勝利
「ノアーーーーーーーーッ⁉」
俺は空中に躊躇いなくダイブしたノアの背中に向けて絶叫する。脳裏を過ったのは、スカイダイビングでパラシュートが開かなかったというニュースを聞いた時の衝撃。あれは、想像するだけで恐怖に襲われた。
だが、ノアにそんな恐怖心は微塵もないようだ。愉快な歓声と共に跳んだノアの体は、まるでカタパルトから射出されたジェット機のように、前方にいた一匹のワイバーンへと真っすぐ飛んでいく。その尋常でない速さと飛距離に、俺は「あ、人間も飛べるんだ」と見当違いなことを考えてしまった。
ワイバーンは一瞬空中で身をよじらせる。唐突に遠方から飛んできた謎の物体に面食らったのだろう。避けきれなかっただろうワイバーンとノア、その二つが重なった時、ワイバーンがパァンと爆ぜる。どうやらノアの攻撃をくらったらしい。船上からは再び喝采があがる。でも、そこからどうするんだよ。俺はヒヤヒヤしながら次の行動を固唾を飲んで見守る。
「おおっ⁉」
隣でクラーク将軍が感嘆の声をあげる。ノアは倒したワイバーンの体を蹴り起点とし、すぐ側のワイバーンへと弾丸のように向かっていく。そして、またそのワイバーンを爆ぜさせながら、再び次のワイバーンへと一直線に向かっていく。その姿はまるで敵をポーン、ポーンと踏みつける某国民的アクションゲームにみえないこともない。なるほど、その手があっ……るわけねーだろっ‼
「いやはや、流石は拳王ノアですな。まさに達人の所業」
楽しくなってきたのだろうか、ウキウキとした様子のクラーク将軍。だが、俺はいつノアが落ちてしまうか心配で、それにこたえる余裕はない。
「姉さん、心配はいりませんよ。既に大分高度は下がっています。万が一、落ちてしまってもノアなら大丈夫でしょう」
ヒヤヒヤとしている俺を見かねたアレクが、俺にそう告げる。アレクが言うなら信用できるが、それでもまだ高層マンションの屋上ほどの高さがある。そうなんだ、君たちはここから落ちても大丈夫なんだ……。
「そうですわ、姉様。もし万が一怪我をしてしまっても、私が治しますし。万万万が一死んでしまっても、絶対に蘇生の奇跡で助けてみせます」
エリスもサラッと俺を励ますように、笑顔でそう告げる。蘇生できれば死んでもいいというのは倫理的にどうかと思うが、俺は「その時はお願いね」と曖昧な笑顔でそれに応える。こういうときに、俺は周囲との齟齬を強く感じてしまう。まさに超人の間に挟まれた凡人。
「姉さん、そろそろマノア上空に船が達しようとしています。俺とスタンは街に救援にいくので、その間ここをお任せしてもよろしいでしょうか」
アレクが姿勢を正しながら、俺にそう問う。そこには、あくまで俺をリーダーとして立てるという決意表明のようなものがあると俺は感じてしまう。
「……そうだね、お願いできるかな」
「ええ、当然です。スタン、行くぞ」
アレクが傍らのスタンに声をかけると、スタンも「おうよっ」と気軽にそれに応える。
「エリス、ナナ。姉さんを頼んだ」
「言われなくても当然ですわ。兄さんもしっかりね。スタン君も気をつけて」
「まかせてほしいのです」
アレクはエリスとナナにそう告げ、スタンと顔を見合わせ頷くと、二人でマノアの見張り台目掛け駆けながら跳んだ。まだ、大分距離があり少しミスすれば地面へ真っ逆さまな距離を、臆することなく尋常でない跳躍力で移る二人。そして、その勢いのまま市街へと駆けこんでいった。
「さて、いこうか」
「ん、そうだな」
マノアの見張り台へと飛び移ったアレクは、隣のスタンへとそう語り掛ける。街を見ると、ところどころに煙が立ち込め、悲鳴が絶えず聞こえてくる。間に合ったとはいえ、多くの人が犠牲となったに違いない。一刻もはやく助けなければ。
「兄貴、ばらけた方が効率がいいだろ。俺は上から行くわ」
短くそう言い残すと、スタンは見張り台から民家の屋根へと跳躍する。かなりの高低差があるものの、重力を感じさせない動きで着地すると、そのまま中央へと駆けながら、背中に背負った矢を射抜く。三匹撃ち落としたところで、低空飛行するワイバーンがスタンへと襲い掛かる。再び弓を背負い、腰の双剣を抜き放ったスタンとワイバーンが交錯し、そしてワイバーンの首が跳ね飛ばされた。
「やるなあ」
自分もまけてられない。弟の奮戦を目にして、自分も遅まきながら屋根へと跳躍する。スタン程の身のこなしはできないため、着地と同時に地を転がり衝撃を吸収し、そしてそのまま市街地を駆ける。
「グルウウウウッ」
「きゃああああぁ」
途中、ワイバーンに今まさに襲われそうになっている若い女性を発見すると、アレクは背中に負った長剣を抜き放ち、全力で駆け寄りその分厚い胴を横薙ぎにした。
「ギャアァアアアァ」
その斬撃の威力は、刃渡りよりも遥かに長いワイバーンの胴を容易く両断する。
「お怪我はありませんか」
「あ、ありがとうござい……」
助けた女性はアレクの顔を見ながら言葉を詰まらせ、目を見開きながらアレクの顔を凝視する。襲われたショックで声があまり出ないのだろう。恐怖と興奮のせいか、顔面は紅潮し、目はうるんでいる。こういう場合、礼節を相手に求める方がナンセンスだ。
「ここは危険です。家屋へと非難してください」
「あ、はい。……あなた様のなま」
いまだ助けを求めている人は多い。急がねば。町娘としてはかなり美しいともいえるその女性の声に振り返ることなく、アレクは市街を駆け抜けた。途中遭遇したワイバーンを何匹も切り捨てていると、再び襲われている二人組の男性を発見する。身なりからすると兵士と冒険者だろう。一人は負傷しており、もう一人はそれを庇うように抱えながら、逃げようとせずワイバーンを睨みつけていた。全力で駆けても間に合わず、捕食されるという状況において、アレクは己の中のマナを瞬時に練り上げる。
「来いっ」
途端にワイバーンと襲われている者の間の地面が隆起し、襲い来るワイバーンの顎を食い止めた。それは次第に人の形を取り、ワイバーンをがっちりと拘束する。それは土魔法によるゴーレムの作成であった。あまり魔法が得意でないアレクが、姉と相談し身に着けた数少ない魔法。幼い頃からスラムにある迷宮で、タンクとして絶大な貢献をしてくれているアレクの頼れる相棒だ。
「はあああっ」
ゴーレムに拘束され、あがいているワイバーンの首を一刀のもと両断する。
「ありがとう」
ゴーレムにそう告げると、ゴーレムはちいさく頷きながら土へと帰っていった。
「大丈夫ですか」
「ああ、あんたは」
「俺は冒険者パーティー、ストレイキャッツのアレクです。依頼を受け、マノアを救いに来ました」
アレクの言葉に男は目を見開いて「ストレイキャッツ……」と小さく呟く。そんな男の抱きかかえている負傷者は、大分重症であった。既に意識もないようだ。すぐに迅速な処置を行わなければ、助からないだろう。
「頼む。こいつは俺の親友なんだ。どうか、助けてくれっ」
「ええ、大丈夫です。俺の妹は大地母神の神官です。すぐ癒しの奇跡をかけてくれるはずです」
「今、その人はどこに」
「あそこに」
アレクはマノア上空まで飛んできた飛竜船を指さす。
「それじゃあ、間に合わないよっ」
悲痛な声で訴える男。まあ、エリスの奇跡をみたことがないのなら当然か、とアレクは思う。普通の神官の癒しの奇跡は、直接触れ合わなければ行使できないものであり、エリスは当然ここにいないのだから、男が絶望するのも理解は出来た。
アレクは一度、大きく息を吸い呼吸を整えると周囲を見回す。スタンが屋根の上から弓や魔法でワイバーンを駆逐していっている。その順序は的確で、襲われそうな人たちを順次しっかりと助けている視野の広さは流石と言えた。時折、直接襲おうとするワイバーンも双剣によって、その頚部を容易く刎ねられていた。
そこでアレクはすぐ側に墜落してきたワイバーンの姿を目撃する。そして、その背中には妹のノアが乗っているのも視認できた。轟音とともに墜落するノア。あの妹のことだから無事だろうし、墜落先に人がいないようにワイバーンの首をへし曲げ制御していたのは見たが、少しばかりその無鉄砲な行動には悩まされる。今度、姉さんに再度キツク言って欲しい。
そんな時、空から眩い光が降り注いでくるのがみえた。アレクには、それがエリスの行使する奇跡であるということがわかった。その光は周囲の傷ついた人たちの傷を瞬く間に治してしまう。
「これは……」
「妹の奇跡です」
抱きかかえた友の傷が瞬時に癒え、驚愕に眼を見張る男。傷のいえた男は、健やかに寝息を立て始めている。
アレクは再度戦況を確認する。屋根上では、相も変わらずスタンが黙々とワイバーンを駆逐していた。同じようにノアも屋根へと飛び移り、周囲のワイバーンを徒手空拳で殴殺している。遥か頭上のワイバーンたちはナナの魔法で次々と撃ち落とされていた。
飛竜船の船員も負けじとバリスタでワイバーンへと攻撃を加えている。どうやら戦いはすぐに終わりそうだ。自分も負けてはいられない。アレクは長剣を握りしめると、自身も次の戦場へと向かおうとする。だが、その背中に声をかけられ、アレクは一度足を止め、振り返る。
「あ、あの、助けてくれてありがとう。……それと、この街は俺の生まれ育った大切な場所なんだ。だからお願いだっ、どうかこのマノアを護ってくれ」
切実な様子で訴える男。アレクはただ黙って微笑みながら静かに頷くと、再び足を進める。男はそんなアレクの背中に声を張り上げながら声援を送ってきた。
「頼んだぞっ‼ ストレイキャッツ」
その真摯な想いを受け取りながら、アレクは長剣を強く握りしめた。
二手に分かれた二人は、途中で遭遇したワイバーンを一刀両断しながら市街のワイバーンを駆逐していっている。
「あっ、ノアちゃんも来たのです」
ナナが指さす方向を見ると、ワイバーンの首根っこを掴んだノアが、マノアの市街地中心に落下してくるのがみえた。土埃を巻き上げ、落下するノア。一瞬、怪我の心配をしてしまうが、結局は杞憂に終わるだろうということも、いままでの経験で俺はわかっていた。
「総員、戦闘配置に着けッ‼ 聖女殿をお守りするのだっ」
敵の真っただ中に突っ込んだためか、ダンディさを取り戻したクラーク将軍が抜刀しながら号令を下す。意気揚々とした部下の方たちも、気合の入った声で「「「応ッ‼」」」と答えながら、周囲のワイバーンに勢いよくバリスタを打ち込むなど奮戦を始める。そんな中、エリスが俺の前に立ち、許可を求めてきた。
「姉様、とりあえず傷ついたマノアの方々を癒して差し上げたいのですが、よろしいですか」
「うん、そうだね。まず、それがいいかもね」
マノアの街を上空から見落とすと、崩落している市街地も多く、倒れ伏している人たちもいる。いままさに失われようとしている命もあるかもしれない。救助は早ければ早いほどいい。
「では」
エリスは錫杖を己の胸に抱きながら、船首へと歩み寄る。途中、ワイバーンが一匹、それに気づいて滑空をしてきたが、ナナの魔法の前にあっけなく絶命する。
「豊穣の神よ、あまねく子らを癒し給え」
エリスが天高く、己の錫杖を掲げる。すると途端に空から一条の眩い光が差し込み、それが都市全体を覆った。途端に、倒れ伏していた人たちが起き上がり、何が起こったかと呆然とした様子で己の体を眺めている姿があった。
「世に数例しか確認されていない慈天の奇跡。光の聖女、その奇跡は一度に千を癒すと聞きましたが、それ以上とは、いやはや流石ですな。都市全体を癒す奇跡を行使できるなど、光の聖女殿以外には有史に伝えられる、業火の魔女か護りの聖女ぐらいでしょうなあ」
もっぱら解説役となってしまったクラーク将軍が、うんうんと頷きながら腕を組み、納得した素振りを見せる。俺は、そんなクラーク将軍をみながら、もはや何も思うまいと決めた。いや、むしろ常識人のクラーク将軍は俺の理解者になってもらえるかもしれないとの淡い期待ももつ。この子達と付き合うのも、結構大変なんですよ。
「おっ」
そう感慨にふけっていると、一組の母娘がワイバーンに襲われそうになっているのを発見する。いくら、ストレイキャッツが超人じみているといっても、その剣が届かないこともある。俺は船べりへ乗り出すと、マナを一気に練り上げ、そのワイバーン目掛けて火球を放った。
「闇の炎に抱かれて消えろッ‼」
赤き紅蓮の火球がワイバーンへとぶつかる。小さな爆発と共にのけ反ったワイバーンは、少しばかりたたらを踏むが、すぐさま姿勢を戻してしまう。だが、その隙に母娘は路地裏へと逃げ込み難を逃れる。
「ふうっ」
いい仕事したなあ。魔力全部使えばワイバーン一匹ぐらいやれる実力は俺にもあるのだ。まあ、タイマン張ったら一発当てた後、速攻で喰われるだろうけど。
「グルアアアアッ」
傷を負わされたワイバーンはその主である俺に気付き、襲ってくる。喰らってやらんとばかりに開かれた大口はかなりの大迫力だ。ハリウッドの特殊技術なんて目じゃないね。だが、その牙は俺のもとまでは届かない。
「ギャウッ」
うわあ、痛そう。不可視の壁に阻まれたワイバーンの顎は、その突撃の速さが仇となり、無残にひしゃげる。エリスの守護の奇跡だ。
「大丈夫ですかっ、姉様」
「うん、ありがとうねエリス」
そして、守護の壁に阻まれたワイバーンを飛竜船のバリスタが打ち抜いた。なんか初めて飛竜船が仕事した気がするなあ。
気付くと、既にワイバーンはほぼ駆逐されていた。上空の敵はナナがほぼ撃ち落とし、街中にいたものも、アレクやスタン、ノアに一撃で屠られている。いつしか、その姿を見ようとする人たちが多く外へと出てきて、俺たちを盛大に応援し始めていた。
そうして歓声はどんどん大きくなり、やがてそれはストレイキャッツを讃える大喝采へと変わっていった。
「終わりましたな。いやはや、まるで神話のような戦いぶり。ストレイキャッツ、聞きしに勝る英雄たちですな。あなたたちのお陰で、無事マノアは守り抜くことができました。感謝してもしきれぬこの恩、一体どう返せばいいのか、今の某には皆目見当もつきませぬ。ですが、今後国に背かぬ限り、このクラークの命、聖女殿のためなら投げ打つことを誓いましょう」
クラーク将軍が俺の前に歩み出て、片膝をつきながらそう宣誓する。ストレイキャッツのせいでなんら活躍の機会が与えられなかった将軍だが、さすがに覚悟が極まっている。飛竜船の船員もクラーク将軍に倣い、胸に手を当て俺たちに敬礼してきた。
マノアの歓声はますます大きくなり、都市全体を揺るがしていた。なんにせよ、今回のクエストが終わったのだと感じるとドッと疲れが押し寄せる。それと同時に俺の乗り物酔いも復活してしまい、俺はもはや地面へと下りることしか考えられなくなっていた