第50話 走れ走れ野戦行軍訓練
戦闘訓練は野外で執り行う。
メルはその内容を集まった全員に説明した。
「これから皆さんにしてもらうのは野戦行軍訓練になるであります」
「具体的には何をするのかしら?」
こちらの文化には疎いコールガは手を挙げて質問する。
メルは小高い丘を指差した。
「簡単であります、あの丘まで走るでありますよ」
「簡単……ねぇ?」
オーグはとんがり帽子を目深に被ると、丘の天辺を見上げた。
勾配はやや高め、距離も結構あるな。
オーグは足も遅ければ体力もない。これは圧倒的不利だぞ、とげんなり顔色を悪くした。
「誰が一番ではなく、自分に挑戦し、過去の自分を越える努力をしましょう! それでは位置について……よーい、ドン!」
メルの号令に一斉に走り出すと、最初に抜け出したのはエルミアだ。
中々の快速っぷりを披露している、伊達に『閃闘姫』の二つ名ではないか。
一方団子状態の集団で一番後方はやはりオーグだ。彼女は直ぐに息切れし始めていた。
「ぜぇはぁ、ぜぇはぁ、キツい……!」
「頑張れ頑張れ、でありますよ。限界を越えるには限界に挑むであります!」
サイズの合わない鎧をガシャガシャ煩く揺らすメルは、極めて笑顔でオーグに無茶振りをした。
初めてメルにオーグは殺意を抱いたかもしれない、ギリッと歯軋りすると、怨念めいた視線をメルに向けた。
しかし超絶爽やか少年のメルに、そんな負の念は効かないし通じない。彼は爽やかな汗を流しながらスピードを上げた。
「えっほ、えっほ! 皆さん頑張ってー、頑張らないと意味はないでありますよー!」
「うぅ……うざい、メルの熱血さがうざいと思う日がくるなんて」
とはいえ負けず嫌いのオーグは諦めない。ましてかつての肉体の時は龍のキバで一番の巨体でありながら、走れば馬のように早く、一日に地平線まで走るスタミナもあった。
一人で一国とさえ評価されたオーグの輝かしき筋肉伝説も今や昔。
鍛える喜びを知っているだけに、ただただメスガキエルフの肉体の脆弱さが恨めしい。
「フッ!」
一方エルミアがリードする中盤戦、リンが加速する。
リンは集団を抜け出すと、どんどんエルミアに追いつこうとした。
「来たか山猫!」
「……っ!」
エルミアも速度を上げる。リンに追いつかせまいとその美顔が歪んでいた。
「エルミア殿は逃げ切り、リン殿は差しを狙っているでありますね……それでは私も!」
エルミアは最初に先行した分スタミナは消耗している。
それを計算高く見越したリンは自分のペース配分で追い込んだのだ。
一方、後方から加速するメルとコールガ。ややコールガが早い。
先頭は以前エルミア、最後尾はオーグ。
けれどオーグも諦めてはいない。
脚がふらつく、呼吸が苦しい。
まさかただ丘まで走るのがこんなに厳しいなんて。
「ま、けるかぁぁぁ!」
「うぅぅぅ!」
丘の傾斜はエルミアとリンの体力を特に削る。
エルミアは必死な形相でスプリントした。
しかし瞬発力で山猫とさえ評価されるリンに敵うはずもない。
リンは更に加速し、ゴールの直前、鼻差でリンが一着ゴールした。
「はぁはぁ! 悔しい! 悔しい悔しい悔しいー! 負けたーっ!」
エルミアはゴールすると、前のめりに倒れた。
そのまま年甲斐もなく負けたことを悔しがる。
一方リンは息を荒くしながも、倒れることはなかった。
ただ玉のような汗が流れ、リンは鬱陶しそうに汗を拭った。
「はぁ、はぁ! ゴールっ」
遅れてコールガがゴール、その顔はどこか爽やかだ。
コールガも単純な足の速さやスタミナならこの程度だろう。
改めてリンの速さは称賛できる。
「はぁ、はぁ、キツ、いであります!」
ガシャンガシャン鎧を揺らすメルは四着だ、彼も全力を出し切っていた。
「メル……貴方鎧を脱がないの?」
リンは呼吸を真っ先に整え終えると、メルに疑問を覚えた。
なんで彼は鎧を着たまま走っているのだろう?
「き、騎士たるもの、鎧のまま行軍するのは当然であります!」
と言っておりますが、実際は行軍中は鎧は付けないそうです。
単純に彼なりの努力の証ですね。
「脱いだらコールガ、ううんエルミアよりも早そうだけど」
「なにをっ! 私を三番とあざ笑うかっ!」
二番も許せないが、三番はもっと許せないエルミアはガバっと顔を上げて抗議した。
「確かに足の速さに自信はあるでありますが、これは白銀の鎧に誓ったものでありますから」
メルは謙虚にエルミアに勝てるとは言わなかった。
ただ彼は風呂に入る時と寝る時以外は鎧を脱がないので、かなり体が鍛えられているのは確かだ。
ただそれが原因で身長が伸びない疑惑もあり、父ヴァサラガや次男シルヴァンと高身長が揃うので、そこはメルにも悩ましい問題だった。
因みに今は首都にいる長男もこれまた長身美形のお兄様らしいが、これは閑話休題。
「む? そういえばオーグは?」
ようやく体力も回復したのか、ムクッとエルミアは起き上がるとオーグを探した。
オーグはどこか、それは下だった。
「ふ、ん、ぬぅぅぅ!」
物凄く遅くではあるが、オーグは汗だくだくで必死に脚を前に出して坂を登っていた。
まるで産まれたての子鹿のように腰をぷるぷるさせて、健気で可愛いね。
「オーグ、頑張れー!」
エルミアはそんな必死なオーグを見て、精一杯叫んだ。
それを見て、メルも元気に声をあげる。
「魔女殿頑張るでありますー!」
「魔女様、負けないで!」
「もう少し、お頭!」
子分どもの声が聞こえる。
意識が朦朧する中、オーグは死力を尽くした。
タイムは絶望的だ。
だが彼女の脚は決して止まらず……ゴールした。
「やったぁぁぁ! オーグがゴールしたぁぁぁ! ヒーハーッ!」
オーグのゴールに誰よりもテンション上げて喜んだのはエルミアだった。
だがオーグのゴールの感動したのはメルもだった。
メルは感動の涙を指で拭うと、その努力を称賛した。
「おめでとうであります! 魔女殿は今限界を超越したであります!」
「すごいですわ魔女様、コングラチュレーション」
コールガはパチパチと拍手した。
はぁはぁ、と正常に空気を取り込めないオーグは酸素欠乏症で顔を青くしていた。
そんな彼女はフルフルと全身を震わせると。
「ざっけんなぁぁぁ! 頑張れとか負けるなとか、根性論で走れるかボケェェェ!」
根性論ばかり押し付ける子分共にブチ切れました。
そんなオーグを一番理解しているリンはいつものようにオチを締めます。
「馬鹿ばっか」




