第29話 ケルピーの導き
エルミアを転移させた転送魔法は現代の魔法体系では高度ではあるものの、決して未知ではない。
ガドウィン公ヴァサラガは専門家の魔法使いに逆探知を行わせた。
しかし転移場所に残留する魔力は時と共に霧散し、逆探知を困難にさせ結果は失敗した。
もし逆探知に成功していれば、同じように転送魔法で追跡出来るのだが、現実はどうして厳しいものだ。
けれども追跡方法は一つではないと、コールガはガドィン邸の庭で一行にそう言った。
「海馬に追跡をさせれば、見つけることは可能だと思います」
「ああ! そういえばコールガはケルピーに頼ってメメントに来たんだよな?」
ケルピー、この幻想に生きる海馬はコールガの紋章魔法によって使役される肉体を持たない幻獣だ。
しかしコールガの顔は渋い、その理由を彼女は説明する。
「ケルピーは一つのものしか追跡出来ないのです。だから追跡対象をエルミア様に変更すれば、当然海神の目は追跡出来なくなります」
「元々の目的は奪われた秘宝を取り返すことだったな……」
コールガは逡巡する。しかし彼女の正義感なら本来は迷うことではない筈だ。
だがここで戸惑っているのは、きっと先祖や帰りを待つ姉妹への遠慮なのだろう。
そんなコールガにオーグは土下座した。
「コールガ、お前に協力すると言った手前、それを裏切る俺様を蹴れ! 罵れ! それでも俺様はエルミアを取り返したいんだ!」
わがままだと自覚している、強欲で傍若無人。
だからこそオーグはコールガとエルミアを天秤に掛けてしまった。
勿論オーグにとってどちらの方が大事なんて理由はない。
どちらも子分であり、もしも拐われたのがコールガなら逆にエルミアに土下座していただろう。
それはある意味で清々しいほどの誠実さでもあった。
どんなに醜くても、抗う理由がある。
それがオーグにとってはエルミアなんだ。
「魔女様……貴方の決断、正義の神が見れば、きっと私の方を罵るでしょう。大いなる意思を信じますわ」
「コールガ?」
コールガは優しく微笑むと、右腕に彫られた波と乙女の入れ墨にそっと触れた。
彼女は公正で正義感が強く、そしてクレバーだ。
頭を上げるオーグに、彼女はそっと膝を突いた。
「魔女様、子分に頭を下げるのは頭領にあってですか? 頭領を名乗るならばどんとしてくださいませ」
頭領として? コールガはまだこのある意味で言葉遊びのような関係を大真面目に受け入れているのか?
オーグは目を疑うが、このままではコールガにぶっ叩かれそうだ。
笑っちまうくらいおかしいじゃないか。起き上がると、彼女は跪くコールガを見下げ、堂々――とはいい難い顔だったが、彼女に命令する。
「ケルピーに命令してくれ、エルミアを救出するんだ!」
「それでいいのです魔女様」
コールガは納得するように頷くと、祝詞を紡ぎ空に紋章を描いた。
顕現するケルピー、陽炎が揺れるかのようにその体は不定形で、蒼白の馬面がコールガを見つめる。
「我が友エルミアを探してケルピー」
「ヒヒィン」
ケルピーは空を駆けた。
後ろ足は魚の鰭を縦に揺らし、空中を何度か旋回すると、やがて目星をつける。
「見つけたのケルピー?」
ケルピーは空の一点を見つめる。
その場にいたメルは直ぐに地図を開いて考察した。
「あの方角……まさかフロスガール城?」
「フロスガール城?」
リンが首を傾げた。無理もない、何故ならその城は数百年も前に遺棄された遺跡なのだ。
もはや堅牢だった城壁も、高い時計塔も姿がなく、すべてが歴史という旋風に巻きまれた虚しい遺跡である。
だが、ケルピーの見ている方角からは、他に目ぼしい場所はない。
「どこだっていい……そこにエルミアがいるなら乗り込んでやる!」
「待つであります! お父上にも報告して、こっちも準備をするであります!」
オーグの気の早さは時に悪手だ。
彼女はドレス姿のまま向かうつもりなのか。
メルは冷静に諭すと、兎に角今は準備をする時だ。
§
メルは今回の件、誰よりも厳粛に受け止めていた。
もしすれば兄弟が事件に関わっているかもしれない。
希望的観測を述べれば、そんな事は否定したかった。
だがそれならシルヴァンは何故現れない。
想像はどんどんと悪化していき、メルはそれを必死に否定する。
「もしもシルヴァン兄さんなら僕は……」
ケジメを……つけられるだろうか?
敵がやったことは許されない。魔女殿が許す理由は万に一つもありえないだろう。
当然だ。仲間を危険に晒した敵がどんな報いを受けるか、メル自身でさえ怒りが湧き上がるのだから。
「お父上、母上、魔女殿……不安であります……けれど」
メルは自分の部屋に飾られた白銀の鎧を見た。
清く正しく生きると誓った鎧は何にも増して光り輝いている。
この鎧と剣はメルが産まれた時に、メルの成長を祈ってヴァサラガがお抱え鍛冶師に鋳造させたという。
その性で鎧はぶかぶかで重たかった。メルは兄弟に比べると背が低く、女の子のようだから、特に苦労し
た。
両親や兄達はそんなメルを愛してくれた、けれどメルは不満だった。
武門の家柄でありながら、チビで顔は女の子のようなんて、恥ずかしく屈辱だった。
だからこそ彼は必死に剣を打ち込んだし、根本を変える為に言葉遣いから変えていった。
結果は空回りとしかいえないが、メルはそれでもめげない挫けない。
それでも今回だけはちょっと挫けそうだ。
こんな時魔女殿ならどんな言葉をかけてくれるか?
ざぁこざーこ♥ ゴブリンの相手も苦戦する貧弱、もう後ろで見ていたら♥
(そんなこと魔女殿が言う筈がないだろう……多分)
やっぱりメスガキ魔女殿は、メルを煽るのだろうか。
情けないメルに発奮をかけてくれるだろうか。
メルはそんな魔女殿にどこか依存している……だからせめて魔女殿の盾でありたい。
「……そうだよね、僕は魔女殿の役に立ちたいんだから」
メルは兜を手に取ると、ゆっくり装着した。
全身鎧は重く、装備するのは手順が複雑だ。
初めての頃は使用人の補助を受けて、やっと着られる代物で、今ではメルは一人でも着れるようになった。
三歳の頃から、ずっとメルを見守ってくれていた父上の愛の証である白銀の鎧はメルを堅牢に包み込んでいく。
甲冑、具足、籠手、一つずつ装備していく中で彼の心は徐々に定まっていった。
「魔女殿メルの働き、どうかご照覧あれであります」
気がつけばそこには白銀の少年騎士が立っていた。




