第66話 潜入する者たち
祭壇奥にはやはり隠し通路があった。
司祭は必死に逃走し、それをオーグ達が追いかける。
司祭は一体どこに向かっているのか?
「ヒィ、ヒィ! くそなんなのだ奴らは!」
悪態をつくも、周囲に味方はいない。
教団本部はあまりにも広大、だが教団員の数は少ないのだ。
本部の深奥は司祭の彼でも知らない、知っているのは幹部だけだ。
彼は今命を狙われていることを後悔した。
なんでこんな目に合わないといけないのか、彼は今まで自分が何をしてきたのかさえ忘れて、自分の運命を呪った。
だがそんな彼に不幸は突然襲いかかった。
ドスッ!
「かはっ! ……え?」
迷宮のような通路で突然その心臓に剣が突き刺さった。
どこから攻撃が? ワナワナ震えながら彼は血眼になって振り返った。
通路の脇から覗き込んでいたのは暗紫のローブに身を包んだ青年のゾッとするような瞳だった。
「地獄へ堕ちろ……!」
憎悪に満ちた言葉、司祭は恐怖に絶望していた。
彼ルキは司祭の胸に突き刺さった剣をぶっきらぼうに引き抜くと、司祭は口から血を大量に吹き出した。
「き、さま……!」
「ふん……!」
ルキはつまらなさそうに司祭を蹴る。
司祭はもはや抵抗する力さえなかった。
「ルキ! 無事だったのね!」
「オーグか……」
オーグはルキの無事に安心すると、彼に駆け寄った。
ルキの足元、マルギット男爵の顔をした司祭は私怨に満ちた視線をオーグとルキに送った。
「き、貴様らはな、なにも……分かって……い、ない」
「黙れ悪魔」
ドカッ! ルキは血を吐く司祭を蹴り飛ばす。
思わずメルが非難するが、ルキの憎悪はこの程度ではないのだ。
「かは……! きょ、教団に栄光あれ……!」
その言葉を最後に司祭は赤黒い染みへと変わっていった。
「なんだか少し哀れであります」
「輪廻の中に戻れたんだから……喜んであげましょう」
オーグはそう納得する。メルもその言葉に頷いた。
だがオーグとて個人としてあの司祭に憎しみがあった訳じゃない。
ルキのような憎悪をオーグが持つことは不可能だ。
だからこそ冥福を祈るしかないのだろう。ようやく死ねたのだから。
「ルキ、アタシの言葉なんて響かないかもしれないけれど、一応聞いて、お願いだから生きて、怨念に飲まれちゃ駄目よ……」
「…………」
ルキはなにも答えなかった。
意図的な無視? いや違うルキは繊細で、どんな僅かな言葉さえも聞き逃さない。
ただ―――ルキは死ぬつもりは無論ないが、オーグの優しさに甘える資格は自分にはない、そう思っているのだ。
「………っ」
それが、その無言の解答がメルには少しだけ気に食わなかった。
あの優しいメルが、ルキを静かに睨んでいるのだ。
§
オーグがルキと合流する少し前、地上では丁度エルミアとコールガの二人の姿があった。
軍師に迎えたいほど知識や教養に恵まれるコールガは、ケルピーと共にスラム街へとやってきた。
目的は勿論転生教団のアジトへ潜入だ。
エルミアは「大将首は私がもらう!」と息巻いているが、彼女たちの周りには無数のならず者が横たわっていた。
「さてと、準備運動はここまでにしてと」
「つ、強えぇ……な、なんなんだこの女ども」
「こ、こっちは三十人はいたってのに」
三十人? たかが三十人で、とエルミアは鼻で笑った。
戦争を知らぬ愚か者どもは、人数の有利にかまけて、自分たちが徹底して有利になるよう陣地構築を怠った時点で、彼我戦力差の分析も出来ていない。
エルミアは人族を侮る傲慢な性格だが、傲慢になるだけの実力もあるのだ。
「では尋問を始めましょう、誰に命令されたのですか?」
コールガは手近のならず者の前で屈む、優しい笑顔で質問した。
さっきまで悪鬼羅刹のように戦っていた女とは思えない態度に、ならず者は顔を凍りつかせた。
「し、知らねぇ!」
ゴキン! コールガは笑顔でならず者の下顎を外した。
「あががが!」
「おおーいい音したわね、片手で顎を外しちゃうなんて、器用ねー」
「尋問が拷問に変わる前に答えて下さいね? 誰に命令されたのですか?」
ゴキン! これまた器用にならず者の顎が嵌った。
すでにこれは拷問では? とならず者は全身から脂汗を垂らしていた。
もう抵抗する気力もない、コールガは本当に拷問をすると確信したのだ。
「ほ、本当に知らねえ! た、ただ前金貰ったんだ! お前ら捕まえたら更に倍やるって!」
「………」
「ほ、本当だ! 信じてくれ!」
コールガの絶対零度のように冷たい視線はならず者の目を射抜いた。
コールガに嘘は通じない、彼女の鍛え抜かれた推理眼は容易く人の善悪を見抜く。
「事実のようです」
「だったら、さっさとその依頼者をとっ捕まえましょうコールガ!」
「……いえ、折角なので、少し策を」
コールガがクスリと笑うと、味方のエミリアでもなんだか背筋が冷たくなった。
戦わない時は穏やかな海のようで、戦う時は荒れ狂う荒波。氷と炎の精神をこれほど上手に融合した戦士をエルミアは知らない。
§
ならず者達は皆スラム街出身のアウトロー達だった。
彼らの前に突然、顔を隠した男か女かも分からない黒ずくめの奴は、金貨を差し出したのだ。
もし目当ての女を生け捕りに出来たなら更に倍を支払うとまで言われれば、ならず者達の目の色も変わるというものだ。
かくして三十人にも及ぶ明日を知らないならず者達が集まると、生け捕り作戦が始まった。
その内容はカットするとして、ならず者達はエルフの美女を捕らえると、約束の場所へと向かった。
「ほう、これはこれは……本当に捕らえられたとは」
「くっ殺せ! 生き恥をさらす位なら死んだほうがマシだ!」
エルミアは縄で両手を拘束され、目の前の全身黒尽くめに悪態をついた。
だが言葉とは裏腹にエルミアは冷静、黒尽くめの呼吸、脈拍を聞き逃しはしなかった。
「さぁ約束だ! 残りの金を出せ!」
「一人足りませんが?」
勿論コールガのことだ。コールガはこの場にはいない。
エルミアは彼女だけは絶対敵に回してはいけないと痛感した。
なにせコールガは平然と囮捜査を実行したのだ。
(釣りとか言っていたな……獲物がかかるまで釣り師はじっと堪えると言っていたが……私は生き餌か)
しかり。エルミアが生き餌ならば、ならず者は糸であり、その釣り竿はコールガの手にある。
エルミアに巧妙に隠された釣り針にかかるまで、コールガは文字通り息さえ止めて待っていた。
「お前、俺たちの姿見てなにも思わねえのか!」
「たった一人生け捕りにするだけで、俺たちこのザマなんだぜ!」
「……ふむ、確かにそれもそうですね。むしろこれは大金星かもしれません」
「……お前、エルフか?」
エルミアは中性的な黒尽くめにエルフではないかと訝しんだ。
エルフと言われると、黒尽くめは僅かに震え、やがてクスクス笑った。
「ハーフエルフですよ……だから少し誤解を与える」
ハーフエルフ……エルミアは僅かに眉を顰める。
エルフは選民思想の強い種族だ、その癖森を出たがらないから、他の森のエルフと連携を取らず弱小国家に甘んじている。
そんな中エルフの中に異端者と呼ばれる者や、はたまた人攫いにあった不幸なエルフがいた。
エルフはハーフエルフを強く憎悪する、穢れた血を嫌う。エルフの神秘性を歪曲したその顔を嫌う。
オーグの体の持ち主アリスのように森を追放されたエルフが、街でハーフエルフを産んでいくのだ。
「悍ましいですか? ククク……」
「ふん、気にするな。私は種族を偏見するつもりはない、一度それで痛い目みてるからな」
人族を侮ってしまったから、オーグに破れた。
エルフという種族がたかが盗賊団、龍のキバに破れたのだ。
エルフ至上主義こそ曲げていないが、あれ以来侮ることはやめた。
だがハーフエルフはエルミアの勝ち気でも典雅さを残す神秘性に「あぁ」と感嘆の声を零した。
まるで愉悦……というように彼(?)はエルミアに触れようとした。
「おい報酬はどうなってる?」
「あぁ、ええそうでした……ですが捕まえたのはエルフ一人ですので、報酬は半額ということで」
半額といえど金貨三枚はならず者たちにとって破格だ。
前金で金貨三枚、そして成功報酬で金貨六枚。
コールガが足りないので合わせて金貨六枚は、彼らがどれだけ汗水垂らして働いても早々稼げる額ではない。
ならず者達は金貨の入った袋を受け取ると、満足げにその場を去っていった。
エルミアはハーフエルフと二人きりになると、口惜しげに呟く。
「仮にもエルフの国の王女がたった金貨六枚の価値とは……泣けるわね」
「たかが人口数百の弱小の姫君など、そこらの貴族令嬢と価値は変わらないでしょう。希少なエルフというブランド力がなければね」
希少だからこそエルフは狙われやすい。ハーフエルフはエルミアの顎に触れると、怪しげに笑った。
まるで自身にも半分エルフの血が混じっていることを忘れているかのような反応だった。
「貴方なら金貨三百枚の価値は充分にあるでしょう……ふふふ、安上がりでしたね」
「俗物が……! 私をどうする気!」
エルミアはエルフでありながら人族の価値観に染まったハーフエルフを見下した。
エルフは悠久に生きるのだから過度な幸せはいらない。
ずっと平穏で、明日も同じ日が良いねという向上心のない種族と例えられる。
長寿であるが故に、人族の独楽鼠のごとく働く姿は滑稽だ。
ハーフエルフはエルフであって人族でもあるから、どうしても贋作のような印象を覚えてしまう。
もしも望まない結婚があって、人族と子供を作らないといけなくて、その母親となった時、子供を本当に愛してあげられるのだろうか……エルミアには確信が持てなかった。
「ククク……貴方は神への生贄です」
「神とか言ってどうせ邪神の類でしょ! もううんざりだわ!」
過去に一度拐われて、本当に生贄にされかけたのだから、中々のブラックジョークだ。
ハーフエルフは大して取り合わず、そのまま拘束されたエルミアの手を引いた。
「どこへ連れて行く気よ?」
「知る必要はない」
エルミアは周囲を伺いながら、どこに向かっているのか推測した。
今は従う振りをして情報を集めたい。
万が一があればコールガが助ける筈だが、彼女と連絡が取れないのは少しだけ不安だった。
完全に意思伝達方法を無くすのはコールガの提案だ。
伏兵は味方さえ騙す必要があると言う。
(信じるしかないわね……)
やがてハーフエルフはとある建物に入った。
スラム街の酒場か、あるいは物資集積所だろうか。
うらびれた建物、ハーフエルフは重たい扉を開くと、中には階段があった。
「階段?」
「降りるんだ、ほら早く」
「あんまり急かすな、エルフなら余裕を持ちなさい」
クスッ。とハーフエルフ微笑む。
エルフという言葉が嬉しいのか? それとも滑稽に思っている?
ともかくハーフエルフを苛立たせるのは得策ではない。
エルミアはゴクリと喉を鳴らすと階段を降りて行く。
ここは万魔殿か、そんな畏怖がエルミアの背筋を震わせた。




