陰謀の牢獄 Part3
歯軋りしながら憎さも憎し、憎みても余りある怨敵を睨み付けたシンタルススに、パラスクスは今一度叩頭した。
「それでは本日はこの辺で失礼致します。次の拝謁がいつになるかは約束できませぬが、機会を見つけて出来るだけ早くに参りますゆえ、どうかご機嫌よう__」
「黙れ、さっさと出て行け、二度と来るな!」
シンタルススが声を限りに罵った。
「次に来る時には、貴様がこの檻の中に入る番だ。いいか、俺は必ず貴様に思い知らせてやる。このシンタルススを見縊るなよ」
「見縊ってはおりませぬよ」
最後の最後までパラスクスは嫌味だった。
「あなた様が油断のならぬ食わせ者だと言う事は充分に心得ております。甘く見ればいつ足元を掬われるかと思うと気が気でありませぬゆえ、片時も監視は怠りませんから、そのおつもりで__」
確かに食わせ者だった。十五年前のクーデターの際、国王夫妻を殺害した犯人は、実はマストドンではなくこのシンタルススだったのである。当初マストドンは国王一家を生きたまま捕らえ、その身柄を抑えてシンタルススへの切り札として使おうとしたのだが、陰謀と言うか権謀術数に掛けては衆に抜きん出て機敏かつ精力的なシンタルススはこれをいち早く見抜き、マストドンに秘密で暗殺隊を組織し、クーデターのどさくさに紛れて兄夫婦を殺害したのであった。その後、サウロロフスは実に中途半端な体制となった。何せ、王国と称しながらも国王が居らず、空位のままだったからだ。先の国王夫妻殺害の一件でシンタルススに疑義を抱いたマストドンが彼を信用せず、王位に就けなかったのだ。それが原因でシンタルススはマストドンを激しく憎悪し、そこに付け込んだパラスクスの企みに担ぎ出され、今ではこの通り入牢の憂き目となった次第である。勿論パラスクスもこの真相は知っていたが、何食わぬ顔でシンタルススを担ぎ出し、国王夫妻殺害の名目でマストドンを処刑したのであった。
重々しい鉄扉を閉ざすと、パラスクスは再び石段を降りて行った。
所内の貴賓室で寛ぐ大統領と所長は茶を喫しながら談話を交し合った。
「あのご様子では、レジェナ王女の戴冠式の事などとても切り出せそうに無いな」
「全くで御座います」
「どうだ、殿下の日常のご様子は」
「何と申しますか……」
所長にも言い出しづらいであろう。
「脱獄の心配などは無いかな?」
「それはもう、おさおさ怠り無く__」
職務に関る重大事である。所長もぞんざいには出来ない。
「ただ__」
「ただ?」
「はあ、ただ……」
話した物かどうか、所長も迷っているらしい。
「わたくしや、看守の者たちに__」
パラスクスは話を急がせるような言葉は吐かなかったが、その目は無言で先を促している。中々穏やかならざる内容をにおわせる事だから仕方が無いが。
「その、脱獄の申し出をなされる事は御座いますが」
「ほう__」
何だ、その程度か、と言うような気色を作って見せたパラスクスに、誘われるように所長は気軽に話を続けた。
「お出しすれば、大臣に取り立ててやると、わたくしや、看守の者たちにも仕切りと話しておるらしいのですが……」
その話を聞くや、パラスクスが声を上げて笑い出した。
「なるほど、そうなれば殿下を開放した者は忠勇無双の功臣ということになる。如何にもあのお方らしい」
とことんまでシンタルススをコケにして、咳き込むように笑い続けるパラスクスの姿に、言うのではなかったと所長は後悔した。
「いやいや、絶望的な状況に在って最後まで夢を持ち続けるのは誠に結構な話だ。さすが御育ちが違うと人間が大きい。我々も見習わねばな」
余りに無様なシンタルススの悪あがきに、パラスクスはいつまでも笑いが止まらないらしい。
仮にシンタルススが何かの僥倖によって無事この牢獄を脱出できたとしても、一体彼に何が出来ようか。シンタルススを担ぎ出すような物好きは恐らくどこにも居ないであろう。このパラスクスにも当然政敵は数多く居るのだが、そのいずれの勢力もシンタルススのようないわく付きで評判の悪い厄介者を立てるような愚は犯さないに違いない。
もしも、反対派が担ぎ上げるとすれば__。
「所で、先程戴冠式のお話が__」
所長も気になるのであろう。
「うむ__」
パラスクスが頷いた。
「それは滞りなく進んでおる」
「それで、レジェナ王女を名乗る不貞の輩ですが」
「失敗した。どうも一緒に着いて回っている従者とか言う男が相当の腕利きらしい」
「それでは、よもや本物の……」
「馬鹿を申せ」
パラスクスは、口調こそ穏やかだが厳しい目付きで言い切った。
「レジェナ王女様はバレーム宮にて、来るべき戴冠式を待っておられる。王女様を名乗る不届き者が居れば始末するのが我ら臣下の役目ではないか」
「は__」
静かに、断固として言い切った大統領に所長は威儀を正して畏まり、後はそれには触れなかった。
「ま、その事についても手は打ってある。心配せずとも大事は無かろう。正直な所私も、如何に王女様の名を語る不届き者とは言え、見も知らぬ娘を手に掛けるのは寝覚めの良い物ではないからな」
パラスクスは小さく眉を顰めて呟いた。
このサウロロフス共和国初代大統領アルバート・パラスクス。なかなか食えない策士であった。
今回、偽者の王女を担ぎ出して戴冠式を画策したのがパラスクスならば、流れ者を雇って本物のレジェナを襲わせたのも当然このパラスクスであった。
六年前の政変の際、パラスクスは巧みに市民を煽動し、単なる権力闘争によるクーデターではなく人民の蜂起による革命運動と銘打って、見事に国民を焚き付けて政府転覆にまで持ち込んだのであった。彼はあらゆる政治工作に長けた“政治家”であったが、誰にでも欠点が有るように彼にも些か欠点が有った。市民を煽動し、革命の頭目として祭り上げたシンタルススを引き摺り下ろし、その余勢を駆って王国を共和国に刷新し、国民投票を実施して見事大統領に就任したのもパラスクスであったが、その選挙というのも只のパフォーマンスで事実上の信任投票に近く、完全な出来レースであった。彼の対立候補も選挙と言う体裁を整えるべく、頭数を揃える為に集められたサクラに過ぎなかった。この勢いで権力を地固めすれば、或いは彼が絶対権力を掌握する独裁者となったかもしれない。風向きは完全にパラスクスに有利に吹いていた。しかし、寝技の政治家として辣腕を振るったパラスクスは、何をやるにしても卒がない代わりに用心深すぎるといった反面もあった。慎重派の宿命である。ここでいきなり強大な権力を独占してしまっては周囲の反感を買うのではと二の足を踏んだパラスクスは勢いに乗って一気に全てを握る機会をみすみす逃し、折角革命の余熱で発生した上昇気流に乗り損ねたのであった。尤も、彼をしてここまでのし上らせた最大の武器はこの用心深さである。もしもここで周りの熱気に煽られて舞い上がり、古くからの“同志”を切るような男ならまず最初の段階で躓き、活動家として名を為す事も無かったと思われる。厄介者のシンタルススを処刑せず、この刑務所に閉じ込めているのも慎重を期す几帳面な性格の故であった。出来ればシンタルススが牢内で獄死してくれる事を切実に願っているであろう。しかし、如何に三度の食事に事欠かず、過度な懲罰的労働も課されていないとは言え、この牢獄と言う不健康な環境に在ってシンタルススの体調は一向に悪化せず、あの性格では悲観の余り自殺と言うようなしおらしい考えは毛頭微塵抱いていないであろう。大統領も中々悩みが尽きないのであった。
しかし、個人的な功名は兎も角、旧態依然な封建国家であったサウロロフスを近代的な共和制に転換させた功績は大きいと言えるであろう。
更にこのパラスクス、用心深い反面、妙に小細工が好きであれこれと裏工作を駆使して政権を舵取りしようと試みたのだが、何れもやり方が地味で国民から見れば何やら陰に隠れて悪事でも働いているような印象を与えた為、その功績の割には尊敬されていないと言う一面もあった。いみじくもシンタルススが指摘したように、彼は人の主になる器では無いのかも知れなかった。
今回の王女即位の礼は、地味な彼にしてみれば珍しく思い切ったアドバルーンと言えるだろう。しかし、その企画を開催するに当たって当面の邪魔者が存在する。言うまでも無く本物の王女レジェナであった。正直言って本物か偽者か、パラスクスにも判らなかったが災いの種は早めに摘んでおくのが上策と言う物であった。相変わらず陰に隠れた方法で。只、彼にしてみれば自分が担ぎ出した王女が偽者である事だけはハッキリしているのである。疑わしきは処分するのが悪人__やや酷な言い方かも知れないが__としては当然であった。だが、その作戦は失敗し、もしその、真贋いずれかは断じ難いとは言え、レジェナ王女を語る者が国民の目の前に名乗り出た時には、暗殺未遂の事実はパラスクスにとって非常に不利になるに違いない。
「しかし__」
それだけではない。パラスクスはしみじみと呟いた。
「如何に王女様の名を語る不貞の輩とは言え、年端も行かぬ娘を手に掛けるのは余り気分の良いものではないからな。余り処分に拘るよりも、例の手立てを実行する方が無難かも知れぬ」
余程骨身にしみて痛感しているのか、今一度、先刻と同じ台詞を繰り返した。苦笑いが混じってはいるが、彼の口調から察するに冗談ではなく本音であるようだ。