5話 襲撃
マシロの声は小さく、か弱かったにも関わらず、カタルーニャ大聖堂最上階にいた一部の者達は《豊穣神》という単語を聞き逃さなかった。
「《豊穣神》だって……?」
「なら、この子は神宿りか!?」
マシロの周りにいる大人達がざわめき、その言葉はウィルスのように下の階の子供達まで伝わっていく。
「五柱目だっ! 五柱目の神宿りが現れた!」
ひとつ、またひとつと歓声が上がり、カタルーニャ大聖堂内はあっという間に熱狂に包まれる。その熱狂は大人も子供も関係なく、自分や自分の子供の命符が与えられたことよりも、五柱目の神宿りの話でもちきりであった。
そも、神宿りとは。その名の通り神を宿した者のことであり、ことこの世界では命符の《格》が神であった場合のことを指す。年間で何万人という子供達が命符に目覚めるのだが、神宿りとなる子供は非常に珍しく、今まで神宿りとして確認されているのは、人類誕生以来たったの四例しかないとされている。そんな神宿り達に与えれる力は凄まじく、扱いこなすまでの時間の差こそあれ、今までのどの神宿り達も規格外の力を誇っている。
つまり、神宿りとは。それだけ稀有な存在であり、価値が非常に高い存在であるのだ。
「……やばいですわ、早く逃げますわよ!」
即座に自分達の置かれている状況の不味さを理解したのは、貴族生まれのミラノであった。ミラノは貴族という存在の誇り高さも知っているが、同時に腹黒さ、欲深さ、汚さについても身をもって知っている。そのため、カタルーニャ大聖堂最上階にいる、つまりは貴族達に囲まれているというこの状況から早々に逃げなければろくでもない事に巻き込まれることは想像に難くなかった。
「おじょーの言う通りに! 早く!」
ルーもミラノが想定している事に気づいたのか、叫んで指示を出す。その指示を受けるが先か動くが先か、イズモはマシロの手を掴み、階段へと走り出す。ルーとミラノもそれに続く。そうして走り去る4人は全員の注目の的であり、すれ違う貴族達は好奇の目で4人を追う。
「君達、ちょっと話が……!」
「サラメル家の養子にならんかね!?」
中には下卑た笑みを浮かべて話しかける貴族や、甘い誘惑をチラつかせてくる貴族もいたが、その全てを無視して4人は階段へと駆ける。
「なっ、なんでっ、私、逃げなきゃいけないんですか……!?」
「いいから逃げてくださいまし! 今のマシロは貴族達にとっては喉から手が出るほど欲しい存在になったんですわ! 捕まったら何されるかわから……」
そう言葉を続けようとしたミラノだが、階段前の光景を見て言葉も走りも止める。
「君たちぃ。なぁにを逃げよぉとしてぇるんだぁい? つれなぁいねぇ……」
「……最悪な奴に見つかりましたわ」
そこには、列を組んで階段を封鎖する男達と、それを指示してるのであろう、癇に障る話し方をする小太りの男性が立っていた。その男性は金銀様々なアイテムを身にまとっており、下卑た笑いを浮かべて4人を視界に捉えていた。
「おおっとぉ、これはぁこれはぁサフィール嬢ぉ! ごぉ無沙汰してまぁすぅ」
「お久しぶりですわ、コール侯爵。……私達、先を急いでるので、これで失礼させていただきますわね?」
コール侯爵と呼ばれた男性は腹を抱えて笑う。
「そぉういわずぅにぃ! そぉちらぁのお嬢様を紹介してくださぁいよぉ!」
そう男が叫ぶと、男の手下と思われる者たちが4人の周りを取り囲む。その数は多く、周りの人からは見られない。
「僕はちょこぉーっとみなぁさんとお話したいだけですよぉ?」
「遠慮させていただきますわ」
「サフィール嬢にはぁ聞いてないんでぇすよぉ」
そう男が言うと、手下の1人がマシロの腕を掴もうと寄ってくるが、それを防ぐようにイズモが立ちはだかる。
「どけよ、餓鬼」
「どきませんよ。さっさとその手を引っ込めてください」
「ちっ、この糞ガキ!」
男はイズモに向かって手を出すが、イズモは冷静にそれを避けると鳩尾めがけて肘で殴ると、男はうめき声をあげてその場に崩れ落ちる。
「……コール侯爵。他の貴族の皆さんがいらっしゃる前で、そんな堂々と手を出してどういうつもりですの? 粛清されたいんですの?」
「ふん。そんなことぉを気にしてぇるひまなぁいですよぉ?」
コール侯爵がそう言うと、4人を囲む男たちは一人、また一人とマシロを奪わんと攻撃を仕掛ける。
「おじょー! なんでこいつら白昼堂々と注目の的である俺たちに仕掛けてこれるんです!?」
ルーの指摘は的を射ったものだった。いくらコール侯爵が権力があり、私利私欲のためにマシロをさらおうと考えても、マシロを含む4人はカタルーニャ大聖堂内でかなりの注目を浴びている。そんな4人に対し強硬手段をとろうとすれば、他の貴族連中から批判を浴びることは必至であり、自らの立場を危ぶませる行為と言わざるを得ない。それにも関わらず、コール侯爵は堂々とマシロの誘拐を実行に移している今の現状は不可解としか言いようがなかった。
「私にも分かりませんわ! ただ、コール侯爵は今この場で実力行使をするリスクが分かっていないとは思えません! おそらく、なにか仕掛けが……」
「なら、とりあえずはぶっ飛ばしても俺らも問題ないってことですよね!」
ルーはどこか嬉しそうにミラノに確認をとると、腰に携えた剣でもって向かってくる敵を次々となぎ倒す。まだ子供だというのに、大人、それも複数人を相手取っても余裕がある。
「ちぃっ、英雄のぉ倅かぁ…… 」
「こーみえて、おじょーの護衛もしてるんで」
ルーは破竹の勢いで敵を倒し、数で負けているにも関わらず、むしろコール侯爵の手下達を押してさえいた。
「……クロムゥ! もっと増やせぇ! そいつさえ潰せば残りは楽だ!」
「御意……」
苦々しげに小太りの男性がそう叫ぶと、4人を囲む人々の密度はさらに高まり、襲い来る敵の数も先程より増える。
「んなっ…… こいつら魔法か命符の力で分身してんのか!?」
敵を切りつけながら愚痴をこぼすルー。いくらルー自体が飛び抜けて強かろうと、人で相手どれる数には限りがある。そこを突き、ルーがいる方向の反対側からマシロめがけて敵が襲いかかる。
「しまった! おじょー! マシロ!」
マシロとミラノの叫び声があがり、襲い来る男たちの魔の手が二人に伸びる。そんな中、イズモは男と二人の間に入り込み、押し寄せてくる敵の一人の延髄めがけて、蹴りを食らわす。
「戦えるのは…… ルーだけじゃないぞ!」
「イズモ!」
イズモは襲い来る敵を蹴りで吹っ飛ばすと、魔法を使って水の塊を創り出し、二丁拳銃へと変化させる。
「分身ってことは気兼ねなくやっていいんだろ? 【遊戯魔法】水鉄砲 改式!」
イズモは魔法圧縮によって攻撃魔法へと変貌した遊戯魔法でもって辺り一面にいる敵に向かって水の弾丸を撃ち放つ。この魔法はまだ未完成のため大半は普通の水鉄砲程の威力しかないが、それでも撃った中の一割は本物の銃以上の威力でもって敵を吹っ飛ばす。
「な、なんですのその魔法!?」
「【遊戯魔法】だよ。勿論、少し工夫してるけど」
今度はコール侯爵に向かって水鉄砲を連射する。コール侯爵は手下の分身が吹っ飛ばされているのを見ているため、飛んでくる水弾を恐れ、奇声をあげながら手で顔を隠し体を仰け反らせる。しかし、その弾はコール侯爵に当たることはなく、敵の一部が身を呈してコール侯爵を守る。
「はぁはぁ…… 良くやったクロムゥ! ……クソっ、なんなんだぁ、あの餓鬼はぁ!! なぁんで学園に通う前の餓鬼がぁあんなぁ魔法を使えるぅんだぁ!?」
命響式前に魔法を覚えているのは、英才教育を施される貴族の子供たちが殆どである。それに、そんな貴族の子供達でさえ、攻撃魔法を覚えているものは少なく、使えたとしても本当に初期に習うような魔法しか使えず、さらに覚えたてで不安定のため威力はそこまで高くないのが普通である。
そうだというのに、イズモの魔法はそんな基準からはかけ離れていた。威力に当たり外れはあるものの、まるで弾丸のように飛んでくる水球で敵を吹っ飛ばすような魔法を、こともなげに連射してくるのだ。
「あいつぅ、【遊戯魔法】つったかぁ!? あれのどこがぁ遊戯なんだぁ!?」
コール侯爵も【遊戯魔法】を勿論使うことができるが、自分の知っている遊戯魔法とは食い違っていた。
「【遊戯魔法】風蜻蛉 改式!」
今度は風を集め凝縮させた球を敵の足元にぶん投げる。圧縮された風は一気に膨張し、風の爆弾と化して敵を吹き飛ばす。水鉄砲 改式よりも攻撃力は劣るものの効果範囲が広く、一度に多くの敵を行動不能にできるため、今の苦境に対しては効果的であると思えた。しかし、撃てども撃てども敵は減らない。
「……無駄だ」
コール侯爵の手下がそう呟くと、4人を囲む敵襲はさらに増える。一人一人の戦闘力は大した事が無いにしても、倒しても倒しても増え続ける敵に対し、流石のルーとイズモの2人にも焦りと疲れの色が見え始める。
……と、そこで。襲い来る敵の鼻っ柱に膝蹴りをかましていたイズモはあることに気づく。それは、なぜ他の貴族達はコール侯爵が神宿りをさらおうとしているのを黙って見ているのか、という事だ。常識的な心を持つ者であれば助けに入るだろうし、仮に邪な気持ちを持つ者だとしても、コール侯爵が神宿りを独占しようとしている状況は気に入らないだろう。だというのに、コール侯爵の蛮行を咎めるでもなく見過ごしているというのは些か考えづらい。
「……ルー、少し任せてもいいか!? 確認したいことがある!」
イズモはとある可能性を閃き、ルーに一旦戦闘を受け持ってもらうことを指示する。が、ルーは正面にいる敵を5人程切りつけてイズモに答える。
「今お前に抜けられたらカバーしきれねぇぞ!?」
「バフかけるから大丈夫だ!【強化魔法】速度上昇!」
イズモが魔法を唱えると、ルーの足が青白く光る。そして、ルーは自分の身体が前よりも軽く、そして早く動けることに気づいた。
「これなら……! でも長くは持たねぇぞ!」
ルーは一段と早くなった機動力で、イズモがカバーしていた範囲を請け負い、たった一人で全方位からの攻撃を対処する。少しの抜け漏れも生じるが、ミラノが魔法で足止めをしつつルーの剣戟で倒していった。
そんな中、イズモは【遊戯魔法】風蜻蛉 改式 を自分の足元に撃って空を浮遊すると、コール侯爵の手下によって見えていなかった、カタルーニャ大聖堂内の様子を伺う。すると、おかしな事に魔法に剣を使って刃傷沙汰となっているこちらの様子を気にかけるものはおらず、その場にいた大半の者達はカタルーニャ大聖堂の三階付近に視線を移し、カタルーニャ大聖堂最上階にいた貴族連中はイズモ達の反対側にある階段を、我先にと駆け下りていた。
「どういう事だ……!?」
この状況は明らかにおかしいとイズモは判断する。なぜなら、コール侯爵に絡まれる前は自分たちに全ての注目が集まっており、それなのに誰もこちらを見てすらもいない。その上、イズモが見える範囲ではあるが、カタルーニャ大聖堂内にいる人達の視線の先には、何か注目を浴びるような人・物もないのだ。そのくせ、大衆の視線は一点に集まり、しかもその視線は何か動いているものを見ているかのように不規則に動いていた。
「……まさか」
イズモはある可能性に辿り着き、魔法を止めてルー達の元へと帰る。
「ミラノ、コール侯爵は幻覚を使うような命符か!?」
「えっ!? いや、わ、分かりませんわ。コール侯爵の命符は公表されてませんので……」
「そうか…… だが、多分あいつ、もしくはどこかに隠れている手下の命符は幻覚系だ」
イズモは、周りの人の反応からそう断言した。
「なんっでそう思った!?」
ルーは敵の一人に横なぎを食らわせながら、遊戯魔法で敵に応戦しているイズモに問う。
「さっき飛んでカタルーニャ大聖堂内にいる人達の反応を見たが、何故か反対側の3階付近を皆見てた。 俺達を追っていた貴族もその付近をめざして、何かを追いかけてた。……けど、そこには特段注目の的になるようなものは無かったんだ!」
イズモの言葉を受け、ルーとミラノはすぐに真相に気づく。しかし、魔法や命符に対しての知識が薄いマシロだけが、イズモの発言の意味に理解が追いつかない。それを察したのか、イズモは自分の言葉をさらに続ける。
「つまり、こいつらは俺達が逃げている幻覚を、カタルーニャ大聖堂内にいる全ての人達に見せてるって事さ」
「えぇっ!? そ、そ、そんな事、出来るの!?」
マシロは信じられないといった表情でそう尋ねる。マシロは異世界人ということもあり、魔法についてはずぶの素人である。とはいえ、この世界に来てから魔法を見た事が無いわけではなく、魔法によって出来そうなことやその規模感は感じている。その感覚からいくと、魔法によって幻覚を見せる、というのは出来るだろう。魔法によって転移魔法するくらいだ、それくらい出来なければ逆におかしいだろう。しかし、カタルーニャ大聖堂内にいる全員に幻覚を見せるという規模感はありえない。
「だ、だって、大聖堂の中には何千人っていう数の人がいるんだよ!? そ、それに、イズモみたいに、ま、魔法が得意な人だっているでしょ!? そ、その人たち全員を騙しきって、な、何千人に、幻覚を、見せるなんてできるの!?」
「マシロの指摘はごもっとも…… ですが、命符なら可能性がありますわ。当然、それなりの条件やリスク、準備もあるんでしょうけど」
命符は与えられた者に応じて、特殊な力を授ける。その力は特殊な魔法を覚えさせるもの、持続型のもの、超能力・仙術を覚えさせるもの等、多種多様なものがある。その全てを把握することは叶わないが、過去に幻覚を見せるものや催眠をかけるものもあった。しかし、そのどれもが狭すぎる効果範囲や厳しい発動条件といったデメリットをもっていた。
「どうやって幻覚を見せたのかは今考えても仕方ない。現に、もう既に発動しちまってんだからな。それより、どうやってあいつの命符を打ち破るか考えた方がマシだろう」
「ミラノ、マシロ! 悪いが、解決策考えてくれ! 俺とルーは戦闘に集中する!」
イズモの指示に、2人は黙って頷く。
「おじょー、できるだけ早くしてくださいね! こりゃ、長くは持ちませんよ!」
ルーの眼前に広がるのは、先程よりもさらに増えた敵の姿。どうやら倍々で増えていっているらしく、さしものルーとイズモの2人にも相手の攻撃を捌ききれなくなっていた。
「イズモ! 強化魔法、もっとかけてくれ!」
「無理だ! 持続時間も短い上に、強化魔法1回でかなりの魔力を使う! 今使ったら3分間程度の持続時間と引替えに、俺は戦力外になるぞ!」
再三になるが、イズモは魔法の応用が得意なのであり、魔法自体が得意な訳では無い。マギア曰く魔法適正が低いために、魔法を覚えるのも苦手な上、魔力の総量も少ない。イズモが【遊戯魔法】を愛用しているのも、使用魔力がかなり少ないために使っているのだ。それに対し【強化魔法】は【遊戯魔法】よりも使用魔力も多く、イズモにとってはかなり扱いにくい魔法なのだ。
「それは困るっ!」
ルーとイズモの二人による防衛戦線だが、その限界が近いのは誰もが悟っていた。向かって正面をルー、後ろをイズモが担当していたが、敵の数が増えるにつれ敵からの攻撃が当たってしまうことも増え、2人は既に身体中傷だらけ。体力も魔力も尽きてきたのか、2人は肩で息をしており、動きのキレも無くなってきてしまっていた。この状況でイズモがダウンしてしまった場合、4人に待ち受ける未来は火を見るよりも明らかであった。
「でしょ!? とりあえず、2人が解決策思いつくまで、今のまんま耐えるしかないよ!」
4人の命運を握るミラノとマシロの2人だが、時間が無い事による焦りや襲われている事による恐怖で上手く頭が働かない。それもそのはず、貴族同士の諍いに少々慣れているミラノも、いじめやゴブリンに襲われるといった過去がある故にこの状況でも号泣はしなくなったマシロも、齢たった10歳の少女なのである。むしろ、大人達に本気で襲われているこの状況下で泣き叫んでいない事を賞賛すべきだろう。
しかし、それはそれとして。いい考えが思いつかないということがさらに焦りを促進し、2人はパニックに陥りかけていることは事実であり、このままだと4人はコール侯爵の魔の手にかかってしまうこともまた事実であった。そしてその事は、4人を襲撃しているコール侯爵もまた重々理解しており、一度はイズモの魔法やルーの剣術に危機感をもったものの、今や余裕の笑みを浮かべて4人の健闘を見下していた。
「ふん…… よぉく頑張ったが、そぉろそぉろ限界だろぉ」
手下のクロムがルーとイズモを押しているのを見て、既に勝った気で戦いを行うコール侯爵。脳内では神宿りを手に入れた後に、どう使ってやろうかを皮算用する始末である。
「そぉろそぉろトドメを刺せぇ、クロムゥ!」
皮算用を現実のものにするために、その瞬間が待ち遠しくて耐えきれず、コール侯爵は卑しく汚い笑みを浮かべて手下に命じる。手下も、押されているにもかかわらずしぶとくこちらの攻撃を捌いている4人にフラストレーションが溜まっていたのか、コール侯爵の指示に黙って頷き、己が出せる最大量の分身を出して勝負を決めにいく。その数は100を超え、黒い輪が徐々に縮小していくように4人を襲う。
迫り来る黒い波。それはルーやイズモの2人では決して捌ききれる数ではなく、絶体絶命の窮地に瀕した4人。マシロは熊のぬいぐるみをより一層強く抱きしめな目からボロボロと玉のような涙を流し、ミラノは滝のような冷や汗をかく。ルーは剣を握り一人でも多くの敵から友を守ろうと奮起するも、その優れた戦闘感覚や経験から、この猛襲から守りきることは不可能だと諦めかけてしまっていた。
しかし、そんな中ただ一人。イズモだけは冷静に敵を見据え、いかにしてこの状況を乗り越えるかをしぶとく考え続けていた。イズモが平静を保っていられる理由は簡単で、彼にとってこの程度の危機は慣れっこだからである。アルコとの模擬戦で大人気なく【弓術魔法】で雨のように弓矢を降らされ死にかけたり、森を散策中に魔獣に襲われるなんて事もしょっちゅうだった。その全てをイズモだけの力で乗り越えてきた訳では無いが、修羅場をくぐった経験だけはこの場にいる4人よりも多い。その経験から学んだことは、思考を止める事は死と同義だいう事だ。そのため、イズモはどんなに状況が悪くても、それこそ喉元に刃を突きつけられていようと、考える事を止めたりはしない。
「【遊戯魔法】火鼠 改式」
【遊戯魔法】火鼠 は、ねずみ花火を創り出すだけの魔法である。しかし、例のごとくイズモはこの魔法にもアレンジを加えている。改式した【遊戯魔法】火鼠 は、火の玉を凝縮させ、その名の通り数匹の火の鼠を創り出す魔法となっており、火の鼠は火花を撒き散らしながら敵を攻撃するのだ。
イズモによって放たれた火の鼠達は、イズモ達の周りを円を描くように走り、4人に襲いかかる敵襲を威嚇する。ところが、火鼠は攻撃力自体はあまりなく、いわばこけ威しのようなものなので、この苦境を打破できるものでは無い。その上、火鼠の持続時間が30秒程度と、稼げる時間もかなり短く、打開策を考える時間としても不十分であった。
だかしかし、イズモはその微かな時間で思考を巡らす。たかが30秒ではあるが、されど30秒である。その気休め程度の時間で妙案を思いつく可能性は限りなく低いだろう。
しかし、イズモは諦めない。
その可能性が砂粒のように小さかろうと。
星屑のように遥か遠くにあるものだろうと。
夢幻のように朧気なものだろうと。
それが存在のならば、愚直に探し求める。
それこそが《探求者》であり、それが故にイズモの思考は加速する。
―――周りの喧騒がやけに静かに聞こえる。周りを走り回っている火鼠も、動揺する彼奴らも、酷くゆっくりに見える。まるで、時の流れが遅くなったみたいな……
加速した思考は、イズモだけを時の流れが遅い別世界へと誘った。泣き叫ぶマシロの声も、高笑いする貴族の声も遅れて聞こえ、イズモには世界がスローモーションに見える。たった30秒の時間が拡張し、この土壇場を切り抜ける起死回生の一手を探し求める時間を創り出す。そしてそれは、イズモにある疑念へと至らせるに足るものだった。
―――あいつらはなんで俺達には幻覚を見せないんだろう? あの幻覚と手下の分身攻撃を交えて襲いかかられれば、為す術なくマシロを奪われてたのに。……いや、使わないんじゃなくて、使えなかったのなら?
そうしてたった30秒の刻は過ぎ、世界が徐々に加速していく。火鼠は火花を散らして消えたのを合図に、敵の分身達は一斉に襲いかかる。
「【強化魔法】速度上昇、【強化魔法】攻撃上昇!」
イズモの魔法によって、ルーの身体は青白く、また赤白く光る。
「ルー! その魔法で俺の魔力は空だ! とりあえずそれで時間稼いでくれ!」
「わ、わかった!」
強化魔法をかけられたと理解したルーは、残りの力を振り絞り敵の群れを吹き飛ばし、時間を稼ぐ。その間にイズモはミラノとマシロの2人に視線を移すと。
「マシロ! ミラノ! 2人のありったけの魔法で風を集めてくれ!」
「い、いいですけど、なんの為なんですの?」
「あの癇に障るニヤケづらしてるお貴族様に、一泡吹かせるためだよ」
それだけ伝えると、ミラノは黙って頷き魔法で風を創り出し集める。しかし、マシロは未だ目に涙を浮かべながら俯いていた。
「マシロ、辛いのも怖いのも分かる。でも、今行動しなきゃ、あいつらに勝てないんだ。だからさ、俺を信じマシロの力を貸して?」
「で、でも…… わ、私、魔法は、まだ使えないし……」
「そこは大丈夫。俺に任せといてよ」
イズモはそう言うと、優しくそっとマシロの手を握る。
「魔力を変換して魔法にするのは俺がやるよ。だから、マシロはありったけの力で俺に魔力を注いで!」
「う、うん!」
カタルーニャ大聖堂へ来るために使った魔道列車内でイズモがマシロに教えた内容の中に、魔力を放出する技術も含まれていた。その技術は魔法を覚える上で不可欠の基礎中の基礎ではあるが、人に魔力を受け渡すことが出来たりと、その汎用性は高い。
「やるぞ!」
マシロの手を握っている手を強く握りしめる。マシロはそれを合図に、覚えたてで不器用ながらも、心を込めて魔力を注ぐ。そして、注がれた魔力を使い、イズモはもう片方の手で風の玉を創り出し、膨張させていく。
「ちっまぁだ諦めなぁいかぁ…… クロォム! そぉんな餓鬼一人さっさぁと倒せぇ!」
「……っ!」
コール侯爵の手下であるクロムも、イズモ達が不穏な動きをしている事には気づいている。そしてそれが、自分達に害をなすものであり、妨害すべき事だということも当然分かっている。分かってはいるのだが。
「させるかっ!」
「ぐっ……!」
目の前に立ちはだかる、たった一人の少年がそれを許さない。マシロ争奪戦ともいえるこの戦いの最初から最後まで主として戦い続けているその少年は、大きな傷こそないものの、身体中傷だらけでボロボロなのだ。その上、肉体的な疲労は言うまでもなく、命を狙われることによる精神的な疲労もその少年は蓄積しているはずである。にも関わらず、肉体も心も満身創痍と言うべき他ないその少年は、今もなお気を吐き、100を超えるクロムの分身達から仲間達を守りきっていた。その目を焔のように妖しく光らせ、血風にまみれ一騎当千の働きをするその姿は、マシロを狙う者達に畏怖を感じさせるに余りある。
「英雄コランダム……!」
クロムはその迫力に戦くが、すぐにその恐怖の対象は鬼神の背後へと移る。
「なんだあれは……」
そこには、エメラルドグリーンの輝きを中心から放ちつつも、緑の稲妻のようなエフェクトを纏った風の玉があった。その風の玉は凝縮と膨張を繰り返しながらも確実に大きくなっており、その直径は3メートルをゆうに超えていた。
「クロォム! クロォォム!! 早く、早くアレを止めろぉ!」
その驚異的なまでの大きさの風の玉に、さしものコール侯爵も肝を冷やす。ごく普通の魔道士が本気で風の玉を創ったとしても、せいぜいバスケットボール程の大きさが関の山である。その理由は2つ。1つは単純な魔力不足である。魔法の源となる魔力の絶対量が少なければ、いかに優れた魔道士といえども基礎的な魔法を規格外の大きさへと変化させるのは難しい。もう1つは魔力の制御である。むしろ出来ない理由の大部分はこちらで、扱う魔法が大きくなれば大きくなるほど魔法を保つ難易度は上がり、少しでも緩んでしまえば暴発するのは必至である。
そんな困難を極める芸当の立役者の一人は、勿論イズモである。彼の常識離れした魔法コントロール無しに、この巨大な魔法を留めておくことは出来ない。そして、もう一人の立役者は……
「凄いですわ……! 私とは比較にもならないほどの魔力……」
「い… いぞマシロっ! ふんぎっ!」
子供の魔力量では叶わないこの魔法。その不足分を担っている、巨大魔法成功のもう一人の立役者は、マシロであった。魔力制御の天才であるイズモをして制御に困らせるほどの魔力量を、イズモに注ぎ続けていた。
その巨大な魔法の余波によって、彼女のフードは吹き飛び、その白く青い美しい髪がこぼれ靡き、彼女の目から流れる涙は雫となって空を駆ける。
「わ…たしだって! 役に… 立って、みせる!」
少女の叫びのような吐露と共に、敵を脅かす風の玉はより一層膨張する。そして、その玉は直径5メートル程となり、イズモが制御できる限界値へと達した。
「お前らが、なんで俺達に幻覚を使わないのか…… いや、なんで使えなかったのかを考えたんだ」
イズモは静かに、敵に語りかける。
「ミラノが貴族だから? いいや、この場には他にも貴族がいる。 ルーが強くて幻覚をかける暇がなかった? いいや、周りの人が幻覚にかけられたのは戦う前だ、タイミングが違う」
ミラノとマシロが創った巨大な風の玉の表面を覆うように、微かに残った自分の魔力を張り巡らせる。
「マシロが神宿りになったから? いや、どんなに強力な命符だろうと、目覚めたばかりの命符が、経験豊富な大人達も含むカタルーニャ大聖堂内全員に見せている幻覚に勝てるとは思えない」
風の玉にさらに魔力を込め、その形を徐々に変えていく。
「なら俺達と他の参加者の違いは? 俺達だけしている…… もしくは、俺達だけしてない事は?」
風の玉は緑色の閃光を放ち、巨大な風の玉は複数の鳥の形へと転じる。
「ここに来るために転移魔法を使った。正確には、カタルーニャ大聖堂内のどの扉も通過してない」
イズモの推理を聞くや、コール侯爵は目を見開き、みるみるうちに顔が青くなる。イズモが自分の仕掛けを看破していると理解した途端、あの若草のように煌めく鳥達が何を狙っているのか瞬時に思い至ったのだ。しかし、今となってはコール侯爵に打つ手は残っていなかった。
「【初級魔法】風千鳥 改式」
イズモの詠唱で風の鳥達はカタルーニャ大聖堂天井、太陽を象るステンドグラスすれすれに打ち上がる。
「お前が幻覚を見せるためには、扉をくぐる必要があるんだろ? それがなんで必要なのかは全くわかんなかったけど……」
鳥達はそこでバラけ、それぞれがカタルーニャ大聖堂内にある全ての扉めがけて流星のように飛んでいく。
「全部壊せば、それで済む話だよね」
扉と鳥とがぶつかり合い、各所で爆発音が鳴り響く。扉の近くにいる人達はその衝撃に巻き込まれるが、使っている魔法が風という事もあって、吹き飛ばされるだけで大事には至っていない。しかし、狙いの的である扉だけは全て粉々に壊す事に成功していた。そして、その壊された扉達からは、黒い粉が溢れ、コール侯爵の手中へと戻っていた。すると、今まで一心不乱に何かを追い続けていた命響式の参加者達は辺りを見回す。壊された扉に、突如消えた幻覚、参加者達がざわめき立つのは当然のことであった。そして、一部の者がカタルーニャ大聖堂最上階で、何者かに囲まれている子供達を見つけるや否や、そのざわめきはさらに大きなものとなる。
「おいっ! なんだあれ!? あんなのさっきまで無かったぞ!」
「あそこにいるの、神宿りの子じゃないかしら?」
「ほんとだ!! 隙間からしか見えないけど、確かにあそこにいるぞ!」
「でも、さっきまでこっちにいたはずだろ!? これは一体……!?」
ついには神宿りの姿も群衆に露見し、カタルーニャ大聖堂内の全ての注目は、またもマシロ達へと向けられる。
「や、や、やってぇくれたなぁっ!」
コール侯爵は怒りからかトマトのように顔を真っ赤にして叫ぶ。
「くそぉっ! くそぉっ! くそぉっっ!! ……まだ、まだ! まだだっ!クロォォォォォムゥゥッ!!!」
「御意!!!」
クロムは囲いの密度をさらに増やし隙間を無くす事で、周りからマシロ達を完全に見えなくさせる。そして、先程よりも多く、そして屈強な分身たちを次々に生み出し4人を襲う。
「あいつ、まだ本気じゃなかったのか……!」
一人でクロムの猛攻に耐えきっていたルーだったが、イズモの魔法の効果も切れ、酷使しすぎた身体は動きが鈍い。それでも果敢に立ち向かうが、分身の一人にも勝てずに3人の方へと吹き飛ばされる。
「ルー!」
ミラノはルーに駆け寄り安否を確認するが、その暇さえなく分身の一人に髪を掴まれルーから剥がされる。魔力を使い切ったマシロとイズモの2人も、襲い来る分身達には勝てずにその場に拘束される。そして、イズモだけコール侯爵の前へ運ばれると、その頭に踏みつけられる。
「はっ、ははっ!! はじめぇから、はじめぇからぁこうしてぇれば良かったぁんだ!!」
「……扉の細工に、手下の命符も関わってたのか」
分身達の量も質も上がったことから、イズモはその事をすぐに理解する。
「そうさぁ、そうさぁ!! 俺達は手加減してやってたんだぁ!! それなのに、そんな事も知らずになに調子乗ってんだ! 司令塔ぶってんじゃねぇぞクソガキィ!」
コール侯爵はイズモを踏む力をさらに強くし、その上何度も勢いよく踏みつける。踏みつける度にイズモは鈍い声をあげるが、お構い無しに、むしろ嬉々として何度も何度も踏みつける。
「誘拐は全員にバレたんだ…… お前に! もう逃げ場は無いぞ!」
腹から込み上げる血を吐きつつも、イズモは毅然とした態度でそう言い放つ。しかし、それが癇に障ったのか、コール侯爵はその太い足でイズモの腹部に蹴りをいれる。
「んなこたぁわかってぇますよぉ。でも、あのガキ達を盾にすりゃまだ望みはあるんですよぉ」
コール侯爵は汚らしい笑みを浮かべ、ルー、ミラノ、マシロの3名を見てそう言った。そして、ルーの元へ行くとその頭に蹴りを入れる。
「コランダム家の餓鬼ぃは、英雄の一族、価値は高ぃ」
次にミラノの元へ行くと、その髪を掴み上げる。
「サフィール家のぉ娘もぉ同様、人質にするぅ価値は高いぃ」
「うるさいですわっ! 貴方は、貴方は絶対に許さないですわっ!」
泣き叫ぶミラノを後にして、最後にマシロの元へ行くと、その頬を撫でるように触る。
「神宿りは言わずもがなぁ! 世界中のぉ権力者がぁこいつに死なれちゃぁ困るぅ!」
「ひっく…… イズモ…… イズモぉ……!!」
泣きじゃくるマシロ。その目は血を吐き、腹部を抑えて悶えるイズモを見ていた。そして、残酷にもコール侯爵の目もそのイズモへと向く。
「お前はぁどうだぁ? 人質にぃする価値もぉなく、何よりぃこの私のぉ顔にぃ泥を塗ったぁ!」
コール侯爵はイズモの背部に馬乗りなると、その髪を掴んで喉元を露わにする。
「お前だけは、ここで殺す」
今までの語尾を伸ばす巫山戯た話し方を辞め、純粋な殺意でもって眼下の少年に吐き捨てる。しかし、そんな状況下であるのにその少年はニヤリと笑うと。
「やるならやれよ。早くしないと、手遅れになるぞ?」
馬乗りにされ、あと一手でその命を散らすこととなるだろう時に、イズモはそう言い放つ。その目にはまだ光がともり、絶望の色は見えなかった。そして、その事がコール侯爵の神経をさらに逆撫でする。
「なら死ねやこの糞ガキっ!!」
コール侯爵はその胸元からナイフを取り出し、イズモの喉元へと突き立てた…… ように見えたが。ナイフを突き立てられたのはコール侯爵であり、突き立てているのは馬乗りされていたイズモ。そして、先程の状況で立ち位置だけが入れ変わったように、イズモはコール侯爵に馬乗りになっていた。
「残念。手遅れだったみたいだね」
「なっ、なっ、なにがあった!!」
訳の分からないといった顔で、喉元にナイフを突きつけられているコール侯爵。
「クロムっ!」
「……っ!」
急いで手下に指示してイズモに攻撃させるが、その攻撃が当たる前に手下達は次々と消えていく。ルー、ミラノ、マシロの三名を拘束していた手下達も消えていき、手下で覆われた黒いドームは崩れ去った。
「なんでっ! なんでっ!? なんでっっ!?」
錯乱するコール侯爵であったが、その地面にあるものを見つける。それは、紫に輝く魔法陣。その魔法陣の効果は、転移魔法―――
「全く、悔やんでも悔やみきれないねぇ…… イズモとマシロから離れるべきじゃなかったよ……」
そこには、穏やかな口調ながらもマグマのような怒りを感じさせるマギアの姿がそこにあった。纏うオーラは鬼のようで、その姿を見ただけでコール侯爵は怯える。
「さて…… あたしゃの可愛い可愛い子供達に手をだした小悪党はお前だね……?」
「ひっ……!」
イズモはマギアのする事を察知し、ナイフをコール侯爵の喉元から離し、早々にその場から距離をとる。そして、声にならない叫びを発するコール侯爵に、容赦なくマギアの魔法が炸裂した。