第15話 迫る影
空は急速に暗くなっている。
街明かりは薄っすら道を照らすが、闇はより広がっていた。
暗がりでも、翠星石の瞳はよく見渡すが、暗がりは古来より畏怖の対象だ。
幸い歓楽街はここからが本番でもあるだろう。
風俗街なんて、むしろここから客を集めるものだ。
昔はそんな店が楽しかったが、今は女の身じゃ流石に楽しめない。
リンは今頃宿だろうか?
猫のような性格のリンは、ここから外に出ている可能性もあるが、少なくともリンはオーグになにか隠して外出しているのは確かだ。
盗賊だった頃からリンには、誰にも教えない秘密があった。
そういう性格は全然変わらないんだよなと、オーグはそんなリンを心配しない。
リン程警戒心の強い子なら、よほどの危険には踏み込まない筈だ。
誰よりもオーグの生き残れという掟を守っているのはリンなのだから。
「あ、アレだよ、アニキ」
しかしそんな平穏はこの街ではいとも簡単に崩れ去る。
まして華奢な女の子が夜に一人なんて襲ってくれと言っているようなものだ。
オーグは溜め息を放つと、どうするか思案した。
彼女の長耳は遠く離れた声もしっかり拾っている。
あの情けない声は、コールガに手を出した太ったならず者か。
アニキという単語もあり、確かに大柄な足音がもう一つある。
二人か? 魔法でぶっ飛ばしてもいいが、逃げた方が早いかも。
メルがいたら調度良いんだが、生憎こういう時に限っていない。
何がメイン盾だよ。やっぱり白銀の騎士より、空蝉持ちのニンジャの方が使えるな、と変な愚痴をこぼす。
幸いならず者達とはまだ距離がある。
この距離なら足の遅いオーグでも、暗がりが味方をしてくれるだろう。
「考えるよりも行動でしょ!」
オーグは即断即決すると、いきなり走り出した。
ならず者は直ぐに追いかけてくる。
だがオーグは直ぐに脇道に入った。
細くて迷路のような脇道に入れば、逃げるのも容易の筈――だが。
ガシャン!
「何! あぐ!」
あっさり追いつかれただと? いやそうではない。
オーグは足に違和感を覚えると、前のめりに倒れた。
オーグは痛みを堪えながら、足の違和感を探ると、なにやら金属製の足枷が嵌められていた。
「クックック、俺たち人身売買ブローカーから逃げられるとでも?」
「じ、人身売買だって? ハッ、光栄だね」
「アニキ! そ、そいつ魔法を使うから気をつけて!」
必死になって後ろを振り返ると、眼帯で片目を隠した大男が下卑た笑みを浮かべて近づいてきた。
足枷には鎖が繋がれており、鎖は眼帯の男が握っていた。
「なぁに、問題はない!」
眼帯の男は力任せに鎖を引っ張ると、オーガは全身を打ち付けた。
「きゃあ! あぐ! んあ!」
甲高い悲鳴が何度も木霊する。全身を壁や地面に打ち付けらても、ここは路地裏で誰も助けなんてこない。
アウトロー達にとってこの街の闇はなにをやっても許される。
例えオーグがここで魔法をぶっ放しても、誰も気に留めないだろう。
だが、これではマナを集められない。
オーグはぐったりするも男を強く睨みつけた。男はニヤニヤ笑いをやめなかった。
完全に子供扱いである。オーグはこのエルフの身体を呪った。
元々の肉体ならばこんな奴ら造作もなく力任せにミンチ肉にしてやるってのに、メスガキエルフの身体では抵抗も出来ない。
「魔法使いには、コイツだ」
鎖を手繰り寄せ、ぐったりしているオーグに男は奇妙な首輪を付けた。
何だこれは? オーグは確認しようとするが男はそれを許さない。
「魔封じの首輪だ。お前のような生意気なメスガキから魔法を奪ったらなんになる?」
「うく……か、必ず分からせて、やる……!」
「クッハッハ! アジトに連れて行くぞ!」
「へいアニキ! さ、流石だぜアニキ!」
オーグは必死にマナを集めようとするが、首輪がそれを遮る。
なるほどこういうことか、オーグは嫌に冷静だった。
これからどんな悲劇が待っているのか、分からない筈じゃないのに冷静なのはメスガキエルフだからか。
オーグ本来にはない高い知性と冷静な推理力、この身体はそんな女性の物だった。
エルフの身体は貧弱だ。でも山のような大男とは違う利点も確かにある。
「おい、それでお前が見つけた上玉の女は?」
「そ、それがアッチは見失っちまって……」
それってコールガのことか。
オーグは唇を噛むと、せめてコールガが巻き込まれないように祈った。
祈るなんて本当はガラじゃない。それでもこのクソ野郎共は自分の手でどうにかしたい。
§
「……ここも違うか」
暗闇の中、気落ちするように銀髪のベルナ族の女が歩いていた。
遠く離れた地から、この異国へと辿り着いたのははたして偶然なのか。
違う。理由は今は説明出来ないが、この女コールガには目的がある。
コールガはとある氷河湾で生まれ育った。
九人姉妹で、女だけの中で過ごし、今コールガには望郷の想いがある。
それでも挫けないと、彼女は空に独特の印を結んで己を鼓舞した。
「兎に角探し続けるしかないものね」
誰にでもない。ただの独り言。
足音は石畳を叩き、彼女の気の強さを表している。
「あぐ!」
「っ!」
突然どこからか女の子の悲鳴が聞こえた。
はっきり泣き叫ぶような感じではなかったが、コールガは咄嗟に口元を手で覆い息を殺した。
そして彼女は周囲を見渡し、誰もいない事を確認すると、目の前に手で祝詞と共に印を結ぶ。
「《切り裂く……飛翔……波を跳ねる者!》」
それは魔法であって、魔法ではない。
印と詠唱によって紡ぐ、はるか遠くの紋章魔法と呼ばれる。
紋章魔法も魔法も、その最後の原理はとても似ている。
現実を書き換え、彼女の足元から突然水飛沫が上がり、彼女は水飛沫と共に大ジャンプした。
暗闇に染まる街も、頭上から眺めればまるでホタルイカの群れのようだ。
コールガは静かにどこかの家の屋根に着地すると、真下を覗き込んだ。
ピンク髪のエルフの少女が、眼帯を付けた大柄な男に引き摺られている。
人攫いだ。彼女は直ぐに飛び出そうとする……が。
(あのエルフ、まさか魔女? なんで彼女が?)
魔女は困っていたコールガを助けてくれた。
それは人違いではなく、彼女に海神の加護があった。
この異国で海神の加護が与えられる者は少ない。逆説的にそのエルフが魔女だと証明している。
なら尚更助けるべきだ。だがコールガは冷静に踏みとどまった。勇気と蛮勇は違う。
エーギルは勇敢な海の開拓者の教えを思い出し、己に刻み込む。彼女の腕には波と乙女を表す入れ墨が彫られている。
それは地元の開拓者が彫ってくれたものだ。
印には様々な意味がある。それは教えだったり、警句だったり、時には英雄譚を。
彼女はチャンスと思った時は、同時にピンチだと教えられた。
重要なのは冷静さ、たとえ光の射さない海の底であっても、正確に水面を見つける冷静さが必要だ。
短気な者から海では脱落していく。だが勇敢でなければ何も得られない。
勇敢であれ、されど蛮勇はまやかしの勇気。
個人の力が大自然には敵わないように、時に厳粛に己を受け入れなければならない。
コールガは改めて性格は短気な方だ。でなければ家族に相談もせず家を出なかった。
勇敢であるが無鉄砲でもある。奇しくもそれは魔女と少し似ていたかも知れない。
(魔女様が捕まっているなら、私も慎重にならなければ)
異国の地であるが、魔女の魔法は目を奪われる程精美であった。
あれをコールガは美しいと思えた。
あの魔女を捕らえたとなると、コールガだけでなんとかなるのか?
馬鹿なら迷わず突撃するが、勝てなかったら? コールガは冷や汗を流した。
「……状況判断ね、確実に魔女様をお助けしないと」
コールガはあえて手を出さない。
彼女の教えは猟師が、雪の中で息さえ殺して獲物を待つのを知っている。
チャンスとは、確実になった時初めて実行するのだ。




