紅石ナイフ
N2000年10月はじめ。アンジェラとドロシーは再び吸血鬼案件の任務を完了させる。
「すごいじゃないか。このところ失敗がない。さすがだよ。」
アンジェラから報告書を受け取ったヨハネは言った。
「改造吸血鬼の案件から離脱が多かったのだけど、君たちがいるおかげでどうにか少数精鋭の状態でとどまっている。感謝しているよ。」
と、続けるヨハネ。彼の言う通り鮮血の夜明団本部でさえ離脱に次ぐ離脱で人数が不足している。現在はアンジェラとドロシー、入りたてのメンバーを含めて現役のメンバーは15人。複数で遂行すべき任務も多く、人手が足りているとはいいがたい。
「ありがとうございます。私たちもこれからですので。絶対にカナリア師匠ように強くなります。」
アンジェラとドロシーは報告を済ませて外に出た。10月にもなり、秋の涼しい風が彼女たちの頬を優しく撫でる。
「物騒よね。最近は吸血鬼関連の事件も多いみたいだし。」
他愛のない会話をするつもりでアンジェラは言った。
「ええ。吸血犬のこともある。でも、3年前はこんなに多かった?」
その言葉はアンジェラの心を打つことになる。3年前、アンジェラはドロシーと初めてコンビを組んだ。親友とコンビを組めることが何よりうれしくて、仕事を楽しいと思っていた頃だ。当時はもっと人数は多くて……。
「……さあ。私にもわからない。だけど、関係のない人々が犠牲になるのは見ていられない。」
これはいつものアンジェラ。ドロシーから見たアンジェラは多少汚い手段に出ようとも本心では人間を愛している、そのように見える。ドロシーはアンジェラの姿を彼女なりの正義感ゆえのものだと認識していた。今日の吸血鬼による事件におけるアンジェラの姿も。
「そうよね。私もそう思う。でも、アンジェラは倒される吸血鬼の姿を見て何を思った?」
ドロシーは恐る恐るアンジェラに尋ねた。
「特に、何も思わなかったわ。だって、吸血鬼は私たちの敵でしょう?」
「……そう。」
ドロシーは心の中でくすぶる、やり場のない思いを抱えていた。それはアンジェラを試したい思い。アンジェラとドロシーは親友だ。しかし、ドロシーは家庭の事情などをアンジェラに話せないでいた。そんな中、ドロシーの心は確実に蝕まれていた。
こうして、やり場のない思いを抱えたドロシーは帰宅する。
「ただいま。」
ドロシーは力なく言った。今日はいないだろうか、とドロシーは安心しきっていた。
「帰ってきたか、ドロシー。少し血を抜かせてくれないか?新しい助手が来てくれないんだよ。」
研究部屋を出てきたデンホルムは言った。どうせドロシーに拒否権はない。こいつから解放されてアンジェラとともに魔物ハンターの仕事に熱中できるならそれが理想だが。
ドロシーはだまってデンホルムについていき、研究部屋に入った。フラスコ、注射器、ビーカー、試験管などの実験器具が置かれている。その近くにある紅い石は何だ。鮮血のように赤く、刃のように鋭い。これがもし本物ならば紅石ナイフ。人を吸血鬼に変えるアイテムだ。
「少し待っているんだ。入れ物がなかったからね。」
デンホルムはドロシーから目を離した。このときドロシーに危険な好奇心が生まれる。この物体が紅石ナイフだったら?自分が吸血鬼になったらこの父親を殺せるかもしれない。この父親から解放されるかもしれない。だがアンジェラは?アンジェラは吸血鬼を激しく嫌う。それでもドロシーならば別かもしれない。そうだと信じたい。
ドロシーはそっと手を伸ばし、紅い石を手に取った。
迷いはふっきれた。ドロシーは人間をやめる覚悟ができた。手首に突き立てた刃を引く。血の中に入り込む「なにか」。それはドロシーの本能と隠されていた感情を刺激する。熱い。血液が逆流するような感覚を体の中から得ることができる。その感覚はあまりにも過激で、ドロシーの理性さえ消し飛ばす。
「ドロシー……!まさかナイフを使ったのか!おまえは人間ではいられなくなるのだぞ!」
ドロシーと目が合ってデンホルムはうろたえた。
「ふふふふふ……お父様、私はもう人間じゃない。きっとあなたを振り切ることもできる。この時を待っていたわ。」
ドロシーは近くにあった箒を振り上げる。
「何をする!お前は……!」
ゴシャッ!鈍い音を立ててデンホルムの頭蓋骨は大きく損傷する。そこから流れる血。デンホルムは即死。ドロシーは恍惚の笑みを浮かべる。
だがここに邪魔者が一人。ドロシーの兄マシュー・フォースター。
「父さん!?お前が殺したのか……ドロシー。」
マシューは言った。
「見たのね。ただではおかない。あなたも死んでくれる?」
狂気に満ちた目。マシューは直感的にドロシーがかつての彼女ではないことを知る。彼女はすでに人間ではない。
ドロシーは一歩を踏みこみ、箒を振り上げてマシューの頭を殴打する。ゴシャッ!デンホルムと同じく倒れるマシュー。吸血鬼の腕力は伊達ではなく、一般的には非力といわれるドロシーが箒で人を殴っても人を殺せるくらい。ドロシーの手に人を殺した感触が残る。
「あとはお母様を殺しましょう。皆邪魔だったの。」
ドロシーはリビングルームに移動する。そこでくつろいでいた母親マリア・フォースター。やはり一撃。彼女も血を流して倒れる。
「アンジェラ、また会えるよね。」