第26話 愛して欲しいって罪ですか?
結局有耶無耶な返事はオーグにとってあまり良い手ではなかったかも知れない。
ガドウィン邸に一泊することになったオーグは、今湯気の奥にいる。
カポーン―――そんな効果音が聞こえた気がする。オーグは今一糸まとわぬ姿で湯船に浸かっていた。
ガドウィン邸に三つある浴場の一つで、そこは女性用の大浴場だった。
(あー、疲れたー)
今日は気を使いっぱなしな上に、オーグは空回りの連続だった。
相次ぐヴァサラガからの視線も負担になり、浴槽に浸かる頃には体力もヘトヘトで、湯船に浮かぶ姿は幸福そうに頬を緩ませていた。
癒やされるわぁ………疲れたオーグはぼんやりと天井を見上げ、背筋を伸ばした。
「んんっ……はあぁ」
リラックスしたオーグは思わず官能的な呟きがこぼれた。
ぷるんと胸が水面を叩くと、浴槽の波紋が走った。
オーグはぼんやり広がる波紋を眺めている。ふと視線が胸に向かう。
「はぁ……俺様って、今は女なんだよなぁ」
もしも元の体に戻れるなら、オーグはすぐにでも戻りたい。
女であることを意識すればするほど、オーグは女らしなっていく。
まだ間に合う………自我は男のはず、なのだ。
「この胸……んっ! デカ、過ぎ、あんっ……なんだよな」
オーグは自分の胸を下から持ち上げるように掴むと、ギュッと引っ張る。
湯船に浮かぶたわわとした胸は、オーグにとって重く肩の凝るものだった。
「大体足元とか全然見えねーし……んぁっ!」
左手を胸の谷間に挟み込んで横にずらすと視界が腰まで広がった。空いた小さな右手が、そっと胸から下腹部にかけて、魅惑的になぞっていった。
「……腕も……ふとももも……お腹だって柔らかいし、こんなのアタシなのか? アタシって――」
「お頭……」
オーグは目を覚ますように顔を上げると、リンが入ってきた。
リンは一糸まとわず、普段はずっと隠しているあのマスクもない。
未成熟な身体、筋肉質だが細くしなやかな浅黒い肌。
オーグは見てはいけないと、咄嗟に顔を逸した。
「り、リンも風呂か!」
「うん、ここ広いね」
「ああ、さ、流石金持ちだよなっ! さ、さーて俺様は逆上せる前に……」
オーグはリンを意識すると、胸を手で隠しながら湯船から上がった。
そのままそそくさ出口に向かうが、不意にリンはそんなオーグを捕まえた。
「お頭、なんで逃げるの?」
「は? 誰が逃げてるって! 俺様は逃げやしねえぞ!」
「なら……当然受け入れてくれるよね?」
リンの目は座っていた。オーグを力ずくと引き寄せると、彼女はオーグを押し倒した。
オーグは覆いかぶさるリンの真顔を見て、ゴクリと喉を鳴らした。
どうする? いや何をされる?
リンは愛おしい物を見るように頬を緩ませた。オーグはなんとか抵抗する。
「り、リン、なにをする気だ?」
「ねぇ見てお頭、今はお頭も女の子、恥ずかしくないでしょ?」
リンはオーグを逃さないように、その上に跨った。
オーグはリンが突然豹変したことに顔を青くすると、手足をじたばたさせて、なんとか抵抗した。
けれどその些細な抵抗に、リンは顔を上気させて微笑んだ。
「クスッ、今のお頭可愛い………抵抗したって、敵いっこないのに」
「ううぅ、一体何が目的なんだよ、リン?」
「決まってる。お頭の初めて、アタシに頂戴?」
初めて!? オーグは顔を真っ赤にして混乱になった。
リンは気が触れているのか。だって女同士なのに!
リンは本気だ、本気でオーグを犯そうとしている。女同士でありながら。
オーグを力任せに拘束して、どんな行為でさえもオーグの小さな体を好き放題出来る。メルには絶対に不可能なことだ。
それがリンに優越感を与えた。オーグを誰よりも愛しているって証明したくて、暴走しているのだ。
「待ちなさい!」
「だ、誰だっ!」
だがそんなピンクムード全開の中、突然誰かが濃い湯けむりの中、シルエットを浮かべていた。
オーグとリンはそんなシルエットを見つめると、シルエットは厳かに語り出す。
「愛は美しい、愛は尊い、しかし一人よがりが過ぎれば、それは亀裂を生む……。人それを偏愛という!」
「誰……名前は?」
シルエットはゆっくり歩みだすと正体を現す、その姿は銀髪の美女だった。
「貴方に名乗る名前はない!」
「いやコールガじゃねえか! もう何でもいいから助けてっ!」
タイミングよく助けに来てくれたのはコールガだった。
以前にも似たようなタイミングで助けられたが、もしかして監視されている?
リンはコールガを見ると舌打ちした。コールガは油断なく構えると警告する。
「リン様に何があったか分かりませんが、魔女様が困っています。今すぐ拘束を解きなさい!」
「邪魔しないで……、アタシにはもうこれしかないの」
「もうこれしか……だって?」
「だってアタシ地味だし、明るくないし、オーグは全然アタシのこと好きって言ってくれない」
呆然だった。少なくともオーグはそんなことで強姦しようと考えていたのかと呆れ返った。
コールガは「はぁ」と溜め息を付くと、構えを解いた。
リンが誰かに操られているなら実力行使でオーグを助けるつもりだったが、答えはこんなにも簡単だった。
「アッハッハ! リン、お前……そんな子供みたいな」
「笑わないで、子供だもん」
子供だ。確かにリンは今幼稚でらしくないことをしている。
オーグを襲い、オーグの愛を一身に受けたいと願って何が悪い?
ちょっとずつ溜まった不満はオーグがメルを好きと言った瞬間、遂に爆発した。
「そうだよな……お前はアタシの子供だ。なのに親らしいことなーんもしてやれなかったもんなぁ」
オーグはそれを理解すると、そっとリンの頬を優しく撫でた。
リンは大きな瞳にはオーグだけを映し、じぃっと見つめる。
「リンのこと大好きだよ、勿論な」
「本当に?」
「ああ」
「メルよりも?」
「メルよりも! つーか俺様達の付き合いの長さ考えろ!」
オーグとリンの絆は十年の歳月をかけて構築されたものだ。
一朝一夕でそんな固い絆が壊れる訳がない。
「証明してお頭」
「証明ってあのなぁ……よっと」
オーグは上体を起こすと、リンの頭を撫でた。
リンは少しだけ目を細め、口元を緩める。
「これでいいか?」
「駄目もっと、一緒にお風呂入ってくれなきゃイヤ」
「やれやれだぜ……遅すぎる反抗期か」
リンに今まで反抗期なんて訪れなかった。
親としてオーグを愛していたけれど、オーグは盗賊団の頭領だから親らしいことは殆どしてもらった記憶がない。
リンにとってそれは寂しさに繋がった。
けれどリンは強い子だから、気丈に振る舞い、オーグに認めてもらう為に強くなった。
強く賢くなったリンは、優秀な子分としてオーグに認めて貰えた。それでも満足だったけど、それじゃ足りなくなった。
オーグも長いこと頭領なんてやっていると、子分に必要なアメとムチでリンのことも考えてしまっていた。
子供はそうじゃないのだ。思春期を殆ど体験していないリンにとって、それは理不尽だった。
愛して欲しいということは傲慢なのか、リンはずっとストレスをため続けたのだ。
「わかったわかった」
「ん……お頭、好き」
「ふふ、これで一件落着でしょうか」
「コールガも一緒に入れー、肩まで浸かってな」
はいっと笑顔でコールガは頷くと、三人は仲良く湯船に入る。オーグは気持ちよさそうに鼻歌を歌った。
リンはオーグの側を離れず上機嫌で寄り添う。
リンにとってお頭は父親、いえ今は母親?
愛情は多感な今こそ必要だった。




