第27話 可愛いは正義、可愛いの前にはすべて塵と同じ
朝日が昇り小鳥が囀っている。翌日リンと同じベットでぐっすり眠っていたオーグは、朝になると大あくびをした。
リンはオーグよりも先に起きており、既に帰りの準備を済ましていた。
リン顔はもう晴れやかで、またいつも通りだ。
時折かまってやらないと、またあんな問題行動起こすかも知れんと思うと、オーグも気を引き締めた。
「身嗜みって面倒だよなぁ」
「あら魔女様、まだ整える前ですか」
オーグは面倒だと思いながら化粧台の前で座ると、手櫛でピンク色の綺麗な髪を梳かした。
寝室の扉が開くと、コールガが顔を覗かせる。
「ん……ちょっと待って、すぐ終わらせるから」
「まぁ駄目ですわ、そんな乱暴に髪を梳かしたら。動かないでくださいまし、私がしてあげますわ」
コールガはそう言うと、部屋に入って来て、オーグの後ろに立った。
化粧台に備わった鏡にコールガの顔が映ると、思わずその美しさに息を呑んだ。
絶世の美女、意識するとこの言葉がコールガほど似合う女はいない気がする。
コールガは提げていた腰のポーチから、乙女と海竜の意匠が彫られた櫛を取り出した。
「それは?」
「母ラウから授けられた先祖伝来の物と聞きます。花嫁道具といったところでしょうか」
「ははっ、コールガなら引く手数多だな。性格も温和で優しいし、身長もあって、大きなお尻は良い子が産めそうだ」
「もう駄目ですよ? セクハラです」
メッと、瞳を吊り上げるとコールガはオーグを叱る。
「悪い悪い」オーグは反省すると、コールガは顔を軟化させ、優しくオーグの髪を梳いた。
オーグは素直に受け入れると、コールガは丁寧に髪を整える。
コールガの長い銀髪には癖毛もない、間違いなく女子力はトップだろう。
「上手いなコールガは」
「お褒めに預かり光栄ですわ、爪も見てみましょうか?」
「爪?」
オーグはなんで爪か意味がわからなかった。
コールガの爪を見ると、オーグとは違い短く揃えられ、爪の表面は光沢さえ帯びている。
「女性なのですから身嗜みは気にしませんと」
「そうは言ってもな? 俺様は面倒なんだ」
「もうそんなことを言わずに、折角磨けば宝石のように美しいのですから……そう、まるで魔女様は桃色の真珠のようですわ」
コールガはうっとりした顔で、オーグの手を取った。
今度はヤスリを取り出すと、これも丁寧に、そして鮮やかにオーグの爪を揃え、表面を磨いた。
するとオーグの爪は光を反射するほど綺麗になり、「おおーっ」と感嘆の声が出た。
「それでは化粧も」
「いや、それはいい! 化粧はもうゴメンだ!」
先刻化粧の際、女三人にオモチャにされたトラウマを思い出すとオーグは暴れてコールガを引き剥がす。
「面倒は嫌いだっ!」
「面倒面倒と、可愛いですのに」
「可愛いなんて嫌いよーっ!」
思いっきり拒否の叫びをすると、再び扉が開いた。
顔を覗かせたのは紅のフルドレスを着たリンだった。
正装にも関わらず、薄い布で鼻から下を覆っているのは、まるで砂漠の国のお姫様だ。
「まだやってるの?」
「リ、リン助けて! コールガが化粧してくる!」
「別に化粧くらい、いいじゃない」
「リンーっ! 俺様を裏切ったなぁーっ!」
「可愛いは正義、可愛いの為なら死ねる」
無茶苦茶です。ですがコールガはそんなリンに同意すると、オーグを拘束した。
コールガはやや興奮したように、リンに合図を送る。
「今ですリンさん、着付けも同時に行います」
「了承、着付けはアタシがやる」
「なら私は化粧を!」
「なんでこういう時だけはそんな呼吸が合うんだよー!」
泣けど叫べど助けなんて来ませんね。可愛いを邪魔する者は粛清されたのでしょうか?
可愛いの前にはすべて塵と同じと言わんばかりに、リンとコールガは素早くオーグを綺麗に可愛くコーディネート。
「はーい、動かないでくださいませ。まず化粧水を、あらあらまぁ、こんな瑞々しいお肌羨ましいですわ」
「つ、冷たいっ! あんまりほっぺ突っつくなぁ!」
「お頭の腰細い、エルフだからなのかな?」
「り、リンも細いだろうが、あ、お尻はだめ……っ!」
まるで子供を正装させるかのような光景だった。
オーグの服装は瞬く間に純白の絹のドレスを纏い、その顔はただでさえ元々素体が良い為か、ナチュラルメイクでも、コールガが「はぅ」と息をこぼす程だった。
「うぅ、鬼、悪魔、お前らは人間じゃねぇ、一度ならず二度までも……!」
一方辱めを受けたように顔を真っ赤にしたオーグは涙目で床にへたり込んだ。
怒ってもこんなに可愛いのだから、リンも思わず胸をキュンとしたのは無理もないのだろう。
「さぁ魔女様、そろそろ時間ですわ。ヴァサラガ様と別れの挨拶をしましょう?」
「……こうなりゃなるようになれだ」
もう半ば諦めていますね。
オーグはゆっくり立ち上がると、二人はそんなオーグの手を握った。
某ロズウェルのアレみたいですが、オーグは顔を上げると部屋を出ていった。
§
階段を降り、広間に向かうと、カイゼル髭のマッチョダンディと、小さく幼い見た目の女性がオーグを待っていた。更に横にいつもの少年がいるが、いつもは白銀の鎧だが、今はピッチリとした子供用の服だった。
オーグはスカートの裾を掴むと、三人の前に向かい、予め教わった作法で頭を垂れた。
「おはようございますヴァサラガ様、マーガレット様、メルヴィック様」
「うむ、魔女君もそうしていると、貴族の令嬢と言っても通用しそうだな」
「まぁ可愛い、娘に欲しいくらい。娘っていないものねぇ」
「ま、魔女殿、ちょっとくすぐったいであります」
相変わらず厳つい逆三角の肉体を持つヴァサラガと、のんびりのほほんとしたマーガレット、そして照れくさそうのに頬を掻き、オーグは思わず吹き出した。
「癪だが褒め言葉として受け取っとくぜ」
直ぐに元通りの顔に戻ると、三人も見慣れたように頷いた。
後ろにいたコールガはクスクス微笑んでいた。
既にこっちの顔は見ているからこそ、馬子にも衣装なオーグは愛らしいようだ。
オーグは改めて三人に腰をくの字に折って礼を述べた。
「昨日はお世話になりました」
「なに気にすることはないぞ魔女君」
ヴァサラガの鋭い眼光は相変わらずだったが、オーグは臆することはなかった。
態度は大分軟化しているが、それは敬意の現れである。
「メルたんのこと、是非ともよろしく頼む」
「当たり前だ、大切な仲間だからな」
「うふふ、今度は二人っきりで貴方とお喋りしたいわ。どうお茶会でも?」
「申し訳ないけど、貴族の道楽は興味がないわ」
男口調になったり、女口調になったり、このオーグは不思議で興味深い。
特にマーガレットはオーグを気に入ったようで、なおさら貴族のお遊びを教えてあげたいと意気込んだ。
オーグもこれ以上オモチャにされるつもりはない。彼女は元盗賊団の頭領なのだから威厳が必要だ。
オーグは周囲を見るといつまでも姿の見えないエルフのお姫様を探すが。
「そういえばエルミア、昨日の夜から見かけてないんだが?」
「エルミア殿でありますか? 外で待っているのでは?」
メルも詳しい所在は心当たりがないらしい。
姫様でありながら行動力の塊のような女であり、エルミアは少し行動が読めないところがある。
特に未だオーグを疑っているようなのだが、あの女エルフいつまで一緒にいるつもりだろう。
「ふむ、念の為屋敷の中を捜索させよう」
ヴァサラガはそう言ってくれたが、オーグはなんてことだと、溜め息を吐いた。
好奇心が勝り、屋敷の中を勝手に物色して迷子になったなんて子供みたいなトラブルを起こしていないといいが。
「では魔女様、私達は先に外へ」
「あぁ、いや……アタシも行く、エルミアが見つからないならその時はその時よ」
「魔女殿、私もついていくであります!」
メルは嬉しそうにオーグの側に寄った。
オーグはもう今更と気にも留めないが、案の定リンが静かに「うー」と唸る。
「リン、待て、できるな?」
「猫じゃない」
「猫というより犬への対応ではないでありますか?」
何故にこうも一方的に敵視されているのかメルは知らない。
けれどもうこれが完成した立ち位置なんだろうとオーグは諦めたように納得する。
大所帯になればなるほど、仲良しこよしではいかないのだ。
互いの利害の調整、それが頭領の役目である。
「喧嘩すんなよー、まったく」
「勿論喧嘩などしないであります」
「喧嘩はしない……」
メルは勿論だが、リンの場合殺すと思った時その時既に行動が終わっている可能性があるから怖いんだよなぁとオーグは苦笑いした。
リンの不満はオーグに向くから大丈夫? それはそれで危ないのだ。
「それじゃ、行くかっ」
オーグ達は玄関を出ると、外では馬車が停車していた。
また馬車に揺られて帰るのはちょっと億劫か、面倒くさいフルドレス姿というのもオーグには辛い。
「あー、そういやこのドレスって」
「折角なので、皆さんにプレゼントするであります!」
まぢか。オーグは目を丸くした。
この純白の絹のドレス、売ればどれだけ豪遊出来るのか。
そんな高価な品をさも当たり前に女性陣に贈るなど、改めてメルの金銭感覚には危惧を覚える。
普段は妙に付き合いがいいのも、案外庶民の生活に憧れているのだろうか。
「ふふ、大切にさせていただきますわ」
「……邪魔だけど、潜入用にはなるかな」
コールガは案外素直に笑顔で感謝した。
リンは既に仕事用の着替と認識しているようだ。
ある意味この女子達の神経の図太さは見習うべきか?
タダより高いものはない。その金銭感覚が染み付いているオーグは、ドレス代の足を見られて、後でどんな要求がされるのか戦々恐々と顔を青くする。
女子はプレゼントが大好きだと聞くが、やっぱり男だよなとオーグは痛感した。
「エルミアは……いないな」
「おい、脳筋クソエルフ出てこい」
「リン様、その言い方は……」
リンがどれだけエルミアが嫌いか分かる呼び方だが、エルミアは現れない。
妙だな、とオーグは顎に手を当てた。
あの耳年増……というより地獄耳が、自分の悪口を聞き逃すのか?
「なにをー! 山猫ここでやるかっ!」なんて確実に言って、現れる筈なのだが。
エルミアもエルフ族、耳の良さは人族の比ではない。
それは今のオーグとて同じ、そんなオーグが長耳を揺らした。
「ちょっと待て! 屋敷の裏から変な音!」
「まさか!」
オーグは異音を聞き取り指摘すると、リンとコールガが飛び出した。
凄まじい速さで駆けたのはリン。屋敷の反対側に辿り着くと、そこで見たのは漆黒の全身鎧に同じく漆黒のマントを羽織った怪人がいた。
その怪人は一人の女性を抱えている。
その女性を見たリンは声を大にして叫んだ。
「エルミアーッ!」
「………気ヅカレタカ」
「貴様エルミアになにを!」
リンはドレスの内側に隠していた短刀を取り出した。
このままでは動きにくい、リンは迷わずスカート部分を切り裂きスリットを作った。
「貴様ト遊ブツモリハナイ」
怪人の声は奇妙だ。エコーがかりくぐもって聞こえる。
リンは魔物かと疑った。しかし怪人には明確に知性があった。
漆黒の魔法使いのようにも、騎士のようにも見える。
その顔は仮面か? 髑髏に似たオーガの顔のような仮面、その奥から赤い双眸が、軌跡を描いた。
リンは迷わず短剣を怪人に投げつけた。
だが怪人は気絶して動かないエルミアを抱えたまま、逆巻く風を纏っていた。
短剣がその胸を突き刺す瞬間、怪人はエルミアごと、その場から消え去った。
空間転移の魔法か、投擲された短剣は虚しく空を切ると、地に落ちた。
「リン様! 一体なにが?」
「消えた……」
「はぁ、はぁ……消えた、って……?」
後ろからコールガ達が追いついた。
リンは呆然と怪人が立っていた場所を見つめていた。
「連れ去られた……」
何故そのタイミングなのか?
オーグは息を切らしながら、エルミアが拐われたと知ると、歯軋りした。
何故エルミアが狙われた? オーグには分からない。
ただその理不尽にオーグは悔しそうに拳を強く握り込む。
急転直下――なにがこの世界に起きているのだろうか。




