第三話【そこから巡りだす】(1/3)
アラームズセンター星ヶ谷の地下フロアは、異様なほどの熱気に包まれていた。その中心に、黒須優がいる。ひとたび彼女が武具を振るえば群集は沸き、手を止まれば息を飲む。タクトひとつでオーケストラを操る指揮者のように。
宴の中、仁はただひとり棒立ちを決め込んでいる。震える指先を握り抑えながら、誰にも気づかれないように生唾を飲み込んだ。
「お、いたいた! 探したぜー!」
「……! テツオ!」
肩を叩かれ振り返ると、不満顔の親友がいた。肩で息をしているのは、仁たちを探し回っていたせいだろう。
「あー、すまん。お前のこと忘れてたわ」
「おい! ……まぁ、いいけど」
哲夫は冗談まじりに仁の脳天にチョップを見舞う。それから、数分前の仁と同じく地下フロアの盛り上がりに舌を巻いた。
その驚きっぷりに気をよくしたのが、この店の主だ。得意げにもらした鼻息が、その下の口ひげを躍らせた。
「ふっふっふ、凄いだろ?」
「誰だおっさん?」
「君もクロちゃんの友達かい?」
「クロちゃん? ……って、あぁ。黒須か」
訝しげな哲夫に、彼が店長であると伝える。そこで、自分も店長に名乗ってなかったと今更ながらに気づき、自分たちの名前と、ここにくるまでの経緯を告げた。
「あの子、毎日ひとりでここに来るから、まだ友達いないんだと思ってたよ」
「そんなことないっすよ。クラスではうまくやってますし」
「そうなんだ。おじちゃんちょっと安心!」
小太りの中年が、淑女のように目をつむり両手を胸の前で重ねる。正直、かなり気持ち悪かったのだが、仁は苦心の末にその言葉を飲み込んだ。いくら気の優しいおじさんといえども、さすがに初対面の相手にそこまで言うのは失礼というもの。
「店長、すっげー気持ち悪いっすね!」
「テツオくん、ハッキリ言うね。……ところでさ、君たちもやりにきたんだろ、アラームズ」
「え……いやぁ、俺は……」
哲夫が苦笑いを浮かべた、そのとき。ひときわ大きな声の奔流が、彼らを飲み込む。仰ぎ見たモニターに映るのは、背筋を伸ばして立つ女子高生と、傍らに倒れる男。
画面上部のゲージは両者のライフポイントだろう。空になっているのが敗者のものならば、八割ほど残っているのが彼女のものということになる。
圧勝だ。未経験の仁にも分かるほど。
「すっげえな黒須……」
「ね、君たちもどうだい? クロちゃんが連れてきたってことは、相当デキるんでしょ?」
「いや、店長……」
ショーウインドーのトランペットを眺める子供のような、無垢な眼差しを向ける店長。
なんと断ろう、と慎重に言葉を選ぶ仁の元へ、琴の音にも似た声が喝采の合間を縫って響いた。
「青崎くん!」
琴弦の調べは人の波を掻き分け、ひとつの道をつくりだす。その先で、黒いスーツを着た少女が、仁へと拳を突き出していた。……違う。モニターの拡張現実を見て、仁は気づく。彼女は手にした武器の、そのオレンジ色の刃先を突き出しているのだ。
戦いを、挑んでいた。
第三話【そこから巡りだす】
彼女が仁をここに誘ったのは、彼と戦うため。それを知った仁はというと、断るための言い訳を探していた。
「いや……俺は……」
「よっし、やってやろうじゃん!」
後ずさろうとした仁の背中に、触れる手が。抗議の声を上げる間もなく、哲夫が彼をガチフィールドなる場所へと押し進め始めた。
「ほら、行くぞ!」
「行くぞってお前、だって……」
「もっちろん、ジンがやるんだよ!」
背中を押されるままに、たたらを踏んで進む。地下室の女王はヘッドセットを脱いで、にこりと彼らを迎えた。それは、昼休みの教室で浮かべた相好と同じもののはず。だが、仁を見定める瞳中の黒には、ひどく暴力的だとも思える輝きが宿っていた。
「青崎くん、アプリに設定保存してる?」
「え? いや……」
「それじゃ……今日はゲスト設定でいいよね。今から登録するの手間だし……それから、Mサイズのレンタルスーツ用意してるわよ」
筐体を操作しながらスポーツバッグを指差す優。すぐさま哲夫が歩み寄り、中のヘッドセットとスーツ一式を仁に届ける。
「とりあえず、着けるだけ着けてみろって」
哲夫が嬉しそうに促す。仁の中では相反する感情がせめぎ合っていたが、結局友人に流されるまま、差し出された器具を受け取った。
最初に手にしたヘッドセットはドーナッツのような形で、目と耳をぐるりと覆うつくりだ。右耳部分から口元に向けて突起が伸びているが、目を凝らすと、そこには声を拾うためのマイクが内蔵されていた。
帽子を被るようにして装着する。表示されたガイドに従って後頭部のボタンを押すと、内部のクッション素材が頭の形に沿うようにせり出し、自動でサイズが調整された。
(……軽い)
気を抜くと、その存在すら忘れてしまうほどだ。顔を向けた先の景色を眼前に映してくれるため、視界も装着前と全く同じものが得られている。変わったことといえば、周りの音が多少聞こえづらくなったくらいだ。
その技術に感心しつつ、仁は制服のジャケットを脱いで哲夫に預けた。代わりに渡されたスーツは上下一体で、胸部や関節部などにプロテクターのような厚みがある。レーサーなどが着用するものに近い。四肢をスーツに通し、一緒に受け取ったグローブを嵌める。手を何度か握っては開くが、こちらも素手のときと変わらぬ感覚のままだ。
専用のシューズに履きかえ、腹部から首下までファスナーをあげて……またも驚く。指先だけではない。もはや五体のどこにもスーツを感じることはできなかった。下半身に至っては、制服のスラックスの上から着用していたのにも関わらず、だ。
「視力矯正も必要ないみたいだし……。これで準備完了、ね」
声のした方――正確には耳元のスピーカーから流れているようだが――を見る。制服姿の優がいた。手には薙刀。
これがヘッドセットの効果か。仁の目の前には、モニターで流れていたのと同じ拡張世界が広がっている。
「服装も未設定だけど我慢してね」
そう言われ、自分の装いを確認する。無地の白シャツに制服のスラックス。スーツの中に着ている格好そのままだ。現在彼女が着用しているセーラー服は、事前に設定した拡張現実内でのコスチューム、ということらしい。未設定の状態なら、仁のようにスーツ内の服装が、そのまま反映されるというわけだ。
「それと……ほら」
優が仁の腰元を指差す。そこに手をやり、さらなる衝撃に瞠目した。鞘に刀が収められている。それは、かつて剣道部で使っていたような竹刀ではない。存在しないはずの日本刀が彼の世界に紛れ込み、静かに使い手を待っていた。