第九十七話 新忍術
俺が目を覚ました時、必死になって俺を回復しようとしてくれているシェリナの横顔が目の前にあった。
正直驚いた。まさかシェリナにこんな力があったなんて。
回復魔法だろうか? 彼女の手から溢れる光は暖かくも心地よく、どこか母親の腕の中にいるような、そんな慈しみようなものさえ感じられる。
「……ありがとうなシェリナ」
『――ッ!?』
起き上がり、自然と彼女の頭に手が伸びた。一度だけだが軽く撫でると、驚いたような顔でシェリナが俺を見やる。
かと思えば――ボロボロと涙をこぼした。
「悪い、心配かけたな」
シェリナが首を、ブンブンっ、と左右に振る。銀色のどんぐり眼には涙が溜まり、まるでその部分が泉のようだ。
『良かったです、本当に――良かったです……』
随分と掠れた文字だ。シェリナの心を表しているようで、つまりそれだけ俺を心配してくれていたって事だな。
「――このお礼はどっかでしないとな。でも、その前に……」
顎を上げ窪みの上を確認する。クレーターは深さ三、四メートルってところか。半径も数メートル、五メートルはなさそうだな。
これならひとっ飛びで上がれるけど、そんな事を考えていたら、あれは、ネメアか? でも、なんで毛並みが白いんだ?
それが、空中に打ち上げられ、更にあの黒騎士の剣で叩きつけられたところだった。
あれはちょっとヤベェな。
「君のその回復の力、またすぐ頼りにすることになるかも知れない!」
『……え?』
石版の文字を一瞥した後、俺はすぐにネメアの落下地点を見極め、地面を蹴り上げる。
「ふぅ、あっぶねぇ、よく頑張ったな」
そして印を結び風遁で浮力を強め、落下途中のネメアを両手で受け止める。
ついでに風がクッションのように変化しているから、落下はゆっくりなものとなり――て、毛並みが元の金色に戻ってるな。
一体今のは何だったんだ?
「グルぅ……」
ネメアが俺に目を向けてか細く鳴いた。念話すら発せないほど消耗しているか。怪我も凄いな。全身血だらけで間違いなく重症だ。
とりあえずふわりと着地し、シェリナを一瞥する。
「貴様、まだ動けたのか――」
ふと、黒騎士の声が耳に届いたが今はそれどころじゃないな。
ふとみると、マイラが俺を見て目を白黒させていた。
「ぶ、無事だった、っすね……」
小さな声だが俺にははっきりと聞こえる。掠れた声だ。よほど不安だったのか、泣いていたような形跡も感じられる。
すると、ネメアの身体が縮み、子獅子ぐらいの大きさにまで変化した。
何も言っていないが、雰囲気で感じ取り力を振りしぼり変身したってわけか。
全く、お前も相当傷ついているだろうにな。
「悪いな心配かけて。色々話したりしたいけど、それどころじゃなさそうだ。だからマイラ、こいつ、ネメアというんだけどな、シェリナに回復させてもらってくれ」
これも、マイラにだけ聞こえるぐらいの声で伝える。マイラは一旦目を大きくさせた後。
「う、うん、あたし、何とかしたかったけど役に立てなくて、だから、せめてそれぐらいは……ごめんっす迷惑かけて、恩も返せなくて」
「ば~か」
しょげた声でそんなことを言うんだからな。全く。
「役に立ってないかなんて勝手に決めるな。お前がいたから俺がここまで回復できたって事もあんだよ。それでも不満だって言うなら、返せるときに返せ。恩返しなんてもんはそんなもんだ」
そして、じゃあ頼んだぞ、と小さくなったネメアを任せ、踵を返して再び黒騎士の前に戻った。
「さて、こっからはまた俺が相手だ。色々好き勝手やってくれたみたいだが、さっきまでのダメージを倍、いや百倍にでも千倍にでもして返すぜ」
「……まさか、私が無視されるとはな。気に入らない、だが、貴様、少し雰囲気が変わったか?」
「さぁな――」
直ぐ様接近、霧咲丸を抜き、まずは胴体を狙う。命中するが、相手にははなっから避ける気がない。
刃はめり込むが中に入り込むまではいかなかった。やはり固いか。
だが問題はない。既に印は結んでいる。
「雷刃――」
「ぬぅ!?」
バチンッ! と弾けたような感電の音。アインの顔が若干歪む。
霧咲丸に電撃を乗せた。これであれば、例え刃は通らなくても電撃が内側に走る。
「チッ、鬱陶しい技を」
あまり効いてはいない。こいつからしたら精々スタンガンを喰らった程度の感覚だろう。
そして、剣を振ってくる。かなり接近しているんだがお構いなしか。腕を折りたたんでコンパクトに振り抜くつもりだろう。
だが、まさかこんな単純な手に引っかかるとは思わなかったけどな。
「な、なんだと?」
漆黒の刃がソレを切り裂いた瞬間。まるで霧のように掻き消える。
正確には、俺の霧分身が崩れ、水へと変化し円状の泉のように地面に広がった。
上から見れば、地面に生まれた水の月のようだろう。
「合わせ忍術・陽炎稲妻水の月――」
空蝉の要領で、霧の分身を身代わりに立て、俺は既に黒騎士の背後を取っていた。この忍術は霧空蝉を利用し雷遁を組み合わせている。
霧空蝉は空蝉の術を霧の分身で行う忍術。ただ分身を出すだけなら霧分身だけどな、影分身とは異なり相手を惑わすことに特化している。
俺の声を聞き、弾けたようにアインが俺を振り向こうとするが、それよりも早く術が完成し、地面に生まれた泉から稲妻が迸り、水の中を四方八方に駆け巡り、黒騎士の全身すらも蹂躙する。
「ぐぬぅううぅううう!」
鎧からか、その内側の肌からか、とにかく煙が上がり、焦げた跡のようなすえた臭い。
アインの顔に血管が浮かび上がり、強く歯牙を噛み合わせ耐えていた。
この術を耐えきるのは賞賛に値する。だけど、それは十分想定内だ。
「霧遁・【呑雲吐霧】!」
文字通り雲を吸い込むかのごとく大きく息を吸い込み、そして黒騎士に向けて濃霧を吐き出す。
そしてこれこそが、ご先祖様と思念を同化させたことで会得した忍術。霧隠才蔵が得意としていた霧遁だ。
「くっ、なんだこれは――」
そして、俺が吐き出した濃霧は黒騎士に纏わりつき、全身を包み込む雲のように変化していく。
霧は当然空気よりも比重が大きいので、まとわりついた相手の動きを阻害するのに一役買ってくれる。
おまけにあの霧は藻掻けば藻掻くほど比重が増すのでより重みも増す。
相手の動きを封じるものでは時空遁の超重圧もそうだが、あれは効果が続いている間は他の忍術が使用できないという欠点がある。
その点、この忍術であれば決まった後も他の忍術も使用ができる。
ただ、どちらにも長所と短所はある。この呑雲吐霧の短所は、吐き出してからの届くまでの速度が若干遅いこと。
その為、普通に行使しても、見てからでも避けられる可能性がある。だからこそ俺はまず陽炎稲妻水の月で相手の動きを止めた。
それに超重圧のような即効性はない。あの忍術は重力さえ決まればすぐに相手に降りかかるからな。それに発動すると効果が及ぶまで一瞬だ。
ただ、霧のこれは相手に直接纏わりつくので、当てることさえ出来れば暫く逃れることは難しい。重みの掛かる方向も一点だけというわけではないので、鬱陶しさではこっちのほうが上だろうな。
そして何より重要なのは――
「影分身の術――」
俺は分身を三体出現させ、そして黒騎士を中心に四散し分かれた。
全員刀を持っているが、霧咲丸は俺だけ、他の三体は武遁でつくりだしたもの。
だが、それでも問題はない。あくまで忍術行使の為に生み出した分身だからな。
「貴様、何をするつもりだ――」
「決まっている、これで決めてやる――紫電一閃・罰!」
俺と分身の刀から紫色の雷光が迸る。そして同時に動き出し、互いにクロスするように同時に紫電一閃を決めた。
そう、まるでバツの字を描くように。衝撃で黒騎士は呻き声を上げながら真上に吹っ飛んでいく。
やはり、威力が上がったか。影分身を組み合わせた紫電一閃なのも勿論だが、事前に霧を纏わせていたのが大きい。
何故なら、霧というのは結局のところ無数の細かい水滴の集合体だ。
つまり霧は水と等しく、雷をよく通す。その分当然威力は増幅される。
だからこそ、前もって呑雲吐霧で霧をまとわり付かせておいたってわけだ。
そして、黒騎士が勢い良く地面に落下する。かなりのダメージを受けているのは目に見えてわかるし、これは、やったか――




