第38話 すべてが終わって
圧倒的な巨体のドラゴンが遂に崩れ落ちた。
勝てるのかさえも疑わしかったその存在をオーグらは乗り越えたのか?
雪原すらも吹き飛ばし、爆風に耐えるとオーグは何かを幻視した。
(――これって?)
それは恐らく現実時間ではほぼ時が止まったような感覚だったろう。
オーグの前には、貧相な姿の少女が泣いていた。
「えぐ……えぐ……、そのどうして裏切ったの?」
裏切り? よく見ると少女の身体は全身をアザだらけでボロボロだった。
そんな少女の前に身なりの良さそうな金髪の少女がやってきた。
「無様ね―――。まぁ貴方にはそれがお似合いでしょうけど?」
「どうして私達友達じゃなかったのエステル!」
その少女の名前はオーグには分からなかった。
ただ二人は対比のようで、エステルという少女はゲシゲシと足蹴にして嘲笑う。
やめろ! オーグはその暴虐を止めようとしたが、その世界にオーグは存在しない。
まるで静寂で真っ暗な映画館で、チープな銀幕フィルムの映画を見ている気分だ。
エステルが少女に、なにをしても誰も止めることはない。
ただリンチは繰り返され、エステルは邪悪な笑みを浮かべた。
「友達? 勘違いしないで! これは貴方が悪いのよ! 貴方が私の彼を奪うから!」
痴情の縺れ? いや違う。
二人は貴族だった。遥か昔四百年も昔のこと。
エステルは少女と親友であった。だが裏切られた。
何らかの濡衣を着せられた少女は獄中に繋がれ、看守にボロボロになるまで非道の限りが尽くされた。
その間にもエステルという女はぬくぬくと生きている。少女の中で怒りと怨念は育っていた。
「おぉ可哀相に」
「……誰?」
「我らは汝を救いにきた。汝その肉に縛られ、なにもかも不幸であることに何を思うか」
少女の前に現れたのは漆黒のローブを纏った老人だった。
なんとなくあの蒼白な顔の老人に似ている気がするが、真相はオーグにも分からない。
「このままじゃ嫌……死にたくない、アイツの性で……なんで私が……っ」
「ならば授けよう………我らが秘技『反魂の法』を」
老人が謎の禁呪反魂の法を用いると、その少女の身体から魂が抜き取られた。
抜き取られた魂は、新しい宿主を求める。それはエステルだった。
「か、は! え? これ……アタシ?」
「そうだ、お前がエステルだ。汝は得たのだ。奪え肉も、人生も、信仰さえも!」
反魂の法によって身勝手にもエステルの全ては奪われた。
少女はエステルとなり、老人の配下となった。
少女はエステルの人生を利用し、かつてとは人が変わったように、無茶苦茶をした。
貴族の立場を利用し、民から重税を巻き上げ、自分に言い寄る男は顎で使う。
だがそんな暴政を敷けば民の反感を買うだろう。女狐エステルは急速に反感を買っていく。
それでも少女には関係がなかった。
民を力ずくで弾圧し、抑えが効かなくなると、彼女は断頭台へと送られる。
当然の結末…………に見えるが、民衆は怒りに狂いエステルの処刑を声たかだかに叫んだ。
ギロチンの刃はエステルの首を切り落とす……だが彼女の顔は笑っていた。
そう、既にその時エステルの身体に少女の魂はなかった。
彼女の魂は反魂の法により、離れた場所で処刑を見ていた青年に取り憑いていた。
四百年……少女は身体を乗り換え続けた。
しかしそれは彼女の魂を極限まで摩耗させる行為だった。
反魂の法は不完全だ。魂は混ざり合い、自我を削り、反魂の法で定着する魂は十年程度。
つまり四百年の間に四十回以上は身体を乗り換えたことになる。
「ヒッ! た、助けてください!」
「ああ〜? キャハ! 殺さねえよ……お前の全て奪ってやるんだからさぁ! キャハハハハハ!」
クラリスは馬車の中で怯えきっていた。目の前には悪魔の笑みを浮かべる少女がいた。
恐らくガドウィン家での奉公に休息を貰い帰省していたのだろうが、その矢先馬車を襲撃されてしまった。
肉体に限界を迎えた少女は、反魂の法によりクラリスの身体を奪ったのだ。
「キャハ、キャハハハ!」
もはや少女は自分が誰かなのかさえ分からなかった。
魂を擦り減らし続け、自我はもはや悪魔そのもの。
すべてを利用し、食らい尽くして永遠の命を得る悪魔でしかなかった。
だが……なら何故オーグはこんなものを『視ている』のだろう。
再び、オーグは泣いている少女を見た。
最初の少女、人生を狂わされ、悪魔に魂を売ってしまった哀れな罪人。
彼女はもはや許されないだろう……ただオーグはそんな少女を憐れんだ。
――もう終わりにさせてあげてくれ。
少女の復讐はとっくに終わったのだ。悪魔の契約書なんて破り捨てちまえ!
オーグはそんな少女を優しく抱きしめた。
「あり、がとう……お姉、ちゃん」
「お姉ちゃんじゃねえ、俺様は……俺、様は……?」
誰だ? 俺様は誰だ?
オーグはわからなかった。
本当にオーグなのか、本当はアリスじゃないのか?
アリスの身体を身勝手にも奪ってしまったんじゃないのか?
オーグはただ、唇を噛み震えていた。
少女の魂はやがて光となって霧散する。
反魂の法による永遠が終わったのだ。
やがて、オーグの視界は現実に戻った。
彼女の目の前には、ボロボロと崩れ去る邪悪で禍々しいドラゴンがいた。
ドラゴンにはもう魂がない。ボロボロと石像に戻り、砕け散るとその足元に海神の目が転がった。
オーグは海神の目の下まで歩くと、それを拾い上げ無造作にコールガへと投げた。
コールガは既《英雄憑依》の効果時間が切れ、元のおっとりとした彼女に戻っており、慌てて投げられた海神の目を受け止めた。
「約束通り返したぜ」
「魔女様……」
コールガは海神の目を見つめると、やっと取り戻したこれまでの旅路に感慨深く泣いてしまう。けれど彼女は直ぐに涙を拭った。
勇敢な海の開拓者に涙は似合わないと、彼女は口元はそう語るようだった。
「オーグ……本当に、本当にオーグなのよね?」
魔力を使い果たしてへろっへろのオーグに、エルミアは胸を押さえて駆け寄った。
普段の勝ち気で尊大な姿は、この恋する乙女にはない。
ずっと恋い焦がれていた。待ち望んでいた。
オーグは疲れた顔で振り返ると、なんとか笑って。
「おう、俺様がオーグ様さ」
エルミアはもう我慢出来なかった。感無量で彼女はオーグに強く抱きついた。
しかしオーグにエルミアを支える力なぞなく、結果的にオーグを押し倒す形になる。
エルミアは全く気にしない。全力でオーグに頬を擦付けるとお目々も真っ赤にしていた。それに我慢が出来なかったのはリンだ。
リンは直ぐにエルミアに物申した。
「お頭を困らせないでエルミア!」
「オーグオーグオーグ! ああああっ!」
聞いちゃいない。捕まって寂しくて心が弱っているのだろうと考えたメルとシルヴァンは顔を合わせると、苦笑し合った。
リンはムキになってエルミアを引き剥がそうと引っ張るが、この馬鹿エルフは腕力では引き剥がせない。
「むー! お頭から離れて!」
「……やれやれ、本当に馬鹿な子分共だぜ」
オモチャにされて身動きの取れないオーグは、ただ疲労からか安堵した顔だ。
エルミアを取り戻し、シルヴァンを救い、そして海神の目を取り戻した。
考えれば考えるほど、もう疲れ果てた。
それはオーグだけじゃない、みんな疲れ果てたのだ。
「帰りましょうであります、皆さん」
「ああそうだな、姐さん! 俺で良かったらおぶって行きますよぉー!」
「あぁー、それいいなー、じゃあ頼む―――」
「駄目! お頭はアタシが運ぶ!」
「いいや私だ! オーグにいーっぱい感謝したいのは私だからな!」
おい、誰もお頭の意見を聞くつもりはねえのか?
オーグを取り合うリンとエルミア。メルは「あはは」と乾いた笑いを放った。
流石のシルヴァンもこの二人からオーグを奪うのは命が幾らあっても足りないだろう。
コールガはそんな平和だからこそ出来るじゃれ合いに、めでたしめでたしと、のほほんと手を叩くのだった。
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帰りの馬車に乗り込むと、皆疲れが頂点に達し、誰もが熟睡していた。
グレンデル討伐、クラリスとシルヴァンとの一戦、そしてドラゴンとの戦い。
思い起こせば、きっとこれほどの激戦を乗り越えたことは、自慢にもなるだろう。
しかし当人たちはそれを実感するにはまだ早い。彼らにはやり遂げたという充実があり、このパーティの可能性を信じた。
日が昇る中、馬車の揺れも気にせず爆睡するオーグ。その両脇には抱きつくリンとエルミア。
両手に華に思えるが、オーグはただ暑苦しいだけであり、気持ち悪さに小さな体を揺らした。




