戦闘開始
飛竜船が近づくにつれ、ワイバーンの輪郭も点でなく、しっかりと輪郭を捉えられるようになってきた。この速度だと、あと僅かで戦闘が始まりそうだ。あ、何匹かこっちに飛んできた。予想以上に眼がいいな。
「僕も準備ができたのです、リコお姉ちゃん」
ナナが頭の後ろに回した紐をキュッと縛ると、こっちに向き直る。その左目には黒い眼帯が着けられている。
「眼帯……。ああ、魔導具ですか。聞くところによるとナナ殿は多くの魔道具をご自身で作成されているそうですな」
いえ、ただの眼帯です。特に意味はありません。ナナはこういうのが大好きで、この眼帯も自身で手作りしたものなのだ。まあ13歳だし、年頃的にはピンズドというか、まあまだ温かく見守れるレベルではある。それにナナがこういう風になってしまった原因も俺にあるので強く窘めることも出来ない。俺に出来たのはせいぜい、目が悪くなるから日常ではしないという約束をするぐらい。
「じゃあ、始めるのです」
ナナは黒いマントをバッとはためかせると、テクテクと船首の先端へと歩いていく。
「ここでは少し距離が過ぎませぬか」
「まあ、ナナなら大丈夫でしょう」
クラーク将軍が少しばかり懸念を口にする。確かに大分距離がある。魔法だけならBランクぐらいの実力の俺でも、きっと届かずに消失してしまう距離だ。だが、今魔法を行使するのはナナだ。届きもしないのに魔法を行使することはありえない。それに近すぎれば街にも被害が出てしまう可能性もあるのも、当然考慮してのことだろう。
ナナは勢いよく杖を前に突き出すと、いつもの舌足らずな可愛らしい声とは違う、毅然とした口調で詠唱を開始する。
「静謐なる蒼穹の王よ、我の諫言に応え給え。今、その真をもって、其を犯す賊を討ち給え。出でよ、天雷の裁き」
うん、85点といったところか。毎日、ノートにまとめているだけはあるね。しかし、詠唱しているナナの声は本当に普段と違って凛々しい。これも日々の練習の賜物だろう。もし、ナナが俺の世界に生まれていたら人気声優とかになってたかもなあ。
俺が呑気にそう考えている最中、詠唱を終えたナナの杖に凄まじいまでのマナが集まり、暴風となって吹き荒れる。そして、それに呼応するように街を見下ろしている上空のワイバーンの群れの中心から、雷光が轟音と共に何条も放たれる。
幸い、距離があったため網膜にダメージはなかったが、その光は周囲を照らし、一瞬この場を白夜のように白く染めてしまう。眩しさに眼を手で遮った俺は視力が戻るとその成果を確認する。
「うん、七割ぐらいはやったかな」
ワイバーンの大半は文字通り消失している。消失を逃れたものも、絶命したり、怪我をおったりしたものが、真っ逆さまに大地へと落下していた。
「なあっ⁉」
俺の隣で、常にダンディズムを解かないクラーク将軍が口をあんぐりと開け、驚愕に眼を見開いている。この人でもこういう阿呆っぽい表情するんだと、俺は失礼ながらその意外性にふとそんなことを思ってしまった。
「リコお姉ちゃん、終わったのです」
「うん、よくやったね」
褒めてと言わんばかりに、黒の三角帽子を取って俺の前へと駆け寄るナナの頭を撫でてやる。「えへへ」と目を細めるナナ。その側でノアが指をくわえて「いいなー」とこっちを眺めていた。
「ん?」
俺はあたりが静まり返っていることに違和感を覚えた。クラーク将軍含め、周囲の船員たちも絶句して、俺たちを凝視している。緊急事態だから、やりすぎなどということはないが、それでもショックは大きかったか。
「こ、これが根源の魔女。多少なりとも盛られていると思ったが、まさか噂以上とは」
クラーク将軍はナナを信じられないといった表情でみている。まだ、ワイバーンは残っているので、何らかの指揮をとってもらいたいのだが。空気を読んだのか、アレクが一歩前に出てクラーク将軍に話しかけてくれた。
「将軍、まだワイバーンは残っています。皆に指示を」
「ん、ああ。だが、これからどうすれば」
いまだ驚愕から覚めないのか、クラーク将軍はアレクに何をするべきかを問う。いや、俺たちに何が出来るのか、もうわからなくなってしまっているようだった。
「もう、大分街に近づいてきました。今のものをもう一度行うと街に被害が出るかもしれません。見たところ、マノアはまだ持ちこたえているように見えます。城壁も崩落してはいないし、ワイバーン用のバリスタもまだ取り付けられて無事のようだ。思うに、まだあの規模のワイバーンに襲われて間もなかったのでしょう」
「う、うむ。確かに」
「ですが、街の中からも煙が上がっている。どうやら完全には防ぎきれなかったようです。なので、高度を下げつつマノアの街に近づいてください。飛び移れる段階になったら俺とスタン、ノアが街へと移り、住民の救助を行います。将軍は姉さんたちと飛竜船の安全を確保しつつ、制空権を奴らから取り返してください。エリスとナナがいれば、なんら問題はないので心配はいらないでしょう」
「……そうか、わかった。全ては君たちに任せよう。我々はバックアップにまわる」
何かを悟ったかのような、晴れやかな顔となったクラーク将軍。ようやく我へと帰ったらしい。頼もしそうに俺たちを一瞥し頷くと、威厳を取り戻した様子で部下たちに指示を下す。
「ナナ殿の魔法のお陰で、敵は混乱している。この隙をつき、マノア上空まで船を走らせるぞ。住民を救助する。敵はまだ多いが、我らにはストレイキャッツがついている。何ら、問題はないっ‼」
「「「おおっーーーーー‼」」」
皆も先ほどのパニックに陥った様子は完全に消え失せ、今や押せ押せムードになったようで、笑顔で各部署へと駆けていく。だが、これからあのワイバーンの群れに突っ込むと思うと気が重い。この雰囲気に水をさしてはいけないので、バクバクと緊張する心臓を手で押さえながら、なんとか曖昧な笑みを浮かべる。そんな俺の様子を察したのか、後ろからエリスがポンと小さく肩を叩いてくれた。
「おおっと、奴さん戦意を取り戻したみたいだぜ」
スタンの警告に周囲を見ると、10匹程のワイバーンが左右に分かれて飛竜船を囲もうとしているのが見えた。どうやら、挟撃しようとする腹積もりらしい。
「ナナ、お前は右な。俺は左をやる」
「わかりましたのです、スタンお兄ちゃん」
スタンはナナにそう指示を与えると、弓を構える。
「こいつを持ってきてよかったぜ」
それは魔法で強化された大弓であった。一級の魔法加護が付与されており、これ一つで恐らく中流階級のものなら家が一つ建つだろう。かつて、未踏破とされる迷宮を踏破した際、最深部の宝物庫に保管されていたのだ。今回、敵がワイバーンということで用意しておいた。
スタンは力強く弦を引き絞ると、まだかなりの距離はあるものの、狙いを定めてワイバーンの一匹に弓を放った。
「ッ⁉」
それを感じたのだろう、回避動作を取ろうとしたワイバーンの額に、スタンの放った弓が瞬時に深々と突き刺さる。脳髄を破壊されたワイバーンはのけ反りながら、大地へと落ちていった。弓に付与された加速の加護と、スタンの強弓、そして正確無比な弓の腕があったからこそ出来たことだ。
「素晴らしい。スタン殿の獲物は双剣ときいていたが、弓の腕前もまさに神域ですな」
余裕を取り戻したクラーク将軍がスタンの弓をみて、呑気に賞賛する。スタンは本当に器用だからな。ほぼ、なんでも出来るし、魔法も相当の腕前だ。
「まだまだ」
スタンは間髪いれず、矢継ぎ早に弓を放つ。それに対応できないワイバーンが二匹、三匹と眉間を射抜かれ、落ちていく。しかし、一際敏捷なワイバーンは大きく旋回し、何とか矢を回避する。
「甘い」
しかし、その回避行動を完全に読み切っていたスタンの二の矢によって、あっさり自ら眉間を差し出す様に射抜かれたワイバーンも、呆気なく大地へと落下する。
その度に、船上に喝采が響く。もう、既に勝ち戦のような雰囲気となってしまっている。武田信玄が上司だったら、即刻斬首されそうだな。
俺は反対側のナナを見ると、こちらも魔法を使って、問題なくワイバーンを倒している。さすがに長い詠唱は躊躇われたのか、「風よ」と短く呟き、その刃でワイバーンを両断していた。
まあ、遠距離の攻撃ならこの二人に任せておけば間違いはないかな。そう思ったとき、唐突にノアが話しかけてきた。
「ねえ、リコ姉」
「ん、どうしたの?」
「ノアも行っていい?」
「うん、そうだね」
周囲のワイバーンに気を取られていた俺は、つい空返事をしてしまった。その意味を考え、ハッとしたとき、既にリコは船の中腹に移動し短くストレッチを終えていた。
「ちょっと待って、ノア」
「よーし、いっくぞー」
クラウチングポーズを取り、疾風のように俺のとなりを駆け抜けると、船首へとトップスピードで到達し、船べりを蹴り大空へと高く跳躍した。
「ノアーーーーーーー」
「わーーーーーーーい!」
えっ、ここって空の上だよね。ちょ、待てよ。