第六十九話 落下するもの這い上がるもの
「ふぅ、全く、本当に落としに来るとはね。まあ、ある程度予想はしていたけど」
一体どこまで続いているのかといった様相の底の見えない闇穴。その途中の壁に、忍気で作成した苦無を打ち込み、後部の輪になっている箇所には同じく忍気で作成した鎖を巻きつけ、俺は宙吊り状態になったまま独りごちる。
正直――マグマとサドデスに関してはあまりにわかりやすいぐらい怪しい素振りを見せており、疑うなという方が土台無理な話だったからな。
キュウスケも、隠し通路の見つけ方が、まるで台本に書かれていることをそのまま実行したような感じであり、あまりに芸がない。
だから、隠し通路を見つけた時点で、何かがあることに勘付いていたし、それが恐らく地下に続く何かだろうという予想も付いていた。
何せ俺は迷宮に入る前にここの構造を看破している。浅層とやらは五層程度だが、深層になると地下五十五層と相当に深い。
だが、第五層には更に地下に繋がるような階段などは見当たらなく、ボスの待つ部屋は後回しになったが、そこにも何もないことはなんとなく察しがついた。
もし、ボス部屋にそんなものがあればとっくに誰かが気づいていてもおかしくないからだ。
そしてそのタイミングで他のどの班も見つけられなかった隠し通路をキュウスケが見つけたのだ。怪しんでくれと言っているようなものであり、それが地下に続く何かであることは想像に難くなかった。
だから、まぁ落とされたとしても、それに対応する手段ぐらいはいくらでも考えていたけどな。
マグマの爆裂も確かに以前よりも火力が上がってるようだけど、それでも耐えられないほどでもない。
ただ、それでも敢えて落ちてみせたのはこの先の展開を考えた場合、ここで落ちておいた方が後々行動がしやすいかもと思っていた部分もある。
正直、この帝都からはどこかのタイミングで離れないといけないと思っていたからな。
だから入り口で看破した時点でなんとなくこんな結果は予想していたけど、その時は、もう落ちて行方不明ということにでもしておこうと考えた。
そうすれば後は自由だしな。
ただ――今回に関してはだからといって、じゃあそれでというわけにはいかない。
何せ、カコとマイラの事がある。特にカコは、マグマの野郎が必要ない魔法をやたらと使わせたりして魔力切れを明らかに狙っていたしな。
勿論マイラだって楽観は出来ない。何せサドデスだってあいつとグルだしな。
ただ、俺は落ちたことにしておきたいのは確かだ。そうなると取れる手は――
「ああぁああぁああ、シノブ、いま、ひぃぃいいぃ、やっぱ怖いっすうぅぅぅうううぅうう!」
――は?
「て、え? シノ――」
「いや、おいおいおいおいおいおいおいおい!」
何だ今の! いや、マイラだ! 見間違えるわけない。は? 何やってんだよあいつ!
なんかすげー勢いで落下していったし。
まさか、あいつも落とされた? もしくは――俺を助けに?
……いや、そんな馬鹿な。いくらなんでもそんな馬鹿なことを、する奴だったなあいつは! くそ!
「影分身の術!」
俺はとにかく、影分身を即座に一体生み出した。そして上は任せたと念を込めて、お互いに頷きあった後で、壁を蹴り、苦無と鎖を消した後、俺と分身が互いの脚を蹴り合い、本体の俺は下に、分身は上に、勢いを乗せて一気に飛び出す!
更に両手を折りたたみ、出来るだけコンパクトなそれでいて鋭い体勢を保ったまま螺旋回転によって空気抵抗を減らし、一気に加速。
これで自由落下するマイラとの距離がだいぶ縮まり、その姿を捉えたので、そこから縁により、断崖のような岸壁に足を乗せ、壁走りに移行した。
体遁も行使して加速し、落下するマイラの横につく。
「おい! マイラ、しっかりしろ!」
声を掛けてみるが、どうやら途中で気を失ってしまったようだ。結構落ちてるしな。このまま落下続けさせても危険そうだし、俺は壁を蹴り、マイラに向けて腕を伸ばす。
鎧を着ていることと、落下の衝撃が加わり、腕にズシリと重い感触。
そのまま反対側の壁に移り、足をかけ、バネのように筋肉を伸縮させ、更に飛ぶ!
そこから三角飛びの要領で、壁から壁に飛び移りながら下を目指す。
壁走りでもいいんだけど、それだと勢いはついたままになってしまうしな。俺一人ならともかくマイラもいるから念のため、勢いは殺しながら移動したい。
それにしても深いな――一体どこまでこの穴は続いているんだか。まさか最下層の五十五層までとかじゃないよな?
◇◆◇
本体と別れ、逆に穴の入口の方へと俺は戻ってきた。
それなりの深さまで落下はしてたけど、それでもやっぱ、下に比べると楽だな。マイラも落ちてたし。上手く拾ったみたいだけど。
そして気配を消し、隠れ身も利用して奴らの様子を覗き見たんだが、案の定マグマもサドデスも、二人揃って人間のクズとしか思えない事を平気てやろうとしていた。
予想はついていたけど、魔力の使いすぎでヘトヘトなカコを全員で襲おうだなんてな。
だけど、ここで意外な事に、ガイとキュウスケが異を唱えた。どうやらあの三人の中でも、まだ二人の考えはまともだったらしい。
結局マグマと違って、二人はちょっとやんちゃがしたかったレベルの話だったんだな。でもマグマがガチ過ぎてもうついていけないと、つまりマジの悪者とは相容れないとはっきり決別の意思を表明したわけだ。
だから、俺も暫くは様子を見ていた。これならわざわざ俺が出なくても、カコも二人がつれて迷宮を出そうな勢いだったしな。
だけど、やっぱ甘かった。まさか妙な薬まで持ち出してるとはな……それにしても、こっちにも注射があったのか。
とにかくいよいよそれでカコもピンチになったから、俺が出るしかないと考えたわけだが、今後のことを考えると流石にこのままシノブとして出るわけにもいかない。
かといって、仮面シノビーもな。あれは流石にマグマにまで通じるかは微妙だ。それに、どうせならこの状況を上手く利用したい。
ただでさえ、この穴からは時折妙なうめき声みたいなのが聞こえてきてるしな。
そこで考えた結果が――変化の術による人外への変身だったわけだが……。
「お、鬼だと? なんで、そんなものがここに――」
マグマが驚愕といった表情で俺を見上げていた。そう、俺がイメージして変化したものはまさに鬼。
まぁ、この場の雰囲気にあう化け物で、咄嗟に思いついたのが、それぐらいだったというのもあるけどな。
変化の術は忍気で質量も変化出来るからな。まあ、つまりこれは言い方を変えれば鬼の皮を被った俺とも言えるけどな。
動きも視線も、変化後に自動で調整されるから問題ないけどな。ちなみに変化するのが無機物の場合は、視点はある程度変化前に決めておく必要がある。
こう考えると変化の術も万能っぽく見えるけど実際はそうでもない。正直必要な時以外は多用しても忍気の無駄だからだ。
何せ、例えばこの鬼状態なんかは変化の術のほか、鬼の持つ怪力は体遁で表現しているに過ぎない。つまりそれなら最初から体遁で腕力増やした方が本来はてっとり早いし忍気の消費も抑えられるわけだ。
とは言え、今回みたいに見た目でインパクトを与えた上で、自分の正体を隠したい場合は有効だけどな。
「こ、こいつは、レッドオーガか!」
おっと、そんな事を考えていたら、後ろのサドデスが思い出したように魔物らしき物の名称を叫んだな。
「れ、レッドオーガ? 魔物ってことか」
「あ、あぁ。オーガの上位種だ。だけど、こんなところで出るなんて、き、聞いたことないぞ」
「ふん、だとしても、結局はオーガってことか。だったら、俺様の敵じゃないぜ!」
「ば、馬鹿言うな! オーガのLVでさえ30で今のお前より高い。その上レッドオーガとくればそのLVは50は下らない! こんなの、勝てるわけがない――」
何か、勝手に二人で話を進めて、レッドオーガという魔物と勘違いしてくれてるようだけど好都合だな。
それならそれで、レッドオーガということにしておいてもらおう。
さて、とりあえず――俺は直ぐ様指を二回弾く。その瞬間、俺の咆哮で動きを止めていた、ガイとキュウスケが思いっきり吹っ飛んで壁に激突した。
ちょっと悪い気もするが、あの二人にはそのまま寝ておいて貰おう。
「な、なんだ! 何をしやがった!」
「ば、馬鹿な、指の衝撃波だけで薬を与えた二人をふっ飛ばしただと? あの~魔薬でステータスも向上している筈なのに――」
まやくって……随分と物騒な名前だな。あの二人大丈夫か? まぁ、今は信じる他ないな。
後はカコだけど、とりあえず逃げてほしいんだけどな――あちゃ~気絶してるなこれ。もしかして俺にビビったか?
まぁ、こんな化け物が突然出てきたらそりゃビビるか。ただでさえ、男達に襲われてパニックになっていただろうしな。
「クッ! オーガがなんだ! レッドオーガだからなんだってんだ! この俺様は最強の爆裂戦士のマグマ様だ! テメェみたいなウドの大木にやられるわけがねぇんだよ!」
マグマが俺に向かって突っかかってくる。今の俺は身長が三メートル程になってるから、大分マグマが小さく見えるな。
だが、マグマはその身長差を埋めるように、跳躍しながら体重を乗せて剣を振ってきた。俺の胴体が爆裂し衝撃が伝わる。
更にマグマは落下しながらも剣を振り続け、爆裂の連打を決めてきた。
ドンッ! ドンッ! ドンッ! と重苦しい音が耳に届き続ける。
そして着地と同時に、どうだ! と気勢を上げるマグマだが――俺はポリポリと爆裂した箇所を指で掻き、全く効いていないとアピールした。
マグマの顔が愕然となる。
「だ、だから無駄だと言ってるんだよ! 死ぬぞテメェ! クソ! こんな化け物の巣食う迷宮にいられるか! 俺は逃げるぞ! グギャ!」
いや、何勝手に逃げようとしてるの? 逃がすわけ無いだろ。
俺は背中を見せて通路に向かって逃げ出したサドデスの正面に回り込み、殴りつけた。
本気ではなかったが、その一撃で筋肉達磨は壁に叩きつけられ、めり込んだ。
それを引っ張り出すと、壁面には見事なサドデスの型が出来上がっていた。全く有り難みがないけどな。
「あ、が、つよ、すぎ、る――」
まだ意識はあるな。それにしてもこいつ、流石にやりすぎた。薬まで使ってカコを襲わせようなんてな。
俺が落とされるぐらいなら、まぁ許せやしないけど、まだここまで怒りを覚えないだろうけど、分身でもやはり本体と同じ感情は持ってるからな。
だから、地面に叩きつけ、念入りに、殴る! 殴る! 殴る! 殴る!
「ゲホッ! ガハッ! ヒッ、や、やめ、し、死ぬ、あ、が――」
何発か殴ったら完全に意識を失ったか。体中すっかり血だらけで、自慢の筋肉もズタズタだな。
そんなサドデスを最後に持ち上げ、思いっきり天井に叩きつけた。顔面が岩盤に埋まりプランプランと揺れる。頭のないてるてる坊主みたいだ。ハゲだしな。
さてと、俺は残ったマグマを振り向くが、ビクッと肩を揺らし、ワナワナと震え始めた。
サドデスを懲らしめている間も何もしてこなかったあたり、さっきの攻撃が全く効かなかったのを引きずってるんだろうな。
「な、なんだよ、まだ、やる気かよ、だ、だったら、そ、その女をやれよ! そ、そうだよ、お、男なんかより牝の方がいいだろ? そ、そいつもよ、パッと見地味だけど、め、眼鏡なきゃ結構マシだし、それに、胸も中々あんだぜ? いい獲物だろ? なあ?」
……はぁ、俺は呆れて物も言えなくなった。まぁ、どっちにしろこの姿じゃ何も語れないけどな。
やれやれ、本当は俺だってこんなこたぁしたくねぇけど――てめぇもやりすぎたな。擁護のしようもない。
とりあえず、俺は再びマグマの目の前まで瞬時に移動する。
「く、くそが! この変態野郎が! だったら今度こそぶっ殺してやるよ!」
すると、今度は剣をさっきより大振りで叩きつけ爆裂。その分威力は上がってるようだが――
「な、これも、き、効いてないだと? 馬鹿な! 俺は、俺は本気でやった! なのに、どうしてだぁああ!」
呻くような悲鳴のような、そんな声を張り上げるマグマ。だが、その程度で俺はどうにかされるほど柔じゃない。分身とは言えな。
さて、とりあえず俺は、巨大化した脚で思いっきり股間を蹴り上げた。潰れた感触がした。
蹴った勢いで浮き上がり、ヒュギッ、と声にならない声を上げるマグマの足を取る。
そして今度はそのまま地面に何度も何度も叩きつけた。
その度に悲鳴が上がり、涙まで流している。まぁ、これは急所の痛みも大きいのだろうけどな。
ある程度叩きつけると、既に満身創痍といった様相で動くことももままならないと言った姿に。
そして最後に俺は、マグマの腕を取り思いっきり捻り回して砕いた。
ギャアアアアァアアァアア! と耳をつんざくような悲鳴。そしてもう片方の腕もとり、そっちも同じく思いっきり捻り、砕く。
更に悲鳴が轟き、しかし流石に二本目の腕が砕けたと同時に気絶した。股間と尻からは排泄物の匂い。
とは言え、仕方ない。こいつはやりすぎた。これ以上力を持たせていたら、今後更に増長するだろう。ここまでやっておけばもう完治は無理だろうしな。剣を持つことさえままならないだろうし、スキルの恩恵も活かすことは不可能だ。
後は、まぁサドデスもだが放置しておくとしよう。
さて、後はカコとキュウスケとガイに関しては迷宮の入り口まで運ぶとするか――
◇◆◇
(あ、あれ?)
カコが目を覚ました時、彼女は誰かの背中の上で揺れていた。
記憶が覚束ない。一体何故、自分がこんな場所で目覚めたのか、すぐには思い出せなかった。
だが――記憶がよみがえる。そう、確か迷宮の最下層で、マグマにやられてシノブが穴に落ち、それを助けにあの女騎士のマイラも追いかけて穴に飛び込んでしまった。
そして残された彼女は、マグマやサドデスの姦計で襲われそうになり、しかしマグマといつも一緒にいたガイやキュウスケは結局それには従わず一緒に帰ってくれると言ってくれた。
それなら、これはもしかしてガイの背中だろうか? 若干まどろみに包まれながらもそう考えるカコだったが、それも違うことを思い出す。
そうだ、ガイもキュウスケも薬によっておかしくなり自分に襲い掛かってきた筈――だけど、その時突然地の底から鬼が這い上がってきて、と、記憶はそこで途切れていた。
「え! じゃあ貴方は誰!」
そして、ふと顔を上げ、声を上げてしまう。まさか鬼が自分を運んでくれているわけがなし――そう思いつつ、背中が先ず目に入り、次いでその頭を目にすると――首がまわり、その横顔がカコに向けられた。
鬼ではなかった。だが、何故かその人物は仮面を被っていた。
「――気がついたのか」
「え? あ、あの、ここは?」
「大丈夫だ。迷宮は出た、とりあえず安全な場所まで君を運んであげるよ」
謎の仮面男はそう答える。男と判断したのは声からだ。それは高く少年のような声だった。
そしてどこか落ち着く声だった。この声のおかげで不安はどこかへ飛んでいってしまった。
「あ、あの、ほ、他にも誰かいたと思うのですが、皆無事なのですか?」
「……とりあえず二人は無事だ。迷宮入り口近くで寝かせている。ただ、正常な状態かは判断つかなかったから、君はもう少し離れた場所まで送った方がいいと思った」
「そう、なのですか――も、もしかして、あ、貴方が、私を助けて、く、くれたのですか?」
「……たまたま、見つけたから。ついでだよ」
そっけなく答える仮面の男。だけど、そうでないことはカコにも察することが出来た。あの状況はついででどうにか出来るものじゃない。
「で、でも、あ、ありがとうございます。その、お、お名前を、き、聞いても、宜しいですか?」
だがら、カコは彼に訪ねた。助けてくれた相手の名前ぐらい知っておきたかったのだろう。
「……私は、私は、そ、その、か、仮面シノビーだ!」
「へ?」
しかし、その答えに思わず目を丸くさせるカコ。すると突如仮面の男、つまりシノビーは彼女をその場に下ろし、
「どうやら助けが来たようだし、私はそろそろいくよ。その、出来れば私の事は秘密にしておいてくれると嬉しい。それでは、さらば!」
と言い残して彼女の前から姿を消した。
そして、それから間もなくして、彼の言うとおり、攻略まで時間がかかりすぎているという理由で駆けつけたユウトやケント達と合流する事になるカコであった――