第72話 ルキ、最期の戦い
転生教団はこの日多くの幹部と信者を喪失した。
それは組織としては二度と立ち行かぬ大ダメージであったが、教祖ヤルダバオトにとっては些事でしかない。
ヤルダバオトにとって転生教団とは、ヤルダバオトの手足にすぎない。ヤルダバオトの目的において教団などもはや必要はないのだから。
降臨の間――どこかおどろおどろしい不気味な空間にヤルダバオトがいた。
そんな彼の前に一足先に辿り着いたのはルキであった。
ルキは奥に佇むローブを纏った大男に訝しんだ。
老人ではない……いや、体を乗り換えたのだ。
「ヤルダバオトか」
「いかにも、君一人かね?」
「そうだ、そしてそれで充分だ。お前を殺す」
ルキはどこかで拾ったのか、幅広の剣を手にヤルダバオトに斬りかかる。
狙いは心臓、転生する器がなくなるまで殺す!
「血気盛んなことだな」
だがヤルダバオトは手元にある物を転移させると、右手に握り込む。
それは武器というには大きすぎる、到底並の人間には取り扱えない戦鎚。
ルキはその武器をどこかで見た気がした。ヤルダバオトの僅かに覗いた右腕は異様に太く逞しい。
オーガ? いや肌の色が違う。
ヤルダバオトは戦鎚を振ると、ルキの前に叩きつけた。
ルキは横に飛び、一撃を避ける。
ヤルダバオトの一撃は凄まじく床を砕くほどだった。
「随分逞しい肉体を選んだな」
「これから戦をするのに、老人の体は不利であろう……ならば当然のこと」
ヤルダバオトは戦鎚を持ち上げると、再び構えた。
見ようによっては超巨大な死神の鎌を構えるかのようだ。
ルキは剣で戦うのは不利と判断すると、直ぐに作戦を変更した。
ルキはヤルダバオトの周囲を走り回り、ヤルダバオトを幻惑する。
武器が重ければ、振るのも遅くなる。隙を見せた時奴の命を刈り取る。
「……もしかして君はワシがただの怪力にかまけた馬鹿になったとでも思っているのかね?」
だがヤルダバオトもルキの作戦を看破している。
ヤルダバオトは戦鎚を片手に、マナを集め始めた。
マナはヤルダバオトの体内でエテルになり、それを魔力に精錬する。
ヤルダバオトは真に力のある呪文を詠唱した。
「ファイアーボール」
「チッ!」
無数の小さなファイアーボールがルキに向かって放たれた。
ルキは必死に避けるが、数が多い!
着弾すると炎が弾け、炎熱がルキの頬を焼いた。
ファイアーボールという初級の魔法をヤルダバオトのような大賢者クラスが使えば、これは凶悪な面制圧魔法だ。
やがて、一発のファイアーボールがルキの背中に着弾。
ルキはうめき声を上げると、次々とファイアーボールがルキに襲いかかった!
「……やったか、呆気ないものだな」
ヤルダバオトは勝利を確信すると、首を振った。
争うことはこうもつまらないというように、しかしそれが慢心だった。
焼け焦げボロ雑巾のようにされたルキは顔を上げると、ヤルダバオトに向かって短銃を向ける。
一瞬ヤルダバオトがそれに気付くと、直ぐに身をよじる。
ダァン! キィン!
しかし鉛玉は大きく軌道を反らし、戦鎚に当たる。
だが戦鎚は無情にも銃弾を弾いた。
「ふっふふ、二度目はなかったな」
「……ち」
ルキはボロボロになりながらなんとか起き上がった。
ヤルダバオトの心胆を冷やした一撃も当たらなければ意味がない。
ヤルダバオトに一度致命傷を与えたことも、彼を警戒させたか。
「まだだ……まだ終わらん! 貴様を殺すまでは……!」
「愚かな……力の差が分からないのか」
ルキは短剣を取り出すと、ヤルダバオトに斬りかかった。
しかしヤルダバオトは戦鎚をフルスイング! ルキの動きは鈍っている、これはかわせない!
「ぐはっ!」
ルキは戦鎚の一撃を貰うと、何度も床を跳ね、全身を打ち付け血を吐いた。
ルキは朦朧とする意識の中、とある老婆の呪術士の託宣を思い出した。
(ここまで……なのか?)
鮮血の鳥こそ風見鶏、しかしそれはルキを冥府へと誘う。
目的も果たせずこのまま朽ち果てる?
嫌だ――ルキは歯を食いしばった。
ここで負ければ誰が妹の無念を晴らせる。
犬に転生させられた妹の無念……ルキは忘れたことがない。
その復讐の原動力こそ、ルキは必死に立ち上がった。
「はぁ……はぁ……!」
血がにじむ、全身が悲鳴を上げている。
戦える体ではない、なのに彼は執念でヤルダバオトを憎悪で睨みつけた。
「なぜそこまでして戦う? 一体なにが君をそうさせるのだね?」
「復讐だ……妹を、犬にしたお前らへの復讐だっ!」
「犬? 君の妹を? 恐らくだが信者の誰かがしたのだろう……その件については謝罪しよう。だからもうこんなくだらないことは―――」
「くだらないだと……ミィを愚弄するかーッ!!!」
血管が千切れる程の絶叫。
ヤルダバオトにとって避けられる戦いはやはり避けたい。
そもそもお門違いの復讐に付き合うのは馬鹿らしい。
だがルキには違う! ヤルダバオトがやったか、信者がやったか、そんなことはどうでもいい!
転生教団を滅ぼす、その為に人生を全て復讐に投げ売ったのだ。
それをごめんなさいで片付けられてたまるかっ!
「死ねぇ! 皆殺しだ! 貴様ら全員!」
ルキはどこから力が湧くのか狂喜を顔面に貼り付け、ヤルダバオトに襲いかかった。
ヤルダバオトは狂人の相手に辟易すると、魔法を唱える。
「いい加減にしてほしいな、ロックブラスト」
ヤルダバオトの周囲に無数の岩塊が超自然の力で生成されると、彼の号令で一斉に襲いかかった。
もうルキに避ける力は残っていない、しかし狂気が肉体を上回った!
石礫がいくら当たろうと、ルキの前進は止まらない。
まるで不死者の行進のようにルキは突き進み、ヤルダバオトの目の前まで迫った。
「死ね………死ねぇ!」
ルキは短剣をヤルダバオトの心臓に向けて突き出した。
執念がヤルダバオトを仕留めるのか……しかし。
「……否、おわりだ」
ルキの短剣は石礫に晒され根本から折れていた。
これではヤルダバオトは殺せない、ヤルダバオトはルキの体を軽く押すと、彼は抵抗することも出来ず倒れた。
「せめて幸せな夢の中で死ぬがいい……」
ルキはもう限界を超えていた。
限界を超えた代償は大きく、彼の声に体が反応してくれない。
体温が急激に落ちて、もう終わりだということが分かった。
(ち、くしょう……畜生! 恨み、果たせず……!)
そのまま彼の心は闇の中に落ちていった。
「逝ったか……理解できんな、死ねば終わりだというのに」
ヤルダバオトにとって復讐など無意味だった。
千年にも渡る彼の人生は死からの逃避、神へと至ることだ。
その為ならヤルダバオトはできる限りのことをしてきた。
恨みを買うことなど果たしてどれほどあったのか。
しかしそれももう終わる……足音が迫っていたからだ。
「ここはっ?」




