第2話 山猫リン
龍のキバのアジトは意外にもそれ程遠くはなかった。
遠くはないと言っても、歩いて行くなら丸一日は掛かる距離だったが。
彼女は盗賊らしく窃盗――苦手なのだが――で日銭を盗み、馬車をチャーターして、龍のキバのアジトの麓までやってきた。
アジトの足もとまでくれば彼女にとってそこはホームグラウンドだ。
山の中腹まで、道なき道を進み、彼女は洞窟へと潜入する。
洞窟は複雑な迷路だ。侵入者を惑わせるが、彼女は秘密の抜け道を知っている。
洞窟内は異様な静けさと冷たさ、まるで全員が出払ったかのよう。
オーグの精神は不安で一杯だろう。豪胆で男らしい性格も今はメスガキ相当にまで弱っている気がした。
「……っ、くそが!」
やがて彼女は宴会を行っていた広場にたどり着くと、そこに並ぶ無数の亡骸に汚い言葉を浴びせた。
「馬鹿で間抜けでどうしようもないクソ雑魚子分の癖になに死んでるんだ? クソ! クソ!」
どれだけ汚い罵声で煽った所で、骸達が答えることはない。
いや寧ろ彼らを放置すれば、彼らが悪霊になってしまうかも知れない。
だが悔しいのだ。どんなに役立たずでも子分は家族だった。
血は繋がっていないけれど、皆社会不適合者の集まりだったけれど、一緒に盃を交わした仲間だった。
彼女は強靭な意志力で泣きはしなかった。それよりも冷静に己の死体を探した。
しかし数十はある骸達を探しても、オーグの遺体だけは見つからない。
ただ玉座の脇に寂しく立てかけられた己の戦鎚が、主不在を悲しんでいるようであった。
「どうなってやがる……? じゃあなにか? 俺様の遺体は持ち去られたってのか?」
遺体の身元確認はした。何人か顔も分からない程酷い殺され方をしていたが、オーグの山のような巨体はどこにもない。
彼女は思わず、いつものように玉座に座った。
決して上等な玉座ではないが、それは彼が王であった証。
所詮はお山の大将に過ぎなかったのか、今の彼女にその椅子は大き過ぎた。
「どうする、これから……?」
溜め息が溢れるのも無理はない。
龍のキバが壊滅したのは事実であり、いくつか不審な点はあったが、オーグは全てを失ったのだ。
彼女にあるのはただ怒り、あの暗殺者を必ず見つけて復讐してやると心を沸き立たせる。
だが、彼女はある一瞬、キラリと光る反射光を確認した。
幸運と言っても良かった。それは一瞬で彼女の頬スレスレを飛来し、玉座の背もたれにドスッと突き刺さる。短刀だ。それも見覚えのある。
続いて黒い塊が猛スピードで殺意を伴い、彼女に突撃してきた。
「ちょ、待てリン!」
「ッ!」
黒い塊の正体は鼻から下を布で隠した浅黒い肌の少女だ。
山猫のリン。驚いた彼女は、玉座に座る見知らぬチビエルフの顔面で短刀を止めた。
「どうしてアタシの名前を知っているの?」
冷や汗を掻きながらオーグはリンが隠そうともしない殺意を抱いている事を知った。
オーグだと説明しても、これは僅かでも選択肢を間違えたら即死の生と死の遊戯。
リンからすれば今のオーグは似ても似つかないメスガキエルフなのだから。
「お、俺様がまだ分からねえのかリン?」
「? 悪いけど、アンタみたいなチビガキ知らない」
チビはどっちもどっちだろうと、内心思うが、今はリンの方が身長がある事はちょっと悔しかった。
兎に角オーグは必死にリンを説得する。出来なければ死あるのみ。
「お前にリンと名付けたのはアタシだわ――じゃなくて」
口調が時々身体の主に引かれるのか、オーグは言葉を訂正すると、リンは一瞬訝しんだ。
ギュッと短刀を強く握り込み、ただ冷酷にアサシンのような視線で見定めるが、オーグも必死だ。
「お前名前は?」
「お、オーグ……」
「巫山戯ているの? あの野蛮人となにもかも違う」
野蛮人? オーグは内心そう思われていたのかと怒りが込み上がった。
だがリンの実力は良く知っているから、抵抗は出来ない。
「本当に俺様はオーグだ! そうだ、隠し部屋の開け方を知っていたら、証明になるんじゃないか!?」
「……本当に知っていれば、ね」
あくまで胡乱げに、リンは短刀を構えたままオーグに立ち上がるよう促した。
オーグは後ろから命を狙われながら、緊張の面持ちで隠し部屋に向かう。
玉座の後ろ、隠しスイッチがあり、先ずはそれを押す。
次にオーグは壁沿いに歩き、隠しスイッチを見つけて押した。
すると洞窟の壁の一部が音を立てて開き出す。
リンはそれを目撃して「まさか」と零した。
オーグは迷わず隠し部屋に入ると、足元の罠を避けて奥へと向かった。
3段階に別けられた個別の対策を全て熟すと、オーグは手付かずの財宝の前でニヤリと嫌らしく笑った。
「部外者に出来るか? これって」
「本当に、オーグなの?」
「ああそうさ! まぁ本当にオーグなのか俺様にも分からないんだが」
「どっち!」
「オーグです! 短刀投げようとするな!」
リンはこの何処か巫山戯た女に確かに既視感を覚えていた。
オーグが何故エルフになっているのかリンには分からないが、あのみっともなくて情けないオーグが帰ってきた。
「お、おい? 泣いてるのか?」
リンは無意識の内に泣いていた。
オーグは最初驚くが、直ぐに後頭を搔いてリンに言う。
「かあー、情けねえ鼻垂れ子分の癖に、せめて顔位拭けってんだ」
そんな乱暴な言葉にリンの蒼い瞳にはあの山のような大男がエルフの少女と重なった。
「お頭、その通りね……ぐす」
嬉しかった。リンは涙を拭うと、確かにこの得体の知れないエルフをお頭と認めたのだ。
久しく聞かなかったその言葉に一番面を食らったのはオーグの方だった。
お頭、まだそう呼んでくれる子分がいた事、彼女にはたまらなく嬉しかった。
「へへっ、おう! 泣くより笑え! キャハハ!」
リンは直ぐに笑ってみせた。
彼女もまた不安で一杯だったのだろう。
リンは壁に持たれると先ず何があったのか聞くと。
「近くの都市で気がついたらこの姿になってた」
「近くの都市って言うと、メメント?」
城塞都市メメント、近代的な設計の城塞都市であり、近年になって急速な発展を遂げた都市だ。
オーグがメスガキエルフに転生したのは事件から三日が過ぎていた。
「リン、逆に聞くが龍のキバに何があった? 俺様を殺した暗殺者は?」
「分からない……形勢不利と判断して逃げたから」
「逃げたのは正解だ。俺様の教えを守ったんだから、そこは顔を上げろ」
オーグは龍のキバの掟として、何よりも生存を優先した。
オーグ程強ければ別だが、短絡的な子分達では命がいくつあっても足りないというもの。
無念にも教えは守られず、蚤の蛮勇で返り討ちにあったようだが。
「じゃあ俺様の死体も知らない訳か」
「オーグ、やっぱり死んだの?」
「心臓をぶっ刺されて、死んでないと思える程楽観的じゃない」
リンはそれを聞くと悲壮な顔をした。
ここにいるのは限りなくオーグだが、同時にオーグではない可能性もあるのだ。
リンはオーグを信じたかった。だから彼女の持つ情報は全て話した。
「私は麓の森に落ち延びて、機会を待ってた。そしてオーグが来た」
「尾行されてたのかよ……相変わらず油断がねえ。しかしてことは、子分達を殺し、俺様の死体を持ち逃げしたのは、あの暗殺者なのか?」
「意味不明、なんであんな重たい物を持ち逃げするの?」
オーグに鮮明に記憶された死の間際。
盗賊団にいつの間にか紛れて、オーグに気取られることなく近づき、一突きで仕留めたプロフェッショナル。
リンがとっさの判断で逆上せず撤退したのは正解だ。
素面でも返り討ちにあった可能性は高い。
「持ち逃げするなら、あの悪趣味な指輪で充分」
「まあ数少ない値打ち物だからなあ」
オーグの肉体は重量にして200kgはある大巨漢だ。
運ぼうと思えば、大人数人がかりになるだろう。
金目の物が狙いなら指輪で充分、現金主義のリンらしい発想だった。
一方オーグは顎に手を当て、推測を続けていた。
前の肉体に比べて、なんだかこのメスガキエルフの身体は思考が纏まりやすいように感じた。
「指輪……考えてみれば、あの指輪ってなんだったんだ?」
オーグが死ぬ間際偶然眺めたのは、血のように赤黒い宝石付きの指輪だった。
どんな宝石だったかも知らないが、所詮物の価値も分からずステータスとして装備していただけだが、曰く付きでもあったのだろうか?
いずれにしても暗殺者の正体が分からない。
オーグの命を狙った理由も、そして死体を持ち去った理由は?
「駄目だ駄目だ! 考えるなんてやっぱり性に合わない! それより手伝えリン!」
「手伝うって?」
「鼻垂れ子分共の墓を作る」
オーグは酷く冷淡な顔をしたまま、歩き出すと慌ててリンも追いかけた。
それはケジメだった。悪逆の王に仕えた哀れな者共に訪れた因果応報と言うならば、オーグは神に唾を吐くだろう。
だが事実として龍のキバは壊滅したのだ。彼女は必死に穴を掘り、死体を運んで埋葬した。
三十人近くいた子分達の遺体を埋葬するには空が茜色に染まるほど時間を要した。
けれどオーグはそれを面倒だとは思わなかった。ただ子分達の冥福を祈った。
全てを終えるとリンはオーグに質問をした。
「ねえ、これからどうするの?」
「どうするかねぇ……どうするか、それを考えよう」
オーグにもこれからは分からなかった。
盗賊団を再結成するにしても、それは一筋縄ではいかない。
兎に角今は心の休息をとるべき、なのだろう。