第28話 奪われた怒り
エルフの国の第一王女エルミアが謎の存在に誘拐された。
それも現場はガドウィン邸で、であった。
それに一番衝撃を受けたのは誰だろうか?
城塞都市メメントへの帰りをキャンセルし、ガドウィン邸に留まったオーグ達、彼女たちは今当主ヴァサラガの執務室に集まっていた。
執務室は、主の巨体を思えば小さな部屋で、それでもここは数少なく内密の話が出来る場所だという。
部屋の外にはヴァサラガの信頼出来るという私兵を二名配置し、彼が今の事態どれだけ深刻に捉えているか痛い程分かる。
「今回の件……ワシの責任だ、本当に申し訳ない」
「不可抗力ですわ……エルミア殿が拐われるなど……」
ヴァサラガは鎮痛な顔で謝罪するが、誰も彼を責められなどしなかった。
銀髪の美女コールガは、やんわりとヴァサラガの謝罪を否定するが、この事件誰に何の落ち度があったのだろうか?
広大なヴァサラガ邸のある領内は確かに警備上の穴はある。だがいくらなんでもヴァサラガらその家族が暮らす屋敷周辺の警備は、一国の警備にも劣らない。
これをあの謎の怪人は掻い潜り、エルミアをどういう方法でか眠らせ誘拐するなど、はっきり言えば不可能に近い。
警備にどんな穴があったか、怪しい者が領内侵入していなかったか、調べる事はキリがなく、ヴァサラガは顔を青くして黙した。
「エルミアは馬鹿だけど強い……簡単に捕まるかな?」
「いえそれよりもどうしてエルミア殿であります? 敵は初めからエルミア殿を狙っていたのでしょうか?」
「ねぇお頭……お頭はどう――」
鼻から下を薄い布で隠した浅黒い肌の少女はピンク髪のロリ巨乳エルフに意見を振った。
しかしそのメスガキエルフ……オーグは彼女とは思えないドスの聞いた声で返す。
「下らねえ話は終わりか? なら俺様はもうここには用がねぇ」
見た目から想像も出来ない荒っぽい振る舞い、リンは絶句する。
同時にメルやコールガも、そんな初めて見せたオーグの明確な怒りに困惑した。
オーグはこんなどうでもいい相談会がうんざりだった。
話し合ってなんになる? なんのメリットがオーグにある?
そんな下らない傷の舐め合いする位なら、こっちは願い下げだ。
ズカズカと、その絹のドレスに似合わぬ歩き方で彼女は出口に向かうと、慌ててメルがオーグの腕を掴む。
「ま、待ってくださいであります魔女殿! なにを焦っているでありますか!」
「焦ってなんかねぇ……それより手を離せ」
「離さないであります! 魔女殿……今は慎重になるべきであります」
オーグは舌打ちする。強引に振り払おうにも力はメルの方が上。
女のオーグに、悔しくても男の子のメルの方が力強い。
「魔女様……今の貴方には負の念を感じます」
「コールガ……、クソ! 俺様が善人だとでも思ってんのか! 俺様は悪党だ! 欲しい物は全部奪う! エルミアも俺が力ずくで得た略奪物だ! それを横から掠め取られて黙っていられるかっ!」
怨嗟の声さえ今は甲高い、黄色い悲鳴にさえ聞こえる。
それはこの盗賊王オーグにとって屈辱であった。
元の偉丈夫の身体さえあれば、部下は失わなかった。
エルミアだって守れた……はず、だ。
オーグは悔しさで涙を滲ませ、拳は痛い程握り込んでいる。
そんなオーグの内面を唯一知るリンはオーグの手を優しく握った。
「お頭の気持ち私だけは理解出来る……でも怒ったって悲しんだって、失った物は帰ってこない……そうでしょ?」
「……失ったもの」
「それともまた間違う? 掟はなに?」
オーグの掟、盗賊団龍のキバの緩やかなルールには様々な掟が定められていた。
お頭は子分のため、子分はお頭のために力を尽くすこと。
たとえ強大な敵と遭遇しても、命を優先しろ、生きることが勝ちの条件だ。
盗みは村からはするな、歯向かう者は痛めつけろ。
オーグが自分の実体験から作った掟は今でも彼女の根底を支えている。
そんな彼女が呟いた掟は。
「自暴自棄になるな……活路は必ずある、か」
リンはニコリと微笑んだ。気がつけばオーグの手から力が抜けている。
今のオーグには余裕がない。かつてのような分かりやすい力が無いから、必死に焦っているんだ。
それだけ彼女は動転していた。エルミアは遠くで見てる分には美人で楽しく明るい奴だが、近くにいると非常に鬱陶しい奴だった。
そんなエルミアをうざがりながらも、エルミアを失う事を全く恐れていない彼女がいた。
そんなものは幻想だ。まがい物の理想であり、現実は異なる。
エルミアを失った。その空虚感はオーグの胸にぽかりと穴を開けた。
その気分は子分達の死を受け入れ埋葬したあの時と似ていた。
「……クソ、失うことって、どうして慣れねぇ」
オーグは顔を抑えた。メルが不安そうに彼女の顔を覗く。
誰かを失うことを、自分が強欲であることを嫌でも理解出来、だからそれが心の闇になっている。
オーグはもう抵抗する気力も沸かなかった。
この空虚感は彼女を駄目にするにしても、それは誰にも止められないことだ。
だがメルはそんなオーグに対して、決して諦めない、希望を忘れなかった。
「魔女殿! そんな顔はしないで欲しいであります! 私はまだエルミア殿を見捨てるつもりはないでありますっ!」
「メル……お前?」
「第一に! エルミア殿はリン殿の前で転移魔法によって消えたであります! 何故でありますか?」
消えた理由、馬鹿なオーグは直ぐには答えが出なかった。
だから代行してリンが答える。
「目的があるから、殺すだけなら転移する必要はない」
「……なら身代金目的とか?」
「であるならばエルフ国の王女よりも私が狙われると思うであります」
「むおぉぉぉ! メルたんに手を出す悪い輩はワシが許さんぞーッ!」
メルの事になると、それまで黙っていたヴァサラガも気持ち悪い顔で大絶叫した。
びっくりして外の騎士が飛び込んでこないか心配になるが、ヴァサラガの絶叫は慣れているのか静かなものだ。
メルはそんな親とは反対に落ち着いており、優しくオーグに次の道を提示する。
「では第二に、エルミア殿を誘拐する理由は? それも日中に堂々と」
「そりゃエルミアが王女だからじゃ」
「魔女様、それならばここよりメメントの街で誘拐する方が安全ですわ」
今度はコールガだ、独特の感性に生きる彼女もオーグよりは頭脳明晰である。
たしかに単純にエルミアを狙っているなら、ヴァサラガ邸でやるなんて気が狂っている。
エルフの森を出て、単身旅をしている時に狙う方が遥かに安全だ。
「逆に考えるであります。ここしかなかった……その理由は?」
逆転の発想、エルミアを誘拐する機会は、あの瞬間しかなかった?
何故あの瞬間なのか……いやそもそ何故エルミアなのか?
「……あ、そんなまさか……でも」
オーグは答えに気付いたのだろうか、しかしその答えには自信がなかった。
だって、そんな巫山戯た理由があるのか?
彼女はそんな自分の発想が恐ろしく、震える声で解答した。
「誰でも良かった? あのタイミングで一人で行動している奴がいるなら?」
そんな、そんな理不尽な答えがあってもいいのか?
誘拐はエルミアである必要はなかった。条件に叶うならオーグでもリンでもコールガでも、なんならヴァサラガ邸で働く誰でも良かった?
「そんな馬鹿なことあっていいのかよ? エルミアはたまたま拐われたのか!」
「魔女殿、この世界に理不尽はいくらでもあるであります」
「運命の神は悪戯を好むものですが……とはいえ」
オーグは拳を振り下ろした。
それは明確な怒りだ、見えない敵に対しての怒り。
敵はなんでエルミアを誘拐した。その理由は?
分からない事はまだまだ多い、もしかしたら答えは間違っている可能性だってある。
それでもエルミアが危険な事は確実だ。
「っ! おいヴァサラガのおっさん! エルミアを拐ったやつは分かっているのか?」
オーグはカイゼル髭の男を睨みつけた。
ヴァサラガは鋭い眼光で返しながら、ゆっくり首を横に振る。
「今のところは……だがもしかしたら下手人は分かっているかも知れない」
「下手人? そいつは!」
「今朝この領内で身辺調査を行った。その時確認が取れなかった者が二名いたのだ」
「二名もですか?」
二名も、二名もいて何故気づかない。オーグは怒りに歯軋りする。
その二名とは、ヴァサラガは重たい口をゆっくり開いた。
「一人はハウスメイドのクラリス・ティアー」
「メイド? もう一人は?」
「我が息子、シルヴァンだ」
一行に衝撃が走る。特にメルには。
メルはまだその情報を聞かされていなかった。ヴァサラガとしてもメルには聞かせたくはなかった。
だが話さなければ間違いなくオーグ達はその場で暴れただろう。
メルとて正義感が誰よりも強い子供だ、必ず問い質すだろう。苦渋の決断だった。
「シルヴァン兄さん? でも……どうしてシルヴァン兄さんが!」
「あいつは昨夜屋敷を出ていき、その後身元が確認出来ていない。門を通過したという情報さえ、な」
領内は鉄の柵で覆われており、特に門には私兵六名が常駐しており、門を通過した者はすべて、ノートに記載する義務があった。
領内ぶどう畑で働く使用人達もシルヴァンは見ていないといい、いつもナンパをされていたという使用人さえもその日は会わなかったというのだ。
オーグはあの女好きが、エルミアを? とは疑いはしたが、状況証拠はシルヴァンを怪しく浮かび上がらせてしまう。
「メイドは! メイドの方はどうなのであります!」
「クラリス君はまだ……」
ヴァサラガといっても使用人全てを把握している訳ではない。
ましていつから使用人として働いていた。どこからやってきたという情報は殆どないと言ってもいい。
だが一通りの情報を聞いていたリンは、あの漆黒の怪人が少なくとも女とは思えなかった。
体格的に怪しいのはシルヴァン、それに彼ならエルミアに近づける。
メルには気の毒としか言えないが、リンはもしも下手人がシルヴァンだというなら許すつもりはない。
敵は虎の尾を踏んでしまったのだ。リンにオーグ、コールガは敵を許すだろうか?
竜の逆鱗に触れること、敵は後悔するだろう。
「龍は怒らせるな、一度逆鱗に触れれば森は焼き尽くされ、世界は終末の火に包まれる……か」
オーグは彼女の言っていた竜の暗喩を思い出した。
今オーグの闘志は竜の炎となりうるのか。




