第71話 絶望と希望
「それにしても自爆……そこまで転生教団はするのでありますね……」
「きっと来世への転生を約束されているのね……そしてそれを本気で信じているのよ」
「転生することがそんなに良いことなのでしょうか?」
オーグにはなんとも言えない。
自爆するほど信じられもしないが、かといって死をどこまでも恐れるのはオーグにだって共通している。
だって死は怖い、死ぬくらいなら逃げ出したい。
老いを恐れるのだって、病を恐れるのだってきっと、本能的な生存欲求なのだろう。
その上でオーグはフェニックスに選ばれたことを考えた。
オーグの意思を無視してフェニックスはアリスの体を魂を移して転生させた。
アリスはその時点で死んでいたし、きっと魂ももうなかった。
フェニックスからすれば人間がどうなろうと構わないのだろう。
オーグはやっぱり転生は邪悪なエゴの肥大化だと思えた。
「人間はね……死ぬからきっと頑張れるの、死なないなら頑張る必要もないでしょ? だからきっと生き抜くことが愛おしく美しいんじゃないかしら……?」
「ふふふ……素晴らしい意見です。ですが我々は違う」
オーグたちは慌てて足を止めた。
やや広めの空間に幹部が一人立っていた。
メルは幹部を見て驚いた。
「シリウス殿! まさかシリウス殿まで……!」
「おやこの貴族をご存知で? どうも人間関係を覚えるのは煩わしい」
シリウスという貴族の皮を被った優男は一見すれば温和な顔だが、オーグは悪党を見慣れている。
この男にはとびっきりの嫌な予感がこびりついた。
「メル気をつけなさい……彼は稀にみる邪悪よ、肥溜めのような底の底を見てきた私も初めて見るような……」
「おや? 気付かれました? ええ、自覚はあまりないのですが」
飄々とした態度の裏に吐き気を催すような邪悪な意思を感じる。
それはドッと汗となってオーグの全身から吹き出した。
なにこの不快感? オーグはヤルダバオトに感じた絶望とは全く異なる畏怖を覚えた。
「ふふふ、その顔……良い! 個人的にはもっと貴方を絶望させたいですね」
「この……! 申し訳ないでありますが、貴方は斬ります!」
メルは白銀剣を構えた、だがシリウスは酷薄な笑みを浮かべた。
「出来ますか? これを見ても」
そう言うとシリウスの目の前に一人の少女が転移した。
その少女を見た時……ドクンとオーグの心臓が高鳴った。
浅黒い肌、少女らしい小さな体格で、美しい顔をした少女、その少女は……!
「リンーッ!!! テメェリンに何しやがったぁ!!!」
オーグは目を剥き吠えた。
リンはぐったりしておりピクリともしない。
シリウスはそんなオーグの顔を見て、邪悪に笑った。
「あはは! そう、その顔です! 私はね! 他人が不幸に転落する時の顔が大好きなんですよ!」
「くっ! リン殿を人質にするつもりでありますか!」
「当然でしょう! バカ正直に君たちと戦うほど私は馬鹿じゃない!」
完全に小馬鹿にした態度だ。
オーグは震える両手で杖を強く握り締めた。
恐れていた事態、家族が狙われること……だからオーグは誰もこの問題に関わらせたくなかった。
唯一明確な復讐の権利を持つルキのみがオーグの協力者に足り得た。
「この仔猫ちゃんはね? 無謀にも転生教団に探りを入れたんですよ、愚かでしょ? 無様に捕まったのですから!」
「リン、あのバカ野郎……!」
オーグは歯ぎしりしながら、悪態をつく。
メルもまた、苦渋の顔で剣をその場に捨てるしかなかった。
「教祖様にはフェニックスの巫女の確保を命令されていますが、ただ命令に忠実というのもつまらないですね。ふふふ、そうだ! 巫女さん、取り引きしませんか?」
「取り引き、だって?」
「ええ、その少年を殺しなさい。そうすればこの仔猫ちゃんは返却しましょう」
「なっ!」
メルは驚愕してオーグを見た。オーグはドス黒い顔で俯いた。
それらを見てシリウスは更に嘲笑う。
なんということか、ありふれた取り引きだ。
人質の交換にも似ているが、これは悪党の為せるナンセンスな悪意だろう。
オーグはドス黒い感情が渦巻く、その胸中は誰にもわからない。
逡巡する、すればするほど泥沼だ。シリウスはそんな時間の流れさえ面白おかしく笑った。
「アハハ! どっちでもいいんですよ! この仔猫ちゃんが傷付くか、その少年が傷つくか! さぁどっちがお望みですか!」
シリウスの声は非常に耳障りだった。
メルは不安な顔でオーグの顔を覗く。メルとリン、オーグにとってどっちが大切かなんて明白じゃないか。
オーグはリンを選ぶ、そう決まっている。確実に切られるのはメルだ、メルは怯えて震えていた、だが――。
「魔女殿、リ、リン殿をお救い下さい」
「………」
「リン殿を……救ってあげてほしいであります……なんの、私は男、で、あります、から………!」
怖い、怖くない訳がない。
メルは震えていた。メルにはどうしても策が思い付かない。
卑劣にも敵は人質をとり、リンの生殺与奪の権利は敵の手にある。
メルではリンの救出は無理、ならばより可能性のあるオーグに託すしかないだろう。
そんな理不尽な展開に彼は必死に我慢する。
オーグに介錯されるならまだ我慢できる、はずだ。
だが………オーグはそんなメルの言葉を聞いてもいなかった。
彼女は完全にキレていた、どのようにして敵をぶっ殺すかしか興味が沸かない。
それがオーグの家族を狙うという意味だ、オーグにとって家族がどれだけ大切なのか。
そこにリンもメルもないのだ。
オーグには初めからメルを傷つけるつもりはない。
かといってシリウスに従うのもムカついた。
「おいクソ野郎……俺様の選択肢は一つだ」
「は?」
「テメェをぶっ飛ばす! 以上だクソ野郎ッ!」
オーグは迷わず魔法を詠唱する。
シリウスは咄嗟にリンを肉壁にした。
「魔女殿駄目っ!」
「ライトニング!」
メルの制止さえオーグには聞こえなかった。
オーグは杖から電撃を奔らせると、電撃は四方八方にばら撒かれ、壁を跳ね返った電撃がシリウスの背中から直撃する!
「ぐわ! この化け物め! 人質もお構いなしか!」
「消し炭にされたくなかったらリンを離しやがれっ!」
本気だ、オーグは杖に炎を集中させると、逆にシリウスを脅した。
シリウスはオーグを甘く見ていた。
オーグは感情を操るのは苦手だ、それも彼女の琴線に触れることなら余計に。
リンごと燃やし尽くす気か……メルは最悪の事態を恐れた。
だがある意味でオーグは正しい、ここで敵に従うことがいかに愚行か考えれば納得できることだ。
問題はリンを犠牲にすることに堪えられるかの方だが。
「ふ、ふふふ! 本当に面白い人だ、貴方も大分壊れてますね!」
「無駄口叩く暇はあんのか!」
「いいでしょう……私の負けです」
「えっ?」
シリウスはそう言うとリンを放った。
メルは慌ててリンを受け止める。
だが……メルはリンの冷たい身体に驚愕する。
「こ、これってまさか……!」
「どうしたメル! リンは……え?」
リンは微動だにしない。そして最悪なことにエルフであるオーグはリンの鼓動が無いことを知覚してしまった。
そう身体も冷たく、脈もない……それは。
「う、そ……死んで……あぁ」
「アッハッハ! 無様だね! 死体の為にあんなに必死になって! これが見たかった、絶望しただろう!」
シリウスの吐き気を催す邪悪な気配の意味がやっと理解できた。
こいつは初めから約束を守る気もない、リンの死体をただオーグを絶望させる為に利用したのだ。
「あぁ………あ、あああああああああっ!」
オーグは怒りと悲しみに絶叫した。
涙が止まらない、オーグはもう自分が制御不能だった。
リンを失った、それはもう後戻りができないほどオーグを絶望に沈めた。
「テメェ! ぶっ殺す!」
「ははっ! 死ぬのは嫌だね! それに策っていうのは幾重にも重ねて用意するものです!」
シリウスはどもこまでも余裕だ。
再び彼は周囲に無数の信者たちを召喚する。
ただ一人、猫の獣人だろうか。猫耳が頭から生えた少女がシリウス前で縄で捕縛されていた。
「お、お頭……!」
「……?」
「あの獣人、今お頭って……?」
オーグは呆然と猫の獣人を見上げた。
お頭と呼ぶ獣人をオーグは知らない。
リンとは似ても似つかない獣人だが、オーグはその獣人を知っていた。
「ま、さか……リン、なのか?」
「お頭! ごめんなさい……にゃ」
「あはは! どうです! 素晴らしいでしょ、実は仔猫ちゃんは生きていたんです! 反魂の法でね!」
猫の獣人はリンだった。
シリウスはリンを無理矢理反魂の法で猫の獣人に魂を入れて、確保していたのだ。
全てはオーグをもっとも絶望させるために、彼は満足そうに笑うと、周囲に言った。
「見るがいい! これが絶望です! さぁ皆さん彼女らをいたぶりなさい! 抵抗する気力もなくなる程にね!」
咄嗟にメルは白銀剣を拾って構えると、オーグの背中を守る。
多数に無勢、守りきれるか、いやそれ以前にリンをどうする?
今度こそ本当の絶望だろうか……メルはすでに絶望に戦う気力を失いかけている。
「無様だねぇ……さぁもっと見せろ絶望を! この私にぃ!」
「待てぇい!」
「ッ! この声は!」
「だ、誰です! 最高のショーの最中ですよ!」
どこからか声が聞こえた。
メルとオーグは顔をあげ、シリウスは狼狽した。
そんなシリウスを嘲笑うように声は響き渡る。
「困難は容易に人をくじけさせる。絶望は気力を奪うだろう。けれどもどんな困難にすら立ち向かうものは気高く美しい……人、それを希望と言う!」
「何者だ! 名を名乗れ!」
その瞬間、『彼女』はオーグ達の後ろから現れたのは。
美しい銀髪、ドレスにも思える民族衣装を纏い、腕には波と乙女のタトゥーが彫られている。
「貴方たちに名乗る名前はない!」
そう決断的に答えたのはコールガだった。
なんとコールガまで転生教団の本部にいるのか。
オーグは驚いたが、もう一度彼女が驚くことが起きた。
それはシリウス頭上から襲いかかる声だった。
「ヒャッハー! 一意専心真っ向勝負! 必殺唐竹割りーっ!」
セラミック製の魔法剣を両手で握り、野蛮人同然の叫びを上げるのに、やはりその雰囲気は典雅な上のエルフ。
エルミアはシリウスに奇襲を仕掛けた。
「なっ! 聞いてないぞ!?」
「言ってないからな!」
シリウスは飛び退き、エルミアの剣を避ける。
しかしエルミアの狙いはシリウスではない。
彼女は華麗に猫の獣人の拘束を切り裂くと、彼女に凛々しく言った。
「もう大丈夫だ山猫、ていうか完全にもう猫だな、ウププ!」
「むかつくにゃ……でもありがとう……にゃ……うううっ」
どうやっても語尾に『にゃ』がつく猫獣人のリンは恥ずかしげに頭を抱えた。
オーグは迷わずリンに駆け寄ると、リンを抱きしめた。
「リン! ごめんリン! アタシの性でリンまで巻き込んで!」
「……お頭、アタシはお頭が好き、お頭が大好きにゃ。だからお頭を傷つける者は絶対に許せない……これはアタシが選んだ道……にゃ」
リンは必死に抵抗しただろう。
だが抵抗は虚しく、彼女はシリウスに反魂の法を使われ、この猫の獣人の肉体に収まった。
「それに、この身体の持ち主と約束もした、にゃ」
「約束?」
捕まっていた時、牢屋のような部屋に閉じ込められ、その時同じ部屋に捕まっていたのが猫の獣人の少女だった。
少女はケチな泥棒で、盗みで生計を立てているような絶望的な底辺の存在だった。
だが転生の教団の勧誘に対して拒否したことで、捕まり転生の器とされてしまった。
彼女はずっと泣いていて、とても痛々しかった。
リンはそんな獣人少女を励ましたが、獣人少女はリンを受け入れてくれなかった。
だからこそリンは身の上を彼女に説明し、リンは絶望していないことを証明した。
獣人少女は段々とリンを受け入れ、一緒に脱出しようと誓った。
けれどもそれは叶わなかった。シリウスはあえてリンの新たな肉体に獣人少女を選んだからだ。
「彼女と約束、絶対に虹色の空を見せるにゃ」
リンはそう言うと慣れない体で手を握った。
獣人特有の肉球のある両手には爪が鋭く飛び出る。
名前さえ持たない獣人少女の夢は、かつて聞いた虹色の空の話だ。
窮屈で抑圧された少女の些細な夢は、どこかのお伽噺のようなもの。
それでもリンは約束した。必ず虹色の空を見せると。
「お頭、アタシも戦うにゃ」
「……本気なのね?」
「本気、じゃないとこの身体も納得しないにゃ」
復讐の権利はリンに与えられた。
リンはもはやリンではない、猫の獣人と融合した魂はリンであり獣人少女である。
オーグはリンを否定できなかった。ただ受け入れるしかないのか。
リンは不完全な反魂の法を施された以上、歪みがあるはずだ。
それを彼女は受け入れられるか……オーグはただお頭らしく振る舞うしかなかった。
「なら、こいつらぶっ飛ばすぞ!」
「わかった、にゃ!」
「ハッハー! 血湧き肉躍る! 怯えれろぉ! 竦めぇ!」
かくして大乱戦が始まった。
ベーオウルフクランの全員が揃った今、彼らにこの程度は物の数ではない。
コールガが流麗に氷の槍を振り、エルミアは魔法剣で力強く薙ぎ払う。
確実な勝利、それが音を立てて瓦解していくのを目の当たりにしたシリウスは思わず逃げ出そうとしていた。
一方的な蹂躙が好きな彼でも、逆に蹂躙されるのは望まない。
だがリンはそれを許さなかった。
許さない……この男のなにもかもをリンは許さない!
「逃がすと思う?」
「く、くそ! このクズめ!」
リンは獣人の身体能力に驚きつつ、逃げるシリウスの正面に回り込んだ。
後ろから致命の一撃を加えても良かったが、それではリンの気は済んでも、この身体の主は気が済まないだろう。
身体はリンに扱い方を教えてくれている。問題ない。
「お前らクズがなんで邪魔をするんだ! これは転生教団の崇高な儀式だぞ!」
「だからなに?」
リンは冷酷な目でシリウスを見下した。
この男に二人の少女が言いようもない辱めを受けたのだ。
リンの怒りは凄まじい、シリウスは思わず怯むほどだ。
「く! この役立たずめが! 死ねぇ!」
シリウスは禁呪を唱える。ダークファイアだ。
闇の炎がシリウスの両手に滾る、当たれば魂さえも燃やし尽くす禁断の魔法だ。
だがリンの心は静かだった。
激しい怒りも静かな水面を揺らさないかのように冷静で、ただ彼女にはシリウスの全てが遅かった。
「フッ!」
リンは素早く飛びかかる。元々俊敏だった少女の動きはより力強く踏み込まれた。
シリウスは色付きの風を見ただろう。到底捉えきれる動きではなく、彼は必死に目で追おうとした。
なんとか捉えたのはしなやかな獣人のケリだった。
「がは! くっ!」
「ふぅーっ」
シリウスは苦悶に表情を歪め、蹴られた腹部を手で抑えた。
リンは息を吐きながら、トントンとリズミカルにステップを踏む。
慣れない獣人の体に徐々に心と体をチューニングしているのだろう。
「この、死ね! 死に損ない!」
シリウスは隠し持っていた短刀を握ると素早く振るった。
リンは冷静に僅かな動きで回避する、しかしまだ肉体が完全には応えてくれなかった。
ザシュ!
リンの頬が浅く切られた。
シリウスはニヤリと笑う。
「ククク、君だけは絶対に許さないですよ……よくもここまで私をコケにして――」
不覚をとった。だがリンは構わなかった。
シリウスの戯言が気にならない、彼女は集中すると深く呼吸しながら頬の傷を指で撫でて、シリウスを挑発した。
「かかってきなさい、にゃ」
「舐めるな下等生物がーっ!」
安い挑発だ、だがまだ肉体と魂の調整が出来ていないリンに対してなら勝ち目があると、シリウスは短刀を顔面に突きだす!
しかしリンはそれよりも早くシリウスの顔面に握った拳を突き刺した。
「ふが!」
「どうしたにゃ? それでおしまいにゃ?」
「こ、殺してやるー! 殺してやるぞー!」
激昂するシリウスは短刀を振り上げた。
短刀の扱いに長けたリンにはその動きは致命的だった。
「はぁぁ!」
リンは一瞬踏み込むと、色付きの風になって消えた。
シリウスは目標を失い戸惑った、だが直ぐに背後に気配を感じて振り返る。
「ええい! ちょっとすばしっこいからと!」
「あなたの敗因は、自分が強いと錯覚したことにゃ」
なに――?
リンは実につまらなそうに呟く。
彼はクレイジークラウンを失った時点で敗北していたのだ。
強力な私兵がいて、それが当然だと考えると、まるで自分まで強くなった気分になる。
転生教団の信者たちには、少なくない傲慢さだった。
だからこそ強者の後ろに隠れてコソコソしていればよかった。
魔法使いが前面に出てくるっていうのは、もう敗北した証なのだから。
プシューッ!
シリウスは首筋に異変を感じた。
熱い、彼は首筋を見ると、まるでスプリンクラーのように血飛沫が首から放たれた。
シリウスは必死に血を止めようと慌てるが、リンの爪が頸動脈を切り裂いた。もう出血は止まらない。
「ひぃ! な、なんで! 私は全てを支配するんだぞ! 私が神になるんだ! それなのに何故ーッ!?」
神と嘯くシリウスもやがて、顔を真っ青にすると出血多量で前のめりに倒れた。
リンはシリウスに振り返ることもなく、ただ彼をこう評した。
「……自分を一番知らなかったのは、自分自身だったようね」




