第30話 出発前
メメントの街には日が昇り、活気で賑わっていた。
表街道を歩く冒険者や商人たち、冒険者は朝食を終え今から冒険に出掛けるところだろう。
商人たちはどうか、商人たちはバザーに集まると、それぞれ商いを始めていく。
商人たちの活気の良い声に誘われて、物入りの客たちが集まってくれば、この街のらしさが出てきたようだ。
メスガキエルフはそんな賑わい出す外を一瞥すると、宿屋で着替えを行っていた。
純白の絹のドレスは美しいが、これからオーグが行う行為からは似つかわしくない。
だからこそ、彼女はクローゼットから、おなじみの魔女の服を取り出した。
(マナを効率良く取り入れるためとはいえ、ちょっと視線が気になるよな、これは)
防御力の低い魔女の服は露出が多く扇情的だ。
なんでこんな服が使われるのかオーグは疑問だったが、最近ではこれがマナを効率よく吸収するための仕様だと理解した。
金属はマナに干渉して吸収効率が落ちる。古来より魔法使いが金属の装備をしないのは合理的というほかない。
なんなら裸が一番良いのか、と言えば最低限の防御力はあったほうがいいだろう。
特殊な糸で縫合した聖職者の法衣や、巧妙な魔法使いのローブには、可能な限りマナ干渉を起こさず吸収するための工夫がされている。
その点で、この魔女の服はアリスが生前から着ていたもので、オーグにはその価値は計れないが、非常に合理に適ったものだった。
ほぼむき出しの肩とふともも、開けたうなじと胸元も、魔力を精錬するという心臓に向けて考慮されたマナの経路だ。知識の不足するオーグにはやや気恥ずかしさのはある魔女の服だが、その実すべて計算尽くなのだ。
頭に被る伝統的な漆黒のとんがり帽子も同様だ。彼女は目深に被ると、壁に立て掛けてあった古風な杖を手に取った。
いつかの報酬で貰った昔の魔女のお古らしい帽子と杖は、その魔女が冒険者を引退したから、売るつもりだった物で、オーグは売るくらいなら、と引き取ったのだ。
彼女からは少し大きな樫の木の杖、鈍器としてもそこそこ頼れる一品だ。
「エルミア……すぐに助けにいくからね」
オーグは真剣な表情で、それだけ呟くと部屋を出た。
彼女の足は自然とあの酒場に向かっていた。
§
カランカラン。
カウベルが鳴ると、店主のベンはゆっくり入口に目を向けた。
まだ正午手前、この時間に客は珍しいな。
見えたのは妖艶な魔女の服を着たメスガキエルフのようだ。
「いらっしゃいませ……て、なんだ魔女さんか」
「ねぇベン……なにか作ってもらえる?」
オーグは妖艶に腰を揺らしながらカウンターに向かう。
ベンはそんなオーグに目を細めた。
「酒は出しませんよ」
「相変わらずケチ、◯ンポ!」
「女の子が使っちゃ駄目よ、そういう言葉は」
モップで床を拭いていたケイトは、オーグの隣に座るとそう諭す。
オーグはそんなケイトを一瞥してベンに言った。
「ベン、ケイトとの仲はどうなんだ?」
「はぁっ? ちょっ、何言い出すのこのメスガキエルフは?」
「ふふ、それは野暮ってものじゃない? 魔女さん……人の恋路は見守るだけが良いのよ?」
「違いないなぁ、ああ、違いない」
「まったくもう……魔女さんが来たらいつもこれだ」
ベンはあからさまに顔を赤くして慌てた。
一方でケイトもまんざらじゃなさそうだ。
ケケケと怪しく笑うと、オーグは更に言った。
「結婚式には俺様も呼べよ?」
「そんな予定はない! 全くな! すぐ作るから食べたらさっさと出ていってくださいよ!」
ベンはこれ以上からかわれまいと、すぐに厨房に向かう。
彼が作ろうとしているのはカツサンドのようだ。
事前に仕込んでいたカツは油に投入されると、食欲のそそる音を立てている。
オーグはそれを楽しそうに眺めていた。
そんないつもと少し雰囲気が違うのを、ベンもケイトも気づいていた。
「ねぇ魔女様、これから大きな仕事、なの?」
「さぁね……なるべくなら楽な仕事を望んでいるけれど」
人生楽して生きたい。そんなのは誰だって同じことを思うだろう。
好きで苦労を買うなんて、オーグからすれば気が狂っていると思う。
楽して生きられないから楽を望むのに、楽に生きられないのになおも苦難を求めるなんて、考えられない。
そんなのは裕福なブルジョアの思考だ。ブルジョアに明日生きる保証のない人間の思考など分からないだろう。
泥を啜っても生き延びる執念の意味など分からないだろう。
そんな泥に塗れた奴らが、この街にはたくさんいる。
オーグもそんな泥に塗れた一人といえるだろう。
ザクザクザク。
小気味いい音に気付くと、オーグは視線を厨房に向けた。
キャベッサという葉野菜を水に濡らして千切りすると、鮮やかな黄緑色の断面が覗く。
あの野菜は食感が軽く、ほんのり甘くて、オーグの好みにも合っていた。
野菜の次はサンドイッチ用のパンだ。ベンは手際よくパンの表面にカチナシの身という木の実をよく潰して、いくつかの調味料と混ぜ合わせた特製マスタードを塗りつけていく。
あれはピリッと辛く、パンの甘さと良く合うのだ。食欲のあまり思わずオーグも舌舐めずりしてしまいそうだ。
こんがりきつね色に揚がったカツを油から取り出し、油切りを手早く済ますと、粗熱を取って、最後の仕上げを準備した。
嬉しそうにオーグは目を細めると、ベンはパン、キャベッサ、カツ、キャベッサ、パンの順で重ねていき、最後にカツサンドを包丁で六枚切りに切断すると完成だった。
持ち帰りも兼ねてバスケットにカツサンドを断面が見えるように入れていくと、ベンはオーグの前に運んだ。
「はい、カツサンドですよ」
オーグは嬉しそうに受け取ると、その場では食べなかった。
恐らくこれから仕事だろう。バスケットは少食の魔女ならこの方が良いだろうというベンの気遣いだ。
カランカラン。
再び来客、ベンは入口を見ると、リン、コールガ、そしてメルがいた。
「ここにいたのね、お頭」
「おう、もう時間か」
「はい、すぐに出発するであります!」
オーグはカツサンドを受け取ると、カウンターを離れた。
そして彼女は指で貨幣を弾くと、貨幣はカウンターの上で踊った。
「まいどありー、ちゃんと無事に帰ってきてくださいよ?」
「ベンの癖に生意気♥ 押し倒す勇気もない♥ クソ雑魚ナメクジ♥」
彼女は嫌らしく笑うと、そう煽る。
もう煽られるのは慣れたもので、ベンは眉を顰め、さっさと行けと手を振った。
「ん……それじゃ行くぞお前ら」
「うん」
「海神の加護を」
「了解であります!」
オーグ達は扉を潜って出て行った。
気がつけばあんな性格悪いのによく人が集まったなと、ベンは思った。
思えばリンがあんなに懐くのも不思議だし、コールガのような超美人といつの間にか仲良くなっているし、メル何てどんな得があればアレをパーティに誘ったのだろう。
世の中不思議で、分からないことでいっぱいだ。
けれど気がつけばケイトもベンも彼女を特別な客として受け入れている。
その生き方……姿も全然違うんだけど。
「やっぱりさぁ、お頭に似てるんだよなぁ……」
そう呟き、ベンはオーグ達の無事を祈った。




