第三話【そこから巡りだす】(2/3)
「あなたには、当然それでしょう」
遠き喧騒の中で、マイク越しのその声だけがクリアに響く。
恐る恐る、柄を握った。……握ることができた。確かな硬さが手のひらに伝わるのは、スーツの機能なのだろう。さらに最先端のテクノロジーは、重さまでもを生み出す。仁が抜いた刀は、竹刀よりも少しだけ重い。なだらかに反り返った刀身が、黄緑色に煌めいている。
(まてよ……なぜ黒須は、俺が剣道部だったことを……)
「それじゃ、早速」
優が筐体に触れた瞬間、視界の上部にゲージが二つ、それぞれ左右に現れた。ライフゲージは、各々の武器と同じ色をしている。それらの下には、『黒須優』と『GUEST』の文字。
(本名で登録してるのか……? こういうのって普通、ハンドルネームとかじゃ……)
「さ、構えて」
優が薙刀を仁へと向けた。その構えは薙刀特有のものだ。相手と真正面で向き合う剣道とは違い、彼女は半身、つまり身体を九十度横に向けて左側面を仁へと見せている。薙刀の後端ではなく、ある程度真ん中に近い位置を握るため、柄の余りの部分は仁とは反対の方向に伸びている。腰の高さで手にした二メートル超の武器は、地面とほぼ水平に伸展。その先端で刃先が橙に光る。
立ち姿の凛々しさに見とれる間もなく、仁の眼前にまた新たな文字が現れた。視野の中心からやや上に『READY?』と。そして、そのすぐ下――つまり視界のど真ん中に、でかでかと表示された数字が『10』から一つずつ減っていく。
「え、いや、待っ……」
戸惑いも虚しく、カウントダウンは止まらない。目前の敵が、唇の端を釣り上げる。瞳の漆黒は輝きを増した。
(やるしか、ないのか)
残り三秒に迫ったところで、仁はようやく武器を両手で握った。深く息を吸い、ゆっくりと吐く。剣道の試合のときと同じように。
……同じ、ではなかった。
(これで、斬るのか、黒須を……)
手にしたそれは、竹刀ではない。全長一メートルの真剣だ。機械が生み出した幻想だが、掌に伝わる質感は本物だ。動揺したところで、ゲームが彼の気持ちを汲んでくれるはずもない。時は予定通り刻まれる。
『1』の次は『0』ではなく『FIGHT!』だった。
観衆の声が高まる。ヘッドセットに塞がれた耳にも、はっきり届くほどに。
心を決めようと、仁は獲物の柄を強く握り込んだ。しかし、それが余計に手にしたものを実感する結果となる。重さ、質感の精巧さが、黄緑色に光る刃の違和感を凌駕する。これは、人を殺めるものだ。しかも、相手はクラスメイト。
わずかに息を呑んだ、その逡巡が命取り。凶器を持つのは相手も同様で、しかし彼女には覚悟があったのだから。
(来た……!)
優の刃がすぐそこに。とにかく防ごうと、剣道の要領で弾こうとした。それすらも、ここでは悪手。
斜めに振り下ろされた斬撃は、仁の見立てより下に潜り、彼の持つ刀身をすり抜ける。
世界が傾く。否、傾いたのは身体だ。直後、左の脛に痛みが走った。
「……ッ!」
片膝をつかされ、思わずヘッドセットを無理やり外す。斬り付けられた部分を確認するが、スーツには傷ひとつない。
「どうしたの? そんなものじゃないはず!」
ゲーム映像を放棄した今の仁には、ヘッドセットに覆われた彼女の表情は分からない。所持する武器も見えなくなった。なのに、その殺気だけは全身に伝わる。
にじり寄る彼女に、かつての強敵の姿が重なった。蘇るは、敗北の記憶。仁はヘッドセットを手にしたまま立ち上がり、後ずさる。頭の中に、懐かしい言葉が響いた。
――いいか、仁。勝てないって分かってんなら、剣なんか捨てて逃げちまえ。
声に導かれるまま何歩か距離をとったあたりで、何かにぶつかって阻まれた。慌てて振り返るが、そこは何もない空間だ。見えない壁が彼を逃がさず閉じ込めている。
「無理。試合中は場外に出られないの忘れたの?」
優も彼の様子に違和感を覚えたよう。ヘッドセットを外した彼女の顔には、困ったような色が浮かんでいる。
「ねぇクロちゃん。もしかして……」
仁の背中越しに呼びかけたのは店長だ。彼は見えない壁に阻まれることなく、汗だくの仁にタオルを差し出す。
「ジンくん、アラームズのこと全然知らないんじゃない?」
「え……」
指摘を受けた優の顔が凍りついたかと思うと、徐々に血の気が引いていく。
「……でも、そんなこと……一言も…………」
「おいおい、クロちゃん、またいつもの早とちりかよ~?」
「でも珍しいわね。高校生はみんなやってると思ってたけれど」
「気にすんなよ坊主! ほんとはみんな練習モードからやるんだからよ!」
常連客らしき人たちが店長に続いてヤジを飛ばした。優はやがて、目を閉じて息を飲み込んでから、
「……青崎くん……まさか、ほんまに、そうなん?」
「あぁ、一応……」
「……! ご、ごめんなさい! 確認もせんと、私、勝手に突っ走って……」
千切れんばかりの勢いで、深く頭を下げた。数秒の後に頭をあげた彼女だが、目は依然として伏せられたまま。
彼女に本当のことを告げるべきだと、仁とて理解はしていた。こうなったのは彼女のせいではない。このゲームを知らないと伝える機会は何度もあったはずで、黙っていたのは彼自身なのだ。彼女が勘違いするのも当然のこと。
……なのに、言葉が出ない。本心を認めるのが怖かった。
「あぁ……なんでいつもこうなんやろ……」
「黒須……あのさ……」
「ほんまに……ごめん。今日は……もう終わりにしましょう」
「…………あぁ」
今日は、と彼女は言ったが、仁がここを訪れることは二度とないだろう。諦め顔の彼女も、そのことは薄々感じているはずだ。それでも構わないと、首元のファスナーに手をかけ下ろそうとした。