第33話 憎悪と狂気の狂宴
フロスガール城奥、グレンデルの戦闘音はそこまで届いていた。
それを聞いたある少女は気味悪く笑う。
「キャハハ! 聞こえた? ねぇ聞こえた? グレンデル暴れてるーっ、何人死ぬかな? ねぇねぇ何人死ぬと思うかな?」
少女はガドウィン邸の使用人が着用するメイド服を着ていた。赤毛の少女で名前はクラリス・ティアー。
そう、あの行方をくらましたクラリスである。
身長はリンとさほど変わらない、一見すると地味だが、その顔は狂喜に歪んでいる。
まるでグレンデルが暴れるのを喜んでいるかのように。
だがそれに僅かに不快感を顕にしたのは漆黒の鎧を纏った鬼のような角付きの仮面を被った怪物だった。
「クダラン……所詮タダ暴レルダケノ獣……」
「キャハ! それ君が言う? ねえ君がさあ! キャハハハ!」
明らかにクラリスの様子はおかしい。
少なくとも彼女のメイドとしての姿を知っている者であれば、全員がそう答えるだろう。
こんな狂気的に笑うような少女だったろうか、まるで悪魔憑きのようではないか。
漆黒の怪人と、このクラリス、はたして何者なのか。
だが、そんな二人にも、決してそこは安全な場所ではなかった。
「君は家族を裏切ってここにいるんだよ? 君だって獣となにも――」
「伏セロ」
怪人は突然腰から漆黒の剣を抜くと、振り抜いた。
クラリスは目を丸くする、頭上を剣が通り抜ける。
剣は闇の中から飛び込んできた『暗殺者』を捉えていた。
キィン!
剣戟音、クラリスはすぐにその場から飛び退いた。
「キャハ? お、お前は!」
漆黒の怪物と剣を交えたのは、暗紫のローブを纏った暗殺者だった。
その顔はきっと諸君らも覚えている筈だ。そうオーグを殺したあの暗殺者である。
暗殺者はまだ幼さの若干抜けない青年で、その瞳には憎悪と怨念を滾らせ、漆黒の怪人に言った。
「……そこを退け、俺はその女に用がある……!」
「退カヌ、退ケヌ理由ガアル」
怪人は更に剣を数度打ち付ける。暗殺者は力負けしているのか防戦に転じた。
漆黒の怪人の剣筋、そして膂力、いずれも卓越している。
そこらの騎士顔負けの剣技に暗殺者は舌打ちした。
「ふっ!」
瞬間、暗殺者はトップスピードを出し、漆黒の怪人の虚を突く。
漆黒の剣をすり抜け、暗殺者は怪人に斬りかかった。
形勢逆転? 素人ならそう判断しただろう。
だがこれは達人の戦いだ、漆黒の怪人は分厚い漆黒の籠手で暗殺者の剣を防ぐと同時に殴り抜ける!
暗殺者は咄嗟にそれも回避したが、バク転するように数m距離を離すと、油断なく剣を構えた。
漆黒の怪人も再び剣を構えると、両者は静かに対峙する。油断すれば一瞬で終わる……緊張が筋肉を強張らせる。
「キャハ……キャハハハ! しつこいねえアンタ! まだ突っかかってくる訳?」
だがそれを離れた位置で見物するクラリスは煽るようにあざ笑った。
暗殺者は目に殺意を込めると、クラリスを射殺すように睨んだ。
「俺は諦めん………必ず貴様らは全員地獄に送る!」
「そうやって何人罪のない人々を殺したのかな? かな? キャハハ! 復讐なんてなにも生まないよー? 知らないのー?」
暗殺者はクラリスの煽りになにも取り合わなかった。
殺した……そう暗殺者はここまで無数の屍を築いている。
だがそれがどうした。暗殺者は憤怒の表情を滲ませながらクラリスを凝視する。
「オ前ノ相手ハ俺ダ」
怪人はくぐもった声で、暗殺者に剣を振り下ろした。
暗殺者は素早く飛び退くと、その隙を見逃さない。
直ぐに飛び込み、怪人を仕留める……だが攻撃はキャンセルだ。
「ダークファイア!」
クラリスは魔法を詠唱すると、闇の炎が暗殺者に襲いかかる。
暗殺者は走りながら距離を離した。
「キャハハハハハ! 二対一で勝てると思ってるの? おめでたいわねぇ!」
「……メスガキめ」
暗殺者は舌打ちした。だが必ず仕留める、必ずだ。
§
「金属音!?」
オーグの耳は広間の先から小さな剣戟音を長耳に聞き取っていた。
正確な判別は不可能だが、近くで戦闘が起きていると教えている。
「もしかして別の場所から侵入した騎士でありますか!」
「わからないわ……でも、急いだ方がいいかもしれないわね」
ここから先、一体何があるのか? それを想像したオーグは身震いする。
グレンデル一匹にあれだけ苦労して、もしもあれが取るに足らない雑魚魔物だったらと思うと足が竦んでしまった。
けれどオーグは顔を両手でバチンと叩くと活を入れる。
エルミアは必ずここにいる。それを助けられないでなにが頭領か。
「皆、俺様に力を貸せ」
「うん、お頭の為に」
「魔女様は、私達の為に、たしかそうでしたわね?」
「魔女殿の決断ならば、当然力を貸すであります!」
本当に頼れる仲間達が集ったと思う。
一人一人の力は、決して驕れるべからず、けれど力を合わせればどんな艱難辛苦さえ乗り越えられると信じられた。
オーグはとんがり帽子を目深に被り直すと、杖を握り通路を進む。
後ろには誰一人落伍者がいないことは誇らしくあった。
さぁこの先、なにが待っているのか。
「魔女殿、どうか後ろに回ってくださいであります。前衛は私が務めるであります」
「魔法使いは真ん中がセオリーですわね」
メルは力強く拳を握ると、オーグを後退させた。
続いてコールガも優しくオーグの肩を引いて、前に出た。
「お前ら心配しすぎだろ……俺様がそんな心配か」
「心配するであります。魔女殿は無鉄砲なのでありますから」
「うぐぐぅ……言わせておけばぁ〜……!」
無鉄砲、己の性分は中々変えられず、オーグは言葉を返せない。
メルとて直情径行なところがあるが、それは己を騎士として鼓舞した結果だ。
ただその性で猪なんて言われるが、それはそれである。
「この先だ……音が大きくなってきた」
その音は、次第にメルでも聞き取れるようになってきた。
始終終わることの無い剣戟音、誰が戦っいる?
もはや身を潜ませるのも無意味、メルは甲冑を大きく揺らしながら一番に駆けた。




