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プロローグ


「リコも天国に行けるのかな?」


 薄暗い路地裏で膝を抱えながら、そう呟く。もう、体が動かない。お母さんが動かなくなったのは、いつだったっけ。いつも優しく頭を撫でてくれた、お母さん。あの数字がゼロになると、みんな動かなくなってしまう。リコだけに見える、あの数字。ゼロになった人は死んでしまったのだと、みんなが言う。それは、お母さんも同じだった。


動かなくなってからも暫くは側にいたが、食べ物を求めて離れ、少しして戻ったときには何故かもういなくなってしまった。必死に探したけど見つからなかった。死んでしまったお母さん。もしかして、お母さんも連れていかれてしまったのかな。でも、リコももう動けないよ。頭も熱い。咳が止まらない。たぶん風邪なのかな。でも、不思議と苦しくなくなってる。おなかが空いて、食べ物を探しに一日中ずっと歩き回る毎日も辛かった。このままお母さんのところへいけるなら、もういいよね……。


「……ああ、でもご飯かあ」


 もう三日も口にはしていない。まだ、恵まれていた頃、セーサイとやらが乗り込んで来なかった頃、お母さんがよく作ってくれていたクズ野菜をじっくりと煮込んだ温かい味のあの特別スープ、あれがもう一度飲みたいなぁ。それと、贅沢をいうならラーメンかなあ。


「……あれ、ラーメンって何だっけ?」


 途中、ノイズのように割り込む欲望。その瞬間、ゆっくりと死に向かい始めていた思考が混濁し始める。

――ラーメンなら背脂チャッチャッ系かなあ、やっぱ。でも、家系も捨てがたい。だけど、コレステロールも気になるしなあ。ここはあえて、オーソドックスな中華そばもいい。そうだ! 煮干し系も悪くないぞ!


「な、に……コレ」


 混濁する思考。熱に浮かされたリコの頭は更に茹だる。母親が作ってくれたスープのように。




そこへ更に多くの記憶が流れ込んでくる。それは40近い男の記憶だ。その本流にリコは唯容易く呑まれてしまう。そして次に口から出てきた言葉の主は、もはや以前のリコではなかった。


「いやいや、なんで生きてんだよ俺。ん? あれって夢だったっけ? でも、今まで見た夢の記憶も……」


 貴族の妾の娘として生まれたリコ。貴族の男には嫉妬深い正妻がおり、リコが五歳のとき正妻に全てが発覚し援助を打ち切られた。その後、貧民街を母とさまよった記憶。それが今、明確に脳裏へと刻み込まれていく。それと同時に、もう一つの記憶を思い出す。日本という国で婚活パーティーに惨敗し、気分晴らしに街を散策していた男。そのとき彼は少女を襲おうとする通り魔に出くわし、目の前の通り魔から少女を庇い刺殺された。その、38歳になる山田哲也という男の記憶も思い出していた。


「なんだ……コレ」


 俺は、リコという少女として生きている。その記憶も鮮明にあった。しかし、山田哲也という日本人として38年間生きた記憶も確かにあるのだ。そして今の俺は、こういった事態に思い当たる節がないわけでもない。


「もしかして、これは転生ってやつなのか……?」


 日本で38年間生きた山田哲也と、この世界で7才になるリコ。すでに二つの意識は統合されている。しかし、まだ自我をあまり確立できていなかった幼きリコという人格は、山田哲也というアラフォーおっさんの人格にあっさりと取り込まれていた。


「つまるところ、どういうことだってばよ……」


 俺は誰に問うでもなく、自問自答する。だが、答えてくれる者はどこにもいない。しかし――


――ごめんなさい、リコ。でもね、この世界にはきっと救いもあるわ。だから……生きて。お母さんは先に天国へいってしまうけど、ゆるしてね……。


 リコの母親が言った、最後の言葉を思い出す。しかし、その思いもむなしく如何しようもない現実に少女は打ちひしがれ諦めてしまっていた。……だが、今は違う。山田哲也という前世を思い出した。そんなリコが、ここにはいる。


「大丈夫だよ、お母さん。リコは……しっかり、生きるから」


 この胸の苦しみはリコのものだろうか。それとも山田哲也のものか。だが、そんなことは関係なかった。なぜなら、既に二人は一つの存在なのだから。そして、俺は路地裏から空を見上げる。


「うわお……」


 そこには、夜空に燦然と輝く二つの月があった。それは、もはやこの場所が地球ではないということを示している。リコとしての記憶にはあったが、山田哲也の前世を思い出した今では初めての光景だ。


「月が二つ、消えない空……か」


 それは、有り得ないことではなかったのだろう。現に、今こうして俺の目の前にある。


「行こう、リコ」


 今生にて己の体となった、リコという名の少女。同一存在といっても、その折り合いが今はまだ難しい。だが、山田哲也はあのとき確かに死んだ。そして、リコという少女は今も生きている。この世界で母から託された痛切なる願いを、いい大人である山田哲也の精神は決して無下に出来る筈はなかった。


「さあて、鬼がでるか蛇がでるか」


 気怠さを宿した体を引きずりながら、それでも俺は歯を食いしばり立ち上がる。アラフォーのおっさんでもない小さな少女が、こんな薄汚れた場所で野垂れ死んで良い訳はないのだから。




「ふわあ、よく寝たなあ。でも、随分昔の夢見ちゃったなあ」


 俺はベッドから身を起こし、大きく伸びをする。そのベッドは最高級品で、包み込むような抱擁が眠りを促進し過ぎるきらいがある。この妖精の羽をふんだんに使ったというベッドは、知人にプレゼントされたものを使用している。しかし、今はこのベッドが持つ蠱惑的な性能に少し慄きながら眠りについている。なんでも、このベッドを使用しているのは俺たち以外だと王族しかいないとのことだ。……恐ろしい。


 俺はベッドから降りると化粧台へ向かう。そして鏡を見ると、目の前にはとんでもない美少女がいた。肩まで伸びた髪はキラキラと粒子を放つかのように輝く銀髪で、肌は純白で白磁のようになめらか。瞳は美しいアメジストによって作られた花のようで、触れれば折れてしまいそうなほっそりとした肢体。そこには、まるで妖精のような少女が鏡に映っていた。前世の山田哲也という人間は、お世辞にも外見が優れているというタイプではなかった。そんな俺は、いまだに今生の自分を鏡で見るとドキドキしてしまう。それぐらいに、リコという少女の容貌は突出していた。


「おはよう、リコ」


 人格が統合された同一人物と言え、未だに俺はリコという少女を自分だと思えていない。だが、もしリコが俺という前世を思い出さなければ、例えこの特殊な眼があったとしても過酷なスラムで息絶えていただろう。そこで出会った家族と共に生き抜いてきた俺には、それがはっきりと想像できた。


「そろそろ、皆に朝ご飯を作らないとね」


 自分とは次元の違う、冠絶した能力を持つ俺の家族たち。それでも自分を慕い、ついてきてくれている。その期待には、自分が最大限出来うる事をして応えてあげたかった。


「じゃあ、今日もいこうか」


 俺は女の子としてのリコに恥をかかせないよう整容をしっかり済ませると、鏡の中の自分に微笑みかける。そして大切な家族のために朝食を作るべく、自室のドアを威勢よく開いた。


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