、ここにきてヤルダバオトは人質を使い始めた。
「あ、ぐ……!」
「おのれヤルダバオト……ひ、卑怯であります!」
「黙れ! 勝つためならワシはなんでもやる! ワシはそうやって千年生きてきたのだ! さぁ巫女よ、お前の大切な家族はワシの気分次第で簡単に頭部を握りつぶせるぞ?」
そんな無様なヤルダバオトを見て、彼女は無感情に言った。
「その子は不完全な転生者よ、生かしておく理由はあって?」
「あ、あ……?」
「お、おい! オーグ! 本気で言っているのか! いくらお前でも許さんぞ!」
ヤルダバオトは呆然とする。
オーグの言葉に衝撃を受けたのはエルミアや、コールガ、メルも同じだ。
様子がおかしい、オーグの様子はついにここまで変わってしまったのか?
だが、それでもオーグを信じたのはリンだった。
「お頭、アタシごとやって!」
「だ、黙れ! 黙れ黙れ黙れ!」
「ええ、望み通りに」
彼女は魔力を掌に集めた。
リンごとヤルダバオトを貫くのに充分な魔力だ。
なんの属性も与えられていない、攻撃魔法の基礎の基礎、エナジーショット。
ただの魔力の矢を彼女はヤルダバオトに向けた。
「う、く! 出来るのか! お前に本当に出来るのか!?」
「お頭を、甘く、見ないで!」
リンもただで撃ち抜かれる気はない。尻尾をヤルダバオトの豪腕に絡めると、リンはヤルダバオトの顔面を蹴りぬいた!
「今よお頭!」
「……エナジーショット」
リンのケリを顔面に受けたヤルダバオトは仰け反る。
その隙にリンは拘束を脱し、魔法の矢がヤルダバオトの心臓を貫いた。
「が……あ? そんな、ばか、な――」
ヤルダバオトはまるで救いを求めるように手をオーグに伸ばした。
だがその手は届くことなく、ヤルダバオトの肉体はボロボロと崩れ去っていく。
仮初めとして用意したホムンクルスの器はもう限界だった。
ヤルダバオトはただ赤黒い炎を幻視して、やがて彼の意識は消滅した。
「……さようなら」
「やった、ヤルダバオトを遂に?」
勝った、ベーオウルフクランは遂に転生教団の壊滅に成功したのだ。
だが気掛かりがある、勿論オーグのことだ。
彼女は勝利に笑いもせず、ただ視線がリンに向いていた。
「おいオーグ、お前なに考えている?」
エルミアはお腹を抑えながら立ち上がると、オーグの下に寄った。
彼女はエルミアに振り返ることなく、ただ淡々と言う。
「魂をあるべき場所へ還すの」
「魔女様! それはリン様を殺すと?」
「違うわ、彼女は元々死んでいる……世界は死者転生を望んでいない」
「貴様! もういっぺん言ってみろ! このクソ野郎!」
エルミアは激昂するとオーグの横顔を思いっきり殴りぬいた。
当然オーグは人形のように倒れた。慌ててメルは激昂するエルミアを抑えに行った。
「ぼ、暴力はいけないであります!」
「この程度がなんだ! オーグ! お前は山猫を娘のように愛していたんじゃないのかー!」
「……オーグなんてもういない、アタシは名もなき者よ」
「ま、魔女殿……それはどういう意味で?」
殴られたダメージもすぐに回復したオーグは立ち上がると、ゆっくり掌をリンに向ける。
リンをその場で殺すと言っているのだ。
「駄目であります魔女殿! リン殿のことを一番心配していたのは魔女殿でしょう! いつもの優しい魔女殿に帰って来てください!」
メルはそう言うとリンの盾となった。
その行動に端を発して、コールガもエルミアもリンの盾となる。
殺すなら自分からやれと、オーグに言っているのだ。
「邪魔よ、どきなさい」
「どかない! オーグ、お前おかしいぞ! お前はオーグだろうが!」
オーグ、オーグ、オーグ―――。
ズキリと、彼女の頭が痛みを覚えた。
ありえない、オーグなんてとうの昔に死んだのよ?
ずっとオーグの振りをしていただけ、オーグなんてもうどこにもいないのに――。
「魔女殿! 魔女殿がくれた優しさをお忘れですか! 僕はまだあなたに告白も出来ていないというのに!」
告白? なにを言っている?
なんで? 彼女はなんだか胸がドキドキし始めていた。
メルの告白が恥ずかしい?
「魔女様、私は魔女様のことをまだあまり知りません。もっと貴方のことを教えてほしいのです……だからこんな悲しいことはもう止めてくださいませ」
コールガの悲しい顔、彼女はそれが嫌だった。
なんで嫌なんだろう、フェニックスの巫女には相応しくない感情なのに。
「お頭……お頭はやっぱりお頭だよ、またバカみたいに笑って見せてよ? ねぇお頭」
「う……く!」
手が震える。
ありえない……フェニックスはリンが生きていることを望まない。
魂はあるべき場所に帰らねば、この世界の法則を乱すことになる。
神はそれを望まない……ならば、何故震える必要がある?
リンの魂を輪廻に還せ――だが、彼女はそれが出来なかった。
『オーグ、介錯が必要なら俺がやる』
彼女はそう言って彼女の肩を叩いた青年を幻視した。
すでに死んでハズのルキだ、ルキが前にも言ったブラックジョークを放った。
「ル、キ……? あなた……生きて」
ついに涙が出た。しかしルキは首を振る。
それは光り輝く魂だった。
ルキの魂はとても美しく神々しかった。
『俺はすぐに還らなければならない、輪廻の輪に一足先に行くさ』
「ま、待って……どうして貴方は?」
『お前のおかげで俺の目的は達した、あとはお前の好きにしろ』
「いやよ……行かないで、ルキ――」
彼女は必死にルキに手を伸ばした。
けれど手はルキの体を貫通し、ルキの魂はあるべき場所へと帰ってしまった。
「ああ、あああああっ! ルキどうして! どうしてよ! どうして勝手に死んじゃうのよ! アンタがそんなだからアタシは!」
そこにいたには泣きじゃくる普通の女の子だった。
もうそこに神々しさや、畏怖はない。
彼女からフッと神力が消え去ると、その瞳は翠星石の瞳に戻っていた。
フェニックスが、もう少し時間をやると彼女に告げたのだ。
「ねぇアタシって誰? オーグでもない! アリスでもない! 全部作り話なのよ! アタシはオーグを演じていただけ! オーグの記憶を持っていただけ!」
「でも魔女……でありますよ?」
メルは泣きじゃくる彼女の前に優しく手を差し出した。
魔女という言葉がぽっかり空いた彼女の心の穴に綺麗に収まった気がした。
そうだ、オーグでもアリスでもない。でも魔女は列記とした彼女のアイデンティティなのだ。
オーグを演じた彼女が初めて得たのは魔女というトレードマーク。
その言葉が持つ意味、彼女は魔女なのだ。
「魔女様、誰がなんと言おうと魔女様は魔女様ですよ?」
「コールガもアタシのこと、魔女って言ってくれるの?」
「はい、勿論! 素敵で可愛らしい魔女様ですわ」
そうか、魔女なんだ。
オーグを演じていた、アリスの振りをしていた。
名もなき彼女が唯一得た名、それが魔女だ。
魔女として築いた自我は、与えられたものではない。
フェニックスにも侵せぬ魔女の自我。
魔女として過ごしてきた時間は無駄な訳がない。
彼女はそれを思い出し涙を拭った。
彼女の思う魔女はみだりに泣いたりしないからだ。
「アタシは魔女だ、けど空っぽの魔女だ」
「構うものか! 私の大好きなオーグが帰ってくるなら何でもいい!」
「エルミア……この変態め」
魔女は笑った。最後にリンだ。
魔女はリンの前まで歩み寄ると、リンをギュッと抱きしめた。
「リン、オーグなんてやっぱりいなかった。アタシはオーグの記憶をベースにしただけの生贄の巫女だ」
「……なんとなくそう思ってた」
「お、思ってたって?」
「けどやっぱりお頭だった、貴方はお頭よ、だって馬鹿で煩くて、優しいもん……」
そう言うとリンは微笑んで抱き返した。
褒めてるのか貶しているのかよくわからない言葉に魔女はクククと笑う。
「アッハッハ! 俺様は馬鹿だな! 空っぽがなんだ! だったらこれからもっと埋めていけばいいじゃねぇか!」
オーグはリンか離れると立ち上がった。
ベーオウルフクランの全員を見渡すと、彼女は照れくさそうに足元に転がっていたとんがり帽子を拾うと、目深に被り、皆に言った。
「帰ろう皆……街に」
一人の馬鹿な男がとあるエルフの女に転生した。
その数奇な運命は、奇妙な出会いに繋がりここに結した。
魔女と転生教団の戦いは終わりを告げたが、しかし魔女の歩みはそこで終わるわけではない。
これからもきっと困難は立ちはだかるだろう。
魔女は不完全だから、馬鹿で強欲で、涙脆い。
そんな彼女だからリンやメル、コールガもエルミアも支えてくれるのだ。




