第八十八話 分身とネメア
全く今回は忙しすぎたな。俺は並走するネメアを見ながら昨晩までの仕事を思い起こしていた。
尤も、本体は本体で迷宮に落とされたり、その先で巨人を相手にして倒したらご先祖様の残した刀を見つけてみたり、ダンジョンマスターにあって、その後、一緒に落ちてきたマイラとちょっとしたトラブル、的なラッキースケベ的なハプニングも乗り越えてみたりしたようだけどな。
うん、大変そうに見えてわりと充実してそうだな。それはそれとして、その間俺は俺でネメアの相手をして食事の用意をし、その合間にババアとのやり取りを続けて、隠蔽用の遺体を受け取り、更に本体の記憶を元に、三人分の着替えやら下着やらを購入してと、そんな事をすることになってしまった。
尤も本当なら用意するのは遺体が二体分の着替えも二人分だったんだけどな、急遽マイラの処刑が決まってしまい、それを助けるために一人分追加した形だ。
そして、俺達はそのマイラの処刑で本体が起こした騒ぎに便乗し、帝都を出て森を疾駆している。
目的は当然本体との合流だ。ネメアは勿論一緒に連れて行く必要があるしな。そのあたりはやはり飼い主になったものの責任というものがあるのだろう。
尤も、怪しまれないように今ネメアは幼女の姿を保っているけどな。
「むむっ、あと少し距離があるのじゃ。急ぐのじゃ」
「あぁ、そうだな」
ネメアはその嗅覚を頼りに、俺は本体の記憶を頼りに目的地に向けて移動している。
このままいけば後十分ぐらいで合流できるとも思うんだが、どうもまた妙なトラブルに見舞われているようだな。
しかも黒騎士はかなりの手練らしく、ただでさえ塔を破壊するのに大量の忍気を使用した本体では分が悪いとも言える。
忍者はやはり忍気をどれだけ活かせるかが重要だからだ。忍気がなければ肉体の強化だってままならず、同じ忍術を使用するにも残量が少なければ少ないだけ精神的にも体力的にも疲弊していく。
しかも――相手も中々悪そうだ。まさか帝国がこれだけの騎士を抱えているなんてな。サドデスあたりのイメージが強いから落差が激しすぎる。
とにかく、急いで合流して――
「随分と急いでいるようだけど、一体どこへ向かおうというのかな?」
「なっ!?」
突如、甘ったるい声と共に横撃、鋭い突きが俺の脇腹を狙ってきた。
「のじゃ?」
「いきなり危ないやつだな……」
しかし、刺突が脇を捉えた瞬間、それは丸太に早変わりし、俺は少し離れた位置から突きを放った相手に目を向けた。
俺の脇ではネメアが目をパチクリさせている。空蝉と同時に小脇に抱えて別の場所に移動したからな。
「へ~驚いた。妙な技を使うんだね君」
砂糖の上から大量の蜂蜜をぶっかけたような甘ったるい声で男は述べる。
それは本体と共有している記憶にある存在。今まさに本体が相手している黒騎士と共にイグリナの護衛を務めていた白騎士――金色の長い髪をフワリと掻き上げる仕草からして鼻につく、そんな男がこっち側にやってきたわけか。
果たしてこれは偶然か、それとも狙ってきているのか――どちらにしろタイプは明らかに黒騎士と異なるな。
向こうはワイルドさが売りみたいなところがあったが、こっちは見た目には優男。装備している鎧も全身鎧であることには代わりはないが、黒騎士のような重厚な作りではなく、全体的には薄手で、その分動きやすさを重視しているようにも感じられる。
実際直前に放たれた突きはかなり鋭く素早い突きであった。その際の所作も軽やかだった。
これは何となくだが、圧を掛けて近づき、重たい一撃一撃で勝負を決めに来る黒騎士とは正反対の、軽やかな動きで相手を翻弄しながら戦うスタイル、そんな気がした。
「ふふっ、君、僕の華麗な所作に見惚れているね? そういう視線に、僕は敏感なんだ」
……あと、こっちのほうが頭は緩そうだ。分身の俺でもなんとかなるかもしれないと思える軽さがある。
「のじゃ! 我も協力するのじゃ、こんなわけのわからない奴はとっとと倒してしまうのじゃ!」
「わけのわからないは酷いなぁ。この僕の魅力はまだ芽吹き始めたばかりの女の子にも伝わってしまう程なんだけど、あ、もしかして照れているのかな?」
「……こいつ、何か怖いのじゃ」
俺の後ろにそっと隠れて不気味なものを見るような目を向けるネメア。しかし節操ないなこいつ。
「ネメア、ここは俺が食い止めるから、お前は先に行って本体と合流してくれ。ネメアの力が恐らく必要だ」
「お主一人で大丈夫なのか?」
「何とも言えないが、行けそうな気はする」
あくまで雰囲気でだけどな。
「コソコソと何を話しているのか判らないけど、僕に捕まる覚悟はできたかな?」
「よし! いけ!」
「のじゃ! 頑張るのじゃ!」
呑気に問いかけてくる白騎士だが、構わずネメアが本体と合流するために先へ向かった。
俺は白騎士の一挙手一投足に集中し、ネメアがやられないように身構えるが――
「全く、追う気がなしか?」
「ふふっ、僕は基本女性は傷つけないからね。特に相手が年端もいかない女の子ならなおさらさ。熟した後に美しく成長する可能性があるのに蕾の段階で摘んでしまうなんてあまりに愚かだと思わないかい?」
そう言われてもな。俺は大助かりだが、わざわざ敵を目の前にして逃亡を許すほうが愚かだろう。
「その表情、君は今、きっと僕の事を愚かだとでも思っているのだろう。でも僕は騎士だ。騎士道精神を重んじる僕には譲れない矜持がある。そう、女の子は傷つけない、それこそが僕の誓い」
そう言って、手持ちの細剣を胸の前で立ち上げる。滑りの良さそうな曲線を描いたガード、天使の羽を模したようなソレが、柄を覆うような作りとなっていた。
それにしても、どうやらそこは騎士として譲れないらしい。良くは判らないが――
「もう面倒だから俺のことも見逃してくれないか?」
「ははっ、冗談が上手いね君は」
ひと笑いし、フッと微笑を浮かべながら俺に剣先を向けてきた。
これはやはり道を譲る気はないんだろうな。
仕方ない。俺も鞘から霧咲丸を抜き覚悟を決める。とはいっても、あくまで俺は分身、この霧咲丸も模造品みたいなものだ。
ようは忍気で形だけ再現しているだけだからな。元の霧咲丸で出来る霧を発生させる効果なんかは当然期待が出来ない。
とにかく、先ずはこいつの実力を確認するか。刀から一瞬手を放し印を結び術を行使。看破の術だ。
それでステータスを確認しておこうと思ったのだが。
ステータス
名前:ウドマツの木
概要
異世界ではよく生えている広葉樹。
……は? え、ちょっと待て、もう一度看破の術だ!
ステータス
名前:ペンペンヒップ草
概要
異世界ではよく生えている雑草。
「なんだこりゃ!」
思わず叫んだ。何でだよ! 白騎士のステータスを見ようとしているのに、何で関係ない木とか雑草の情報が出てくんだよ!
「ふふっ、その様子だともしかして僕に鑑定を試そうとしたのかな? 君の手の動きに何の意味があるかは知らないけど、無駄なことさ。僕は基本ウェルカムだけど、内面を勝手に覗き見られるのはノーサンキューなのさ。特にむさ苦しい男からはね」
また髪を掻き上げながら気障ったらしい口調で答える。本当に鼻につく男だが、どうやら何らかのスキルで鑑定、俺の場合忍術なんだけどな、とにかくそれに近い行為を防いでいるようだ。
「いい男というのは、どこかミステリアスなものなのさ」
こいつは、どこまで自分大好きなんだ。本当典型的なナルシストってところだな。
とは言え、ステータスが見れない以上、現在わかっている情報で戦うしかないな。あくまで予想だが、おそらくこいつは手数を重視した攻めで仕掛けてくるはずだ。
剣の形状で言えば、主な攻撃は刺突だろう。最初の攻撃も突きだったしな。刺突は攻撃速度でみれば斬るよりもかなり速いのは当然だが、攻撃そのものは点の動きが主体になる。
だから、先ずは相手の動きをよく見て対処を――
「さて、それじゃあそろそろ、僕の技の前にひれ伏して――貰おうかな!」
その瞬間だった、白騎士の背後から何かが飛び上がり、俺に向けて急降下、その鋭い突きを浴びせてくる。
「何だ! 他に仲間が!?」
とにかくその強襲はさけつつ、横薙ぎに刀を振る。その何かは後ろに飛び退き、一旦距離が空くが。
「こいつ――白騎士だと?」
俺は思わずさっきまで見ていた白騎士を見やり、確認するが、そこにもしっかり白騎士が佇んでいた。
「同じ白騎士が、二人?」
そう、この白騎士の背後から飛び上がり、強襲してきたのは、それとそっくり同じ存在だった。
双子だった、などというベタな展開ではなさそうだが――
「さて、まだまだいくよ」
すると、今度は白騎士の横に、もう一人の白騎士が飛び出し、加速して俺へと向かってきた。
この白騎士、まさか分身が使えるのか? とにかく、相手の突きを避けつつ、今度はカウンターをきっちり相手に合わせる――が、俺の攻撃を受けると、フッ、と分身は消えてしまった。
「あらら、一体消えちゃった。君、中々やるね」
「……なるほどね」
白騎士を振り返り呟く。この数手のやり取りで俺は理解した。
至極単純な事だ。確かに分身だが、分身は分身でも幻影を見せ惑わす方だ。
だが、だとしたらあまりにお粗末なやり方だ。この手の幻影は単体で使ってもほぼ意味はない。実際俺は今の一撃でこれが幻影だと見破った。
一度見破れば、こんなものはどうとでもなる。もしかしたらこの後本体は上手く身をかわしつつ、分身に紛れるという手をとるかも知れないが、それならそれで、と、そんな事を考えていたら最初に白騎士が生み出した幻影が俺に近づき突きを放ってきた。
だが、それも意味はない。俺は本体から目を離さず、相手の動きにだけ注目しておく。これが幻影なら、相手の攻撃が俺に届くことはないから――
「――な!」
だが、そんな俺の考えをあざ笑うかのように、幻影の放った突きが俺の身体を捉えていた。ズブズブと食い込んでいく刃は、幻影ではなく間違いなく本物だ。
「くそ! いつの間に!」
直ぐ様俺は突きを放ってきた白騎士に一閃、刃はその首を捉えたが――しかしまたもや白騎士はその場から消え失せてしまう。
「そんな、これも幻影だって!?」
「残念だったね」
白騎士の声に弾かれたように顔を向けると、妙な足さばきを見せるその周囲に、多数の分身が生み出されていた。
「ふふっ、だから言っただろう? 君は僕の技の前にひれ伏すことになると――」