第九十四話 パーフェクトボクサー
「最速だと? 一番、速いだと? ふざけるな! そんなもので、そんなもので僕の技が破れるわけがあってたまるか! だいたい、速いだけのパンチがここまで効くなんて事は!」
「……そのとおりだ。確かにボクサーのジャブは速い。だが、こと威力に関して言えばそれ一発でマットに沈められるほどではない。だが、カウンターとなれば話は別だ」
ケントの話に、白騎士の目が見開かれる。
「カウンターだと?」
「……そうだ。そして、お前の技は一分の隙もなく、完璧に近かった。だからこそ、それが結果的に俺のカウンターが完璧と言っていいタイミングで入る結果に繋がった」
「へ? ちょ、ちょっと待ちなよあんた。さっきから聞いてると技って、じゃあ、その剣がこいつの本体なんじゃないのかい?」
「……その考えは、確かに俺も最初思った事。だが、だとするならあの時わざわざこの白騎士が剣を呼び寄せた意味がわからない。ごまかすためなら、ピンクが覗きに行った時点で姿を見せたほうが自然だったわけだしな」
あ、とバーバラが漏らす。確かにあの時、この白騎士は森の奥から姿を見せ、剣を手元に戻していた。
シノブの分身が自爆した位置を考えると、かなり不自然と言えるだろう。
「……つまり、この白騎士のやってることそのものは至極単純ってことだ。はっきりといえば分身の中で本体は一人、それが真相だ」
「ちょ、ちょっと待って。あたいはわけがわからないよ。だって、それだとおかしいじゃないか。だって、現にこいつの攻撃は二号に命中していたのに、あんたの攻撃は当たっていなかっただろ?」
「……その通り。だから、これは至極単純な答え。つまり、この白騎士は分身と本体を高速で自由に入れ替えることが出来る」
白騎士が歯牙を噛みしめケントを睨めつけた。その眼は、ケントの推察が正しいことを、口ほどに物語っていた。
「そ、そんな事だったのかい……確かに単純だけど、とんでもないね。でも、よくそこに気がついたね」
「……あいつの残してくれたヒントのおかげだ。自爆した結果、剣だけが残された。これはつまり、剣は本物だということの証明。そして、剣は残しながらも白騎士本人はその場から離れた。それはあいつが筋肉を締めた結果、どうしても剣だけは抜けなかったから。つまり、それでも逃げざるを得なかったのは剣の持ち主も本体だから……」
ケントがしっかりと白騎士を見据え、更に続けた。
「……もっといえば、こいつの攻撃。どれだけ分身をだしても、すべての攻撃を同時に仕掛けてくることはなかった。つまり、一度に実体化出来たのは常に一人分、俺が受けたすれ違いざまの一撃すら、微妙にタイミングがずれていた。そこまで判れば、後は簡単だ」
なるほどね、と白騎士が発し、憎々しげにケントを睨めつけながら、でも、と繋ぎ。
「例えそれが判っても、僕に攻撃を当てることなんて、本来不可能なはずなんだけどな。ましてや、顔なんて、屈辱だよ。僕の人生において、顔に傷をつけられたのは初めてのことだからね」
「……行儀の悪い子には躾が必要だ。それに、さっきも言っただろう? 確かにお前は高速で本体と分身を自由に入れ替える。だから、攻撃を受けてから届くパンチじゃ絶対に届かない。だが、攻撃を受けると同時に当たるパンチなら話は別だ。そして、それこそが最速のジャブによるカウンター……これならば入れ替わる隙も与えずに、拳は届く」
「――クククッ、ハハッ、ア~ッハッハッハッハッハ!」
ケントが話し終えると、突如白騎士が大声を上げて笑いだした。
なんだいなんだい? とバーバラも眼を丸くさせる。
「ハハッ、本当に、救いようのない馬鹿だな君は!」
「……馬鹿?」
「あぁそうさ! 全く、わざわざそれを得意げにまだ戦っている最中の敵に聞かせるのだからね! まさかそれを聞いて、まだ僕が同じ戦法で挑むとでも思っているのかい?」
「……思わないな。よほどの馬鹿でなきゃ、手は変えてくるだろう」
「それをわかっていながら、べらべらと随分と饒舌に話してくれたものだね。てっきり君はもう少し寡黙な方だと思っていたよ」
すると、ケントが、ふぅ、と一つ息を吐きだし。
「……わざとだよ」
「――は?」
「……だから、わざとだ。俺は、お前を完膚無きまでに叩きのめすと決めた。ならば、こういった事は素直に教えてやったほうがいい。お前みたいなタイプは、この状況でやられたらより屈辱的だろう?」
片手を軽く振り上げながら、余裕の笑みを浮かべケントが言いのける。
白騎士の蟀谷には血管が浮かび上がっており、その顔は既に怒りに満ちていた。
「――あまり調子にのるなよ餓鬼が! この美しい顔に傷をつけておきながら! のうのうと講釈垂れ流しやがって! だったら俺の完璧な技で、今すぐ葬ってやるよ!」
僕から俺に、その顔つきすらも豹変した白騎士が、ケントを中心に再びグルグルと回り始めた。
先程白騎士が見せた幻影輪牙、だが、その速さも分身の数も、最初に見せた時よりも遥かに向上している。
「この状態になればもう貴様に勝ち目はない! 俺は貴様の射程を完璧に把握している、そしてこの円は貴様の射程の外側を常に回っている! もう容赦はしない! 貴様には一切何もさせず、ズタズタにしてくれる!」
「……さて、それはどうかな?」
すると、ケントは一旦左手を若干前に出す形のオーソドックススタイルを解除し、かと思えば左足前から半身重視の右足前の構えにスイッチした。
「――なんだいそれは? トリッキーな真似をして撹乱しようというならとんだ悪あがきだ。確かに怒りで腸が煮えくり返りそうではあるけど、冷静さは失っていないからね!」
叫ぶと同時に四方八方から突きが乱れ飛ぶ。だが、ケントはそれを全て上半身の靭やかな動きだけで避けてみせた。
「……この構えはデトロイトスタイル、別名ヒットマンスタイルだ」
そしてケントは改めて白騎士に向けてそう語り、そしてガードを下げた右手を振り子のように左右に揺らした。
「……その名の通り、お前を仕留めるのにピッタリなのがこの構えだ。さっきみたいな舐めた攻撃などでなく、次は本気でやるんだな。そうでないと、次は間違いなくマットに沈む事になるぞ」
勿論この場にマットなど存在しないが、それだけ自信があるということを、ケントは伝えたかったのだろう。
「ふん、だったらお望み通りしてやるよ! 全方向からの高速の攻撃、しかも貴様の射程外からの攻撃だ! 手も足も出ずにお前は終わるのさ!」
「……お前には、土台無理な話だと思うがな」
「黙れ! 死ねェエエエエェエエエ!」
白騎士がまるで野獣のように叫び声を上げ、そして宣言通り、回転する分身たちから連続的に突きが放たれる。
これではまさにケントは檻に入れられた獣。対応できるはずがない、とそう思えたが――
「え? 二号が、回転してる!」
「ば、馬鹿な!」
そう、回転していた。二号もといケントが、まるで独楽のようにその場で高速回転してみせた。
そう、こうすることで事実上、ケントに死角はなくなる。
しかも、ケントが回転すると同時に、その場に鳴り響く破裂音。そして、高速で乱れ飛ぶ長い影――それはなんと、ケントの右のジャブであった。
ケントの身体は柔らかい。しかも腕に関していえば類稀なる靭やかさも併せ持っている。
その腕で、振り子のように左右に腕を振った状態から発せられた、その拳は、まるで鞭のごとく。
本来この体勢から繰り出されるパンチと言えば、フリッカージャブという名称で知られているが、ケントのジャブは、その靭やかな腕によって鞭のような複雑な軌道で相手に迫る。
それ故に会長が命名した、ウィップジャブ。その拳が白騎士の突きに合わせて乱れ飛び、なんと全弾がカウンターで白騎士の顔にヒットした。
しかも今回は、全ての突きを躱した上である。
「グハァアアァアアァ!」
再び吹き飛ぶ白騎士。そして地面を滑り鎧との摩擦で擦過音を残す。
「す、凄い、何だい今のは?」
「……これが、ボクシングだ」
その壮絶さに、バーバラが唖然となって疑問の声を発する。
それにケントが答えるが、バーバラは完全には理解できていない事だろう。
「ぐっ、ぐおぉおおおおおお!」
だが、白騎士もなかなかしぶとい、再び立ち上がり、そしてケントを睨めつけた。
「……テンカウント前に立ったか。流石に中々やるな」
「だ、だまれ。くそが! 大体何でだ! 俺は、完全に間合いを見切っていた! それなのに!」
「……なら、その眼でよくみるんだな」
すると、ケントが構えを解き、正面を向いた状態でダランっと両腕を垂らした。
それに一体何の意味が? と白騎士が目を凝らすが。
「――あ、あぁ! あぁあぁあ! そうか貴様! 右腕のほうが!」
「……気づいたか。そうだ、俺は右腕の方が拳一個分長い」
その言葉に、白騎士は顔を歪めた。トリックを知り、悔しくて仕方がないといったところなのだろう。
そしてこれもまたケントの作戦であった。ケントは両利きのボクサーだ。故に本来右でも左でもいける。だからこそのスイッチボクサーである。
だが、それでも本来は左手を振り子にして攻めることが多いデトロイトスタイルにおいて、敢えて逆の右でいっているのはこの拳一個分のリーチの差を十全に活かすためである。
しかも、ケントは前半、オーソドックススタイルの左前で攻めていた。故に当然放たれるジャブは左のジャブとなる。
それを、予めしっかりと白騎士に見せていたおかげで、白騎士はケントのリーチをこの左ジャブ基準で考えてしまった。
そこでスイッチしての振り子からのリーチの違う右ジャブ。しかもこのスタイルから放たれるジャブは、肩が入る分より伸びる。
その齟齬が、白騎士の感覚を狂わせ、本来絶対に当たらないと思いこんでいたパンチを見事に喰らってしまうといった事態に陥ってしまったのである。
「……正直、お前が優秀で助かった。優秀故に、お前はギリギリの範囲を見極め、技を見せてくれたからな」
「ぐ、ぐぅ! だが、だがそこまでだ! 仕掛けさえ判れば、もうその攻撃は意味をなさない!」
「……無理だな。自分の足を確認してみろ」
「足、だと?」
ケントに言われ、己の足を確認する白騎士。直後、はぁあぁ!? と驚愕。
白騎士の両足は――震えていた。ガクガクと。勿論恐怖から、などではなく。
「……いくらジャブでも、喰らい続ければ足に来る。今のお前の状態がまさにそれだ。機動力が売りのお前が、その脚を失ったんだ。後は判るな?」
「ぐ、ぐぁあああぁあああ! 畜生! 畜生がぁああぁ!」
両足を殴りつけ、悔しそうに叫び上げる。
だが、一度蓄積されたダメージはそう簡単には回復しない。
「まだだ、まだ、僕は負けていない!」
しかし、白騎士は諦めが悪かった。奥から分身が姿を見せる。この白騎士、森に常に分身を潜めていたようだ。
だからこそ、分身が全て消されたような状況でも、また姿を見せることが出来たのだろう。
そして、ふと本体が消え、分身のいた位置に白騎士が現れる。
「……分身はどうした?」
「もう必要ないさ。あれで、結構オーラも体力も使う。だから、僕はもう分身に頼ること無くお前を倒す! 喰らえ!」
刹那、白騎士がその場で突きの連打を見せる。
彼我の距離を一旦離した上での行動だ。当然、普通に考えれば攻撃など届くはずがない。
だが――
「……むぅ」
「あ、そ、そんな!」
そう、攻撃は届いた。しかも白騎士の連射する全ての突きが、弾幕のごとくケントに迫る。
「あはははははっ! どうだ! 僕の突きは風も味方にする! 貴様が最速といったパンチのように、僕も最速の突きを持っている! しかもこの突きは風を味方につけ、遠く離れた相手を射抜くのさ!」
思わずケントがガードを固めるが、突きの洗礼は容赦なくその身に降り注ぎ、ケントの身体に無数の傷痕を残していく。
「くそ! だったらあたいが!」
「……まて、こいつは俺がやる。そう、決めたんだ」
バーバラが斧を構え加勢の意志を見せたが、ケントによって阻止された。
「でも、あんた……」
「……大丈夫だ。こいつは、自ら墓穴をほっているんだ。もうこんなつまらない技にしか頼ることが出来ないと言ってるようなもんなのさ。こんな軽い突きに頼るしか出来ないなんて、なさけないぜ」
「言ってろ! 軽かろうが、数を重ねれば分厚い城壁だって崩す! お前は今度こそ、僕の突きで死ぬんだよ!」
「……壁を、壊すか――」
ケントは一つ思い出していた。あれはまだ、ケントが地球にいたころ。
ひょんなことからシノブと一緒にクロウの組織という謎の集団に狙われ、そして厚さ三十センチの鉄板で出来た箱の中に閉じ込められてしまった。
正直、三十センチが鉄板か? といった思いはあったが、鴉のお面をした集団のボスらしき男が。
『どうだ! 特注の厚さ三十センチの鉄板で作った箱だ! 上下左右全てを鉄板で覆ったこの中から、抜け出す手段などあるまい!』
などと得意げに語っていたので納得するしかなかったわけだが。
とにかく、その鉄板の箱からどう切り抜けるか。それが問題だった。今思えば、組織の狙いはシノブであり、ケントは巻き込まれただけであろうが――
そしてシノブはシノブで、ケントに何か言おうとしていた気配もあった。おそらくあの時、自分が忍者だと告白しようとしていたのだろう。
だが、その時、どういうわけかケントは自分ならこの厚さ三十センチの鉄板を貫けるんじゃないか――そんな気がしてしまった。
そして、回転を加えたケントの拳は見事厚さ三十センチの鉄板を貫き――事なきを得た。
その後、ケントのパンチは会長によってドリルブローと命名されることとなったわけだが。
しかし、そのときに見せたパンチは、実はあれから一度たりとも再現できていなかった。
正直、この異世界に来てから一度、あの迷宮攻略で壁に出現した魔物を打破するために放ったパンチが最もそれに近かったが、それでもまだ足りない、そんな気がしてならなかった。
だからこそ、ケントは思う。今こそ、あの時のパンチを、真のドリルブローを見せるときだと。
突きの弾幕を一身に受けながら、ケントは腰溜めの構えを見せた。
そして、意識を集中させる。右手に、何やら熱いものを感じた。
そう、この感じだ。何かが身体の内側から溢れ、右手に宿るこの感覚。
そして――それを拳にありったけ乗せ、回転を加えて、思いっきり撃ち抜く!
ギュルルルルッ! とまさにドリルが高速回転するような異音がケントの耳に届き、かと思えば、目の前の地面も大気も、その全てが爆散したような感覚。
刺突の雨は、瞬時にして掻き消え、衝撃が帯となり、波動となり、白騎士の身体を――貫いた。
「――!?」
悲鳴も、呻き声も上げること叶わず。土手っ腹に風穴をあけた白騎士が大きく吹っ飛んでいった。地面を抉るように衝撃が伸長し、木々をなぎ倒し、風景が一変した。
そして――ケントが放った拳の先、拳を突き出したまま、固まるケント。
そこには既に白騎士の姿はない。テクニカルノックアウトどころの騒ぎではなかった。
まさに完膚無きまでの大勝利。
だが、その光景にケントは思わず呟いた。
「……やべぇ、やりすぎた」